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終戦時焦土と化した東京
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全国戦没者追悼式
1945年(昭和20年)8月15日『・・・朕ハ時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス・・・』という「終戦ノ詔書」が発せられ、1941年(昭和16年)12月8日の日本軍による真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は終結しました。
1967年(昭和42年)8月公開の「日本のいちばん長い日」(東宝)では、「太平洋戦争に兵士として参加した日本人1000万人 。戦死者200万人、一般市民の死者100万人 計300万人(5世帯で1人の割合で肉親を失う)。家を焼かれ財産を失った者 1500万人」とその被害が示されています。
降伏によって失われた日本の主権は、1951年(昭和26年)9月8日のサンフランシスコ平和条約締結及びによって回復します。その後、1956年(昭和31年)12月に国際連合に加盟し国際社会の一員と認められることになります。また、同9月8日に日米安全保障条約が結ばれました。日本の主権が全国に及ぶことになったのは1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還を迎えなければなりませんでした。
しかし、現在に至るまで「実効支配」によって領有権が侵された「北方4島」は返還されないままです。また、シベリアや中国北東、南太平洋諸島を始めとする戦闘地域に眠る多くの人たちの遺骨は収集されていませんので「本当の終戦」はいまだ遠いと言うこともできます。
1947年(昭和22年)5月3日には日本憲法が公布されます。日本国憲法は、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の三つを基本原則とします。「平和主義」は、現在の日本の根幹となる思想となりました。日本国憲法の前文には、『・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・』とその意思が示されています。
「平和主義」は不戦につながります。『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としています。米国の政治学者フランシス・フクヤマは、『第2次世界大戦後に世界が達成した成果の一つは、諸大国が他国の領土を軍事力で奪取することがあってはならないという規範の受諾である』と語っています。残念ながら現状では、こうした規範は破綻してしまいました。
日本の国際社会での平和への貢献では、国連平和維持活動(PKO)があります。1993年5月、カンボジアで国連選挙監視団として活動していた「文民警察官」が武装集団による攻撃によって殉職されました。日本の国際社会での平和への貢献は、拠出金ばかりだということではなく、かけがえのない人を失うという犠牲をはらいました。平和な社会を築き、持続させていくことは決して容易なことではありません。多くの日本人による献身によって「平和」が保たれてきたことを決して忘れてはいけないのです。座して平和を守ることはできません。私たち一人一人が覚悟と自覚をもって「平和」への決意と行動を深めていかなければならないと思います。
うむっさん