人類の食生活は「火の利用」によって食べ物を効率よく消化できるようになり、脳の活動にエネルギーを使うことができ、知能の発達が進んだ。さらに火を利用することで、「夜は、皆で火を囲んで一日を長く利用できるようになったが、炉は会話を促し、言葉と神話を生み出した」とフランスの経済学者であるジャック・アタリは言っている。(食の歴史—人類はこれまで何をたべてきたのか:プレジデント社)
縄文人は狩猟採取を中心とした暮らしをしていた。狩猟や堅果類、魚貝類、山菜、果物、雑穀などを食べていた。魚や貝など漁撈による食糧確保は重要だったようだ。狩猟採集生活では食料の確保が生活の全てといっていい。単一の食物にだけ依存していたのでは飢えや栄養不足に陥る。どうしたかといえば、食物の多様性を確保できるよう知恵をしぼっていった。
その季節にもっとも美味しくなる旬のものを食べる。そして、より美味しく食べるための工夫が調理となっていったのだろう。春は山菜、夏から秋にかけて漁労、秋は木の実の採取、冬は鹿やウサギなどの狩猟というサイクルで食物を得ていた。なかでも、カロリーが高く採取も容易な木の実は重要な食料資源であったようだ。
ドングリやトチを食べる際に必要なアク抜きの方法だけでなく貯蔵・保存する方法も習得した。青森県・三内丸山遺跡では、自然のクリだけでなく栽培に近い方法でクリを利用し、食物を「増やす」ことで暮らしの安定化を図っていった。
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縄文時代の料理
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縄文時代の食べ物
調理方法も食材に合わせて「焼く」「煮る」「燻す」「蒸す」と多様だった。直火で焼くことや熱した石の上で焼くということもあった。秋田の郷土料理に熱した石を使った「石焼桶鍋」がある。煮るためには土器の発明があった。ドングリなどは煮込むことで食べられるようになり、堅い肉も柔らかくして食べることができた。調味料としては山野草を使ったようだ。魚貝類も出汁がよく出るし含まれる塩分もあり、美味しく食べていたのだろう。塩は縄文後期になって作られるようになったようだ。
燻すのは、竪穴住居の炉の上に魚などをつるしていただけでなく、専用の燻しの工夫があったようだ。大量に獲れたサケなどは燻すことで日持ちがよくなり保存食としても大切なものだった。また、燻すことで食味もよくなる。蒸す調理方法は、地面に穴を掘って葉にくるんだ食材を置き、焼いた石を乗せて土や葉などで覆う方法。
縄文時代の調理には、その季節に得られる多様な食物を余すことなく食べるための工夫が詰まっているようだ。縄文人は、ただ空腹を満たすためにではなく、より美味しく食べるために調理方法を工夫していったのだろう。そうしたことが文明の発達にも寄与していたし、料理道具の発達はその他の道具の発明にもつながっていったのだろう。
工夫された調理によって美味しく食べていた縄文人には、歯周疾患が多く予防と治療の方法がないため虫歯や歯周病などで苦しんでいたようだ。歯周疾患は全身病状に影響するやっかいな疾患だ、現代人も多くの人が罹患している。
うむっさん