ウクライナの首都キーウの風景(bingサイトより引用)
先の大戦の終戦から77年。私たちは「戦争」を知らない平和な暮らしをしているが、「戦争」によって、いまだ多くの、傷を負った人や心の平安を得られない人たちがいることを忘れてはいけない。そして、今でも世界では幾多の国・地域で「戦争」が続いている。これまでにも、日本のPKO(国連平和維持活動)にたずさわった、ボランティア、文民警察官、国際機関職員の方が紛争地で亡くなっている。
今年2月24日、ロシアは「特別な軍事作戦」とするウクライナへの軍事侵攻によりキーウなどへのミサイル攻撃や空爆を始めた。ウクライナ全土には「非常事態宣言」が布かれ、キーウ市の公式HPでも空爆に対する避難の呼びかけがなされた。キーウ市民は「戦争」のなかでの暮らしを余儀なくされ、恐怖と不安のなかで暮らしている。
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キーウ近郊の戦場跡(bingサイトより引用)
ロシア革命によってロシア帝国が崩壊すると、独立運動が起こり「ウクライナ人民共和国」が宣言されたが、ソヴィエトの武力攻撃によって、独立は挫折しソ連のなかに取りこまれた。1991年、ソ連が崩壊し、ウクライナは独立国家となり、キーウはこの独立国家の首都となった。2004年、大統領選挙における不正行為への激しい抗議行動(オレンジ革命)によって再選挙が行われた。2010年の大統領選挙では、2004年選挙で負けたヤヌコーヴィチ氏が大統領に就任したが、2014年2月に起きた民衆デモと治安部隊との流血の衝突を契機に親ロシア・ヤヌコーヴィチ政権は倒れた。同じ年、クリミア半島がロシアに併合され、これに国際社会も異議を唱えたが、ロシアによる実効支配は、今も続いている。
6月13日に放送された『世界ふれあい街歩き ウクライナ・キエフ』(NHK)。2019年に撮影されウクライナの首都・キエフ(キーウ)の再放送の特別編。農産物を売る露店やデートスポットで憩う人たち。野生のヒマワリの花束を売る人。公園のバンドゥーラ(ウクライナの民族楽器)弾き。帰還兵が始めた「子どもたちのピザづくり教室」。そうした穏やかな暮らしの姿や歴史的建造物がつらなる街並みが紹介されていた。
しかし、街中の壁面にロシアとの武力衝突によって亡くなった多くの人たちのモニュメントがあった。2人の子どもたちを連れた優しげなお父さんは、戦地でともに戦い、戦死した2人の友人の肖像画へ案内した。番組でインタビューした人のその後が伝えられている。53歳のバンドゥーラ弾きは軍事訓練に参加している。子どもたちを集めた「ピザづくり教室」の男性はウクライナ東部地域での戦闘で戦死した。
ロシアの武力侵攻がいつまで続くのかはわからないが、いつか「戦争」は終わる。だが、戦火に焼かれた街や破壊された道路や橋。そして、多くの傷ついた人たち、心に大きな傷を負った人たちが残される。そうした人たちを支え、いぜんの暮らしを取り戻すための支援として、私たちに何ができるのか。日本だからこそできる「ウクライナの復興支援」があるはずだ。そのために、「何をどうすればいいのか」を準備し、実施していく、具体的で実際的な支援が求められるだろう。
うむっさん