ライター 千遥
前号では、Aさんが認知症と判断される経緯を6項目にわたって具体的に述べた。ではその後、どのような状況にあるのか、又、どのようにフォローしていったかを記してみよう。
Aさんは奥さんを亡くしてから5年程になる。よく考えてみると、その頃からAさんの言動に何か変化が起きていたように感じる。Bさんをはじめ団地囲碁サークルのメンバーは、Aさんの奥さんが病に冒されていると聞いたことはなかった。ときたまAさん宅を訪れる機会があっても、お顔を拝見するだけで会話を交わしたこともない。
長い間の勤めを終えた旦那様は、定年後の暫らくの間は「お疲れ様でした」と、奥さんにも丁重に扱われるのが一般的なようである。しかし、退職後の生活に具体的な目標を設定していなかった場合は、家でテレビなどを見てばかり。言わば何もなすことがなく、ゴロゴロしている事が多くなる。かくして、当初は長期間に亘って家族の生活を支えてくれた旦那様に対して優しかった奥さんも、「亭主元気で留守が良い」と言うことになる。つまりベッタリと自分の後に付いてこられるのを嫌うようになる。
いくら好きで一緒になった間柄でも、奥さんにとっては、数十年にわたって自分の思うままに使えた時間がなくなる。一日中、旦那様と家の中で過ごしていると奥さんも頭がおかしくなるようだ。スーパーなどの買い物にも奥さんの後を付いてくる光景を見かけるが、それが二人の了解の元ならばよいが、何することもない旦那が付いてくるのでは、かなりうとましいに違いない。かくして、会社では権勢を誇った旦那様でも皆同じ。一人で、テレビのお世話になる孤独の身へと変わっていく。
振り返ってみると、Aさんは病身であった奥さんが亡くなった場合に、どう対処するかも全く考えていなかった節がある。亡くなった直後に、AさんはBさんの囲碁仲間たちに「葬式って、どうやるのか」などと聞いていた。葬儀の式場も実施方法なども、取り仕切るのは全てAさんの意向によるから、仲間と言えども積極的に関与出来ないところがある。何も知識の無かったAさんは、結局のところ数年前に囲碁仲間のCさんの奥さんの葬儀をそっくり踏襲して、葬儀そのものは無事に終わらせることが出来た。
ここから、一人身となったAさんの孤独な生活が始まる。退職前も後も何一つ家庭の仕事をしてこなかったAさんは、毎日の主夫業に追われる羽目に陥ってしまった。外でたまに会えば「忙しい」「忙しい」と繰り返すばかりだ。何せ「朝食を3時間かけて作る」と言われるので、唖然として言葉も出ない。夕食どきのご飯を保温しておくか、ラップに包んで冷凍しておけば、いつでもご飯は食べられる。後は納豆やら目玉焼きに野菜を加えたら十分と思われるのだが、聞く耳を持たないから余計なことは言わないことにした。
認知症の患者は「自分がどんな病気か察していない」から、無理やり説得を試みてもいけない。そんなことで、優しく対応することが大事と思われる。少しでも進行を遅らせるためには、家に閉じこもらず人と接触し話相手になってやることが大事と考え、
BさんはAさんを団地内での月に一度の「おしゃべり会」に誘うことから対処することにした。
この「おしゃべり会」は発足して10年近くにもなるが、総人数はあまり増えていない。団地内の掲示板などで、特に一人暮らしの方などに参加を呼びかけているが、参加者は増えず人数は固定化してきた。当初は女性が圧倒的に多かったが、現在では女性が10名で男性が8名の構成になっている。このうち、奥さんを先に亡くし一人住まいの男性は5名で半数を超える。この方々は活発に行動されているためか、元気そのものである。一方女性側では伴侶を亡くした方が2名、二人住まいではあるが旦那様が認知症などのため介護に追われている方が4名おられる。
AさんはBさんに誘われるよりも、女性陣に誘われた方が出席率は良い。これは異性に関心があると言う意味では、まだ結構なことと言える。
2年近く前に、K団地からほど近い所に心ある女性が「サロン」を開店した。誰でも気軽に出入りできるように配慮したものだが、内容は脳トレと言うべきか健康マージャンが主体となった。BさんはAさんを「サロン」に連れ出し多くの方々との交流を画策した。ここでは女性の参加が多く、楽しかったかも知れない。Aさんも、現役時代にはかなりやっているから、月一度のマージャン大会でも優勝経験がある。
大会が終わると、次回大会の参加者名簿に記入するのが常となっていた。Aさんは自分でその名簿に記入するのだが、次月にはそのことを忘れてしまい、当日になっても姿を見せないこともあった。そんなときはBさんはてんてこ舞いの忙しさになる。4人の倍数にならないと、大会は成立しなくなる。
高齢者になると物忘れは誰にでも現れる症状だが、認知症による物忘れとの差は典型的な例として次のような例え話がある。高齢による物忘れでは「朝食に何を食べたかを忘れる」ことが多いが、認知症の場合は「朝食を食べたことを忘れる」。
Aさんの場合は典型的な後者である。これは前回も触れた。「おしゃべり会」にしても、近くの自治会の老人クラブのサークルでも、お花見や食事会を催すことが多い。これは参加者人数分の食事を用意するので、定められた時間に見えないと幹事役の方は大変困る。Aさんの場合は前日に確認したのでは、全く当てにならない。一夜経てば完全に忘れているから、当日の朝に確実に伝えなければならない。そして同行して、定められた場所に行く。
