ライター 千遥
疎開先がそのまま故郷になってしまった栃木の田舎町では、クラスが違う生徒の住まいや家族構成などまでもが、すべて分かるほど開放的なところがあった。誰それさんの家は白壁の蔵に囲まれた大金持ちだとか、八百屋さん、薬屋さん、小間物屋さんなど、生徒一人ひとりの生活状況は自然と分かっていたし、その兄弟姉妹などとも仲良く遊んだものであった。一方振り返って、団地生活で最も難しい問題点は、近くに住みながらお互いに非常に疎遠な関係にあることであろうか。
これは前号でも述べたとおり、鉄のトビラ一枚で個々の家庭が分離され、今の言葉で言えば「個人情報」が全くといってよいほど、外部には一切漏れてこないことである。身体障害者や、何らかの病気で通院の難しい家には定常的にタクシーが迎えにくる。また、いくつかの病院からはディサービスの小型バスが朝晩の送迎でやってくる。ときには救急車や消防車などが来ることもある。これらの事例を見て、私は、どれだけの住民が関心を持っているのか甚だ疑問に思うことがある。
最近の新聞や雑誌・書籍などで目をひくものは、やはり高齢化社会を背景にした認知症の問題がある。アルツハイマー型の認知症には、遅かれ早かれなるものと覚悟はしているものの、出来れば死の直前までは罹患したくないものである。しかし神様はみなを平等には扱ってくれない。
K団地に住むAさんは5年ほど前に奥さんを亡くし、現在は一人暮らしをしている。このAさんが典型的な認知症になってしまった。これまでも表情や服装、言葉づかいなどにおかしな点が見受けられたが、昨年の2月、あきらかに認知症の症状を見せ始めた。2月のある日、AさんからBさん宛てに電話が入った。団地囲碁サークルの中で一番親しくしていた事があるのだろう。その内容は次のようなものだった。順番は前後するかも知れないが、列挙してみよう。
1.最初の電話は、「風呂が壊れた。参った」。「仕方ないから、近くのスーパー銭湯にいつも行っているよ」。という話だった。日頃から彼の行動や話しぶりに疑問を抱いていたBさんは、まずは事実確認のために、団地の管理人と団地内に住む現役のリフォーム業者と共に、彼の家を訪ねた。浴室はBさんと同時期にリフォームしたもので、同じ業者が行ったものだった。ここで一目見て分かったことはガス管の栓が閉じられたままになっている。これではお湯は湧かない。同時にお湯の出る栓も閉じられたままであり、両方とも最近使われた形跡はなかった。
Aさんは風呂に入るためにどうすべきか、すっかり忘れていた。それでガス管を開き給水管を回してお湯の出る事を本人に確認してもらった。これで、とりあえずは本人も了解したものと考えたのが大間違い。翌日ふたたび、電話が入った。「風呂に入れぬ」と同じことを言う。また3人で行ってみれば前日と同じで何か操作した気配はない。前日聞いて見たことをスッカリ忘れているわけだ。おまけに風呂が故障したしたと思いこみ、市内の風呂修理業者にガス管などの修理を注文していた。別に壊れていないのに、注文書には実印まで押してある。
これはイカンと、その業者に修理のキャンセルをするよう言い渡した。翌日、本人に確認すると業者には連絡していないことが分かった。これはまずい。壊れてもいない風呂を修理するという業者は、何たることか。3人は修理すると言う日に先回りして、Aさんの家で待っていた。ほどなく風呂修理業者が若者二人で現れた。しかし既に風呂の状態を確認済みの我々は、申し訳ないが何も壊れていないからお引き取りを願った。この時点では、実印を押した注文書まで業者に渡っていた。従って、彼らは修理交換部品や全ての段取りをしてきたのだが、頭をさげて帰ってもらった。これで、二十数万円もの無駄な費用を何とか節減出来た。注文書を取り戻すべきだったが、それは失念してしまった。しかし以降何事も無かったのは幸いである。
正常に作動している風呂を確認したのか、しなかっのか不明だが、正常者と思われぬ方の注文をそのまま受けて、調べもせずに工事をしようと企む業者は許せない。
人は皆、高齢期に入ると忘れっぽくなる。顔は覚えていても名前が出てこない。認知症の始めも物忘れから始まる。これはよく知られたことである。認知症によるものか、高齢による普通の物忘れかの判断に使われる例えに、「朝食に何を食べたか」「朝食を食べたかどうか」が問われることが多い。前者は単なる老人の物忘れと言われ、後者が認知症の判断に使われる。
