三月の卒業式シーズは、ある意味“別れの季節”といえるかもしれない。 小学校から中学校へは、おおかたの子どもたちは小学校の同級生と同じ中学校に入学することになる。それでも、小学校6年間の様々な体験や思い出を一緒につくってきた仲間とのしばしの別れは寂しいもの。
中学校を卒業すると地域の友だちと別れて、それぞれの高等学校へと入学する。高等学校は、これまで暮らした地域とは離れた所になることが多い。人によっては、寮生活を選択することで慣れ親しんだ人たちや地域と別れて、新しい世界へと活動空間を移していく。あるいは、人生の選択によって実社会へと進むことでの別れを迎えることもあるだろう。
-
卒業式
高等学校を卒業すれば、それぞれの人生の大きな選択による別れがある。ある者は実社会へと進み、ある者は大学や専門学校などへと進学する。そして、これまで暮らしてきた街と離れ、新しい生活の場へと向かっていく。
また、卒業ではないけれど定年退職などで別れを迎える人もあるだろう。昨今は、定年制度の変更によって、再雇用や役職定年など勤務形態が変わるなかで、これまでの勤務環境とは決別していく。“張りのある生活”ができるかどうかは、これからの暮らしの充実度を左右する大きな選択となっていくようだ。
「別れ」は寂しいけれど、「卒業」は新しい世界が待っていることに違いない。楽しい思い出だけでなく、苦しくやるせない、そんな気持ちをどうしたらいいのか。『そんな時代もあったねと/いつか話せる日がくるわ(中島みゆき:時代)』。とそんなときがきっとやってくる。これまで慣れ親しんだ暮らしが変わっていくことに怯まず、新しい暮らしに向っていく。新しい目標に挑み、次のステージを目指す。そんな気概を胸に新しい暮らしを始めることができるといいのだろう。
-
卒業証書
『曲がり角をまがったさきに何があるのかは、わからないの。でも、きっと、いちばん良いものにちがいないと思うの』(赤毛のアン 第三十八章)。 先行き不透明な時代は続いていくし、一人の力ではどうしようもできないという閉塞感も強くなってしまっている。けれど、それはどんな時代も私たちの周りにあることだろう。この先にはきっといいことがある。そう信じて日々を過ごしていくことができれば、「弥生」の空は、透き通った春風にのせて、私たちを包んでくれるような気がする。
「弥生」の由来は、「弥」は「数の多いこと、いよいよ、ますます」ということ。「生」は、「芽のでること、はえること」「うまれること、うむこと」となる。寒さに背中を丸める季節はすぎて、冬のあいだ、眠っていた草や木が芽吹く。「啓蟄」を迎える頃には、土の中の虫たちも活動を始める。命輝く弥生、三月・・・。
うむっさん