今、鎌ケ谷市でも高齢者スポーツとしてはゲートボールは完全に姿を消した。手軽に多くの方々が参加出来るものに「グラウンドゴルフ」がある。道具はクラブとボールが一つあれば出来るから、このスポーツ人口は益々増えている。
Bさんは、この屋外の運動にもAさんを連れ出した。当初は面白がって参加していたが、あるときから参加が難しくなってきた。ある日、このグラウンドゴルフ(略称;Gゴルフ)にいつものようにBさんの車で行くことになっていたが、当日駐車場で待っていてもなかなか現れない。やっと電話が通じると、「クラブはあるがボールが無い」と仰る。その日はBさんの予備のボールで、何とか時間に間に合わせた。帰りにスポーツ店に寄り、ボールを一個購入した。これで次からは大丈夫と思ったら、次回も「ボールが無い」と言われる。ここにきて、Bさんも精根尽き果てGゴルフへの誘いは止めることになった。
Aさんの一番の趣味は囲碁であ。K団地の囲碁サークルは、毎週日曜日の午後1時30分から行っている。不思議なことに、Aさんはこれだけは忘れる事なく、NHKテレビの囲碁番組が終わってから必ず顔を出す。少し弱くなった感じはあるが、五段格として未だ打てる。変わったことと言えば、勝負に淡白になったという事だろうか。
Aさんは現在、週に3回ディサービスで外出する。漏れ伝わるところでは、その行き先には囲碁を嗜む方がおられるとのこと。そんなことで、ディサービスを楽しみにしているように見える。また、週に2回はヘルパーさんが来られるので、スーパーなど外で見かけることは殆どなくなった。身体の調子も良さそうだし、以前のようなトラブルの話もBさんにも管理人の方にも来なくなった。とにかく、日曜日には必ず囲碁に来られるから、我々の心配も殆ど無くなったのは何よりも嬉しい状態と言える。
前半の「おしゃべり会」の中で、奥さんが旦那様の面倒を看ている例を取り上げてみよう。一つは徘徊が多いことがある。今は寒いのであまり見かけないが、団地の中をフラフラと何をする訳もなく歩いている男性がおられる。何回も顔を合わせているが、Bさんに挨拶するわけでもない。人畜無害ではあるが、時々行方不明になり奥さんを困らせている。この方の奥さんは既に割り切っているようにも思われ、「おしゃべり会」でも愚痴が出なくなった。家庭内での出来事は詳しく聞いたことがないが、まずまず安定している様子が覗える。
もう一人の奥さんのほうは、その旦那様と一緒に奥さんの運転する車で同じ病院に行ったこともあり、家庭内における多くの状態も充分にお聞きしている。見かけは普通人と変わらないが、大変な大酒のみで家に酒類が置いてあれば皆飲んでしまう、と言われる。酒がないと醤油とか麺つゆなど水分の含まれるものは何でも飲み始め、暴れる。これでは隣り近所の迷惑になるため、奥さんは酒を水で薄めて飲ませている。本人が気づいているかどうかは不明だが、ちょっとおかしいとは思っているらしい。
こんなことの連続で、奥さんはストレス解消策で間食が増え、大変な肥満体になってしまった。Bさんが「気持ちを楽にして」とアドバイスしても、益々肥る一方となり、ディサービスどころではなく、一か月に7日から10日間、老人福祉施設に預けている。施設では酒は飲ませないのに、何とか生活出来ているが、帰ってくると元の旦那様に逆戻りでサッサと酒を買いに行く。一日に五合は飲むから、一升ビンは二日でカラになる。これでは奥さんも持たない。
認知症になった方に対する対処の仕方を、あるページで見つけた。それを書きならべてみよう。
認知症になった人が望む暮らし
それは、「普通の暮らし」なんじゃ。そして、自身のプライドも、幸せに暮らしたい、自分らしく生きたいという思いも、みんなと変わらないんじゃ。つまり、自分でできることは自分でしたい。でも、できないことは助けてほしいと思っておる。であるから、家族や見守る人は、見極めが難しいと思うが、“適度なお世話”を心がけることじゃ。
具体的には・・・
●物忘れを責めない。
●認知症の人の意思を受入れる。(寛容な対応 : 否定しない)
●何を不安に思っているかを知り、解消に努める。
●その人の持っている能力を奪わない。(引き出す)
●生活環境の整備。(暮らしやすい工夫など)
●簡潔な情報伝達を。
●ストレスの軽減を。
●閉じこもりにならず、人と関わりを(孤独にしない)などが大切なんじゃ。全てを完璧に実行するのは難しいかもしれんが、できることからやってみることじゃな。
上記の意図するところは、筆者も同意見だが、「言うは易しで、行うは難し」。いずれは、自分の身にも降りかかる可能性のある認知症。介護される側も介護する側にも難題が控えている。自らの親も最後は認知症で、同居する娘に毎日叱られながら、この世を去った。今頃は、「娘よ、ゴメンネ」と謝っているのであろうか。(C・W)
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