2.Aさんの病状は益々目に余るものへと進んでいく。単なる物忘れ現象からドンドンとエスカレートしてきた。ある日は、「階段下の郵便ポストのカギが壊された(通常は、ここに施錠する人はいない)。玄関ドアのカギも壊れている」と進む。近所の金物屋さんの話では、「自分でも破ることは出来ないよ」との話である。しかしAさんの話はさらに続く。「銀行のキャッシュカードが全部ない」「通帳もない」「有り金一切無くなった」。明日からどうして生活していけるのか、なーんて言うことになる。だが、お金や通帳のことになれば、Bさんは一人で彼の家を訪れるわけにはいかない。少なくとも管理人の方と一緒に行く。そしてAさんの言われることを確認する。山のように保持しているカードや古い銀行の通帳から現在活きている通帳を探し出す。このような根気のある探し物をして、すべてAさんの手元にあることを確認した。予め予想されたことだが、本人が何処に置いておいたか、忘れていることを探しだし確認することに尽きる。
なにゆえに一人ポストに南京錠をかけるのか分からないが、そのカギも錠も本人の手の平にちゃんとあった。
3.こんなこともあった。長年乗りなれた車が無いと言われる。盗まれたというから、彼の駐車場に行ってみれば、ちゃんと駐車されている。Bさんには彼の言われることの真偽は概ねわかったが、行政との接触・交渉には権限もない。それで近くの公団に住む娘さんを割り出し、やっとAさんの状況を伝えることが出来た。娘さんは子どもさんはいるが、単身であり、夜遅くまで働いている。息子さんは山梨県の富士市に住む。とにもかくにも、お二人との連絡が取れて一呼吸おいた。
行政との話は詳しくは分からない。しかし娘さんが医師の元に連れて行き、家族としてはAさんの全貌はつかめたようである。だが、それぞれの事情があり、Aさんは依然として一人で住んでいる。病院に娘さんと行く場合も、「70歳を超えたから一人ではなく二人で行かねばならない」と、病院側から言われた、と述べるのみだ。自分の病状をまるで分かっていない。このために、Bさんは毎日のように彼の言動に振り回されている。
4.現在、車の免許更新では高齢者に対しては上図のような予備試験が行われる。これにパスしなければ新たな更新は出来ない。父の状況をみて、息子は車を自宅に引き取った。Bさんは、Aさんの免許証返上のために警察に同行し、市役所での住民基本台帳のカードの取得をした。かくして車による事故は以後未然に防ぐ体制が出来た。いまは自転車でスーパーなどへの買い物に行く。しかし自分ではっきり認識している店は、駅前の生協と自宅近くのヨークマートのみである。その途中にある店舗や新聞店などは殆ど覚えていない。
何処かへ案内する場合も電話では、まず通じない。昔からよく知っている筈の殆どの店を忘れており、行く道筋も教えても分からない。このような状況からしてBさんは一緒に彼を連れていく状態になっている。近頃は娘さんの手続きによって、週に2回位はヘルパーさんがおとずれているらしい。しかし本人は、何をしにヘルパーさんが来るのかも分かっていないようだ。
5.Aさんの日常生活は、概ね想像出来る。会うたびに同じことを何回も繰り返して話すからだ。一日三度の食事づくり、洗濯、掃除が普通の主婦の三大要素だろうが、彼は掃除は殆どゼロ。洗濯も一人だけだから少ない。ご本人がはっきり認めている。いつも嘆くのは食事づくり。高齢化してくれば、そんな豪華な食事を毎度作る家はないだろう。彼は食事を作るのに「2〜3時間もかかる」と言う。大変だ!大変だ!と毎度仰る。Bさんは朝食はご飯とみそ汁を主体に納豆とか卵焼き、それに野菜類で良いだろう。昼はパン食で充分だ。夜食に時間がかかるなら、生協からの宅配食を定期的にとるとか、近所の食堂で済ませば変化もあって良いのでは、と進言しても聞く耳を持たない。あるとき、スーパーで見かけたら、缶詰類ばかり山のように買っていた。また別のときはトイレットペーパーばかり買っている。室内を覗けば、あちこちの部屋は缶詰とトイレットペーパーがどの部屋にもおいてある。
6.彼の物忘れ、そして探し物を見つける時間は相当なものと予想される。何しろ部屋の中は何処も書類などが散在している。加齢とともに誰でも物忘れは多くなるものだが、系統的に考えると見つかることが多い。Aさんは、滅茶苦茶に探すためにパニックに陥ってしまうようだ。こうなると、約束した事などは全て記憶の何処にも存在しなくなる。「それどころではない」。と、すべてキャンセルになる。しかし孤独感に襲われ寂しくなると、「今週は何かあったっけ」と電話がくる。福祉会の催しなどは、Aさんにも確実に配布されているのに、記録もしないのか覚えていない。
もうご免だ、とBさんは投げ出したくなるが、自分を頼ってくるAさんを見捨てることは出来ない。認知症とはそういうものだ、と、割り切って真面目に対応している。
いずれはわが身に訪れるかも知れないものだろうし、いま自分に出来ることを、手助けしていくのが仲間に対するせめてもの奉仕と決めて対応する毎日である。(C・W)
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