『みち』は、道・路・途・径などと表され、人や車などが往来するための所、通行する所、道路、通路。目的地に至る途中。道理をわきまえること、分別。人が考えたり行ったりする事柄の条理、道理。などの意味があると広辞苑には記されている。
-
山間部の道
「道路」とりわけ「歩道」について。鎌ケ谷市の道路延長は242.7㎞、歩道延長は42.3㎞でその整備率は、17.4%となっている(出典:鎌ケ谷市道路台帳 令和2年3月)。日頃感じている「歩道が無いよな」ということを実感させる統計となっている。鎌ケ谷市では、主要な道路の渋滞や混雑を避けるため通過車両が生活道路を使っているということが日常となっている。こうした現状は鎌ケ谷市だけでなく各地で起きており、結果として交通死傷事故が多発している。
そうした生活道路空間を歩行者・車が安全に利用するため、「歩道」が整備されるものだと思う。市では、第4次鎌ケ谷市歩道等総合整備計画(令和3年度~8年度)が策定されている。実施される方策として、防護柵、路側帯カラー舗装(グリーンベルト)、車線分離標(ポール)、車止めなどが設置されていく。しかしながら、施設は老朽による劣化や破損などで損なわれていく。消えかけたグリーンベルト。曲がった防護柵や凸凹になった舗装面など。せっかく作ったものをその機能のとおりに維持することも計画的に実施していく必要があるのではないだろうか。
-
哲学の道
「小径」の散歩の効用は心身ともにおよぶ。京都の「哲学の道」。銀閣寺と南禅寺の手前、若王子神社を結ぶ約2㎞の散歩道。「20世紀初期の哲学者で京都大学教授 西田幾太郎が、毎朝この道を歩いて思想に耽っていた」ことにちなんで名付けられている。今では観光名所として、春は桜、秋はもみじの紅葉と多くの人が訪れる。なので、なかなか「思想に耽る」ということは難しいけれど、冬は人も少なく「哲学の道」の静謐な時間を過ごすことができる。ただし、しっかりと防寒対策を忘れずに。 また、「道」には、「道路」のような施設だけでなく、剣道や柔道、茶道・華道などといった技芸をつきつめることによって、人としての道を追求するという「道」もある。さらに、人として考えたり行ったりする道理や分別という意味もある。
『やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君』(与謝野晶子:みだれ髪)。ここでいう「道」はまさに道理や分別を意味しているようだ。与謝野晶子は「みだれ髪」刊行後に鉄幹(=道を説く君)と結婚する。晶子は、想いを貫いた情熱の人であった。また、日本軍による旅順港攻撃という世情のなか、「君死にたまふことなかれ(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)」という詩を発表するなど、強い意志を持って“自分の道”を歩んでいった人であったようだ。
うむっさん