日本の戦争の歴史を振り返れば、1945年9月2日、ポツダム宣言受諾文書の調印が行われ日本の降伏によって戦争が終結します。なぜ「あの戦争」が起きたのか?誰も止めることはできなかったのか?なぜ「あの戦争」を始めてしまったのか?いま、「あの戦争とはなんだったのか」を理知的に再考するための論考が必要です。
「あの戦争」を考えるには、太平洋戦争だけでは「あの戦争とはなんだったのか」という歴史的な問いには十分には答えられないように思います。太平洋戦争以前の1937年、盧溝橋事件を引き金に日中戦争が勃発します。そして1941年7月、南部仏印に日本軍が進駐(占領)し、その年12月8日の真珠湾攻撃によって太平洋戦争へと突入していきます。そうした経緯を踏まえて「あの戦争」を考えることが必要だと思います。
また、「あの戦争」の責任を誰か一人に負わせることできません。人的・物的資源や経済企業活動、言論思想の統制などを定めた「国家総動員法」によって翼賛体制は強化されて「総力戦」へと進んでいきます。その果てに、「一億玉砕」などのスローガンが掲げられていきます。こうした経緯を考えなければ、「あの戦争」によって引き起こされた被害や凄惨な加害を見誤ることになると思います。
「あの戦争」による被害では、広島・長崎への原爆投下や東京大空襲を始めとする日本各地の殆どの都市への無差別爆撃などにより38万7000人ともいわれる死者数と灰燼に帰した多くの都市など筆舌に尽くしがたい被害を受けました。
その一方では、朝鮮半島や東北中国のほか東南アジアの各地を占領した「帝国日本」の加害の考証がなされなければならないと思います。例えば、中国各地や東南アジアの各地を無差別爆撃します。当時、中華民国の首都であった重慶への爆撃では多くの死傷者と甚大な被害を与えました。占領地では、人的被害や都市の破壊だけでなく言語に絶する残虐行為や資源の収奪といったことも起きています。
そして忘れてはいけないのは、沖縄で起きた市民が巻き込まれた戦争の実相です。沖縄の青少年は、男子は14~19歳、女子は15~19歳が戦時動員として軍事物資の輸送や看護に従事しました。そして、多くの動員生徒の命が失われていったのです。高齢者や子どもたちも戦禍に追われ逃げまどいながら暮らしていきました。いまなお心身ともに深く傷ついた人々がいます。沖縄戦没者慰霊式で戦争を知らない世代が伝えようとするメッセージは平和への道しるべです。
日本は戦争終結のあと「平和憲法」を擁し今日まで続く平和を築いてきました。時がたち、戦争体験を持つ人たちも少なくなり、戦争の記憶が薄れてゆきます。だからこそ振り返ることが必要です。被害者であり加害者であった事実は消すことができません。そのうえで、恩讐の彼方にこそ未来があると信じたいのです。
ドイツの故ヴァイツゼッカー大統領が1985年5月に行った演説「荒れ野の40年」で『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです』といった言葉を忘れてはいけないのです。これはドイツに限った話ではありません。
うむっさん




