高齢化社会を迎えて
身近な問題に取り組もう!!! 
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                                                    ライター 千遥

 
 数年前のこと、90歳を過ぎた筆者の母がまだ元気だった頃、わが団地の周辺にいつも佇む中年の女性がいた。何をするでもなく、うつろな目であたりをボーッと見ていたり、あちらこちらとブラブラしているだけだった。思えば、これが痴呆症と呼ばれていた現象だったことを後ほど知った。
 行動の目的などというものはなく、自分の家から出て周囲をウロウロと徘徊していたわけである。痴呆という言葉と、その具体的な行動はそれまで殆ど見た経験がなかったためか、この女性は毎日何をしているのかと思うほど、筆者も無知だった訳である。

 日本ではかつて痴呆(ちほう)と呼ばれていた概念であるが、2004年に厚生労働省の用語検討会によって「認知症」への言い換えを求める報告がまとめられ、まず行政分野および高齢者介護分野において「痴呆」の語が廃止され「認知症」に置き換えられた。各医学会においても2007年頃までにほぼ言い換えがなされている。
 認知症、あるいは認知症になる過程はどんな状況から生まれるのだろうか。それを具体的に検証してみよう。
 市内南部に位置するわが団地(以後はK団地とする)は、僅か200戸程度のマンションである。偶然のいたずらか、この認知症という言葉が広く使われるようになってから、このK団地内で関連する様々な現象が姿を見せはじめた。団地内の囲碁クラブで、小まめに我々のお世話をしてくれたSさんが奥さんを癌で亡くしてから、その日常生活に大きな変化が現れた。まず我々の世話役を降りた。いや、降りざるを得なくなったのである。息子が入院している精神病院に、ご本人が通院する羽目になってしまったのである。

 その前に、自らが運転していた車が踏切で突如立ち往生してしまい、危うく電車と激突しそうになったこともある。運転そのものが怪しくなり結局は車を廃車した。Sさんは未だ後期高齢者にもなっていなかった筈だ。一人身となったSさんは、この頃から急速に認知症が始まったようである。

 リハビリのためか、一人で杖をついて歩く姿を見て声をかけても、返事もこなくなった。毎日何をするでもなく、病院に通うだけの生活だつたようだが、歩くことも次第に困難となり、そのまま団地内から姿を消した。静かにこの世を去ったわけである。

 我が国では65歳から高齢者と格付けされているが、筆者はそうは思わない。長く続く不況のせいもあるが、企業は給与の比較的高い年齢層を退職規定どおりに辞めさせることが多い。いまや、65歳は現役と何ら変わらぬ仕事が出来るし体力もある。100歳以上の方々が全国で5万人を超える時代だ。それなのに、働きたくても働けない。そんな背景があるのかも知れないが、このK団地でも続々と顔見知りでない男性が増加してきた。直前まで、朝早くから夜遅くまで働いていた人たちと考えてよい。そんな世相を前取りして、女性群有志5人が「おしゃべり会」なる集いの場所を立ち上げた。

 不思議なことに、K団地では奥さんを先に亡くす所帯が多い。こんな立場になると、定年後の目標を明確に持っていない男性は急激に心身の衰えが目立つ。家の中に話す相手がいれば、意見が合わなくて気まずい場面が生じることがあっても、まだ何とかなるが、一戸建てならぬ団地の建物では成人し結婚した子どもたちと一緒の二所帯生活はままならず、一人さびしく過ごすことになる。食事もそこそこにテレビ三昧となるようだ。この孤独な生活に元気をあげようというのが「おしゃべり会」の大きな目的であった。
       


 この「おしゃべり会」が生まれたのが平成19年の1月、早いものでもはや5年の歳月が過ぎた。では会は今、どうなっているのかである。6年目に入った「おしゃべり会」の現状はどうであろうか。現在登録されているメンバーは約20名である。この中で男性は6人であり、うち4人は一人暮らしだ。年月の経過や、高齢化進展の割にはメンバーの増加はあまりにも少なすぎる。伴侶を亡くした男性は極端に孤独になる。これまで一緒に生活していた奥さんはいない。当然ながら、誰とも話すことがなくなる。毎日の三度の食事から洗濯・掃除まで、全て自分一人でしなければならない。一人住まいとなった高齢男性の家の中を見れば、どんな生活をしているのかが歴然と分かる。ここに最大の問題点がある。

 一方女性側の参加者は14人となる。こちらは旦那が脳梗塞やアルコール依存症などで、まともな生活をしていない例が多い。一人で放置しておく訳にはいかない。それぞれの話を聞けば、真にけなげな献身ぶりに女性の強さを感じる。淡白で弱みを見せたくない男性と比べ、女性は粘りづよく芯が強い。

 おしゃべり会の発起人は女性たちである。男性の病人が増えたことや、孤独でテレビばかり見ている男性を救いたいとの願いがこめられている。おしゃべり会の会合は月1回だ。その案内は毎月全戸のポストに配られる。また掲示板にも張られている。しかし、積極的に出てくる男性は殆どいないのが現状である。おばちゃんたちと、顔を合わせるのが恥ずかしいのであろうか。それとも、会社におけるプライドなんかを、未だに引きずっているのだろうか。

 近頃は団地内に毎日、ディサービスや病院の送迎車がいくつも入ってくる。皆、なにか問題点を抱えているのだろう。そんな悩みを、お互いに話し合う機会を利用したら良さそうなのに、そんなことはしない。あるとき、一人住まいの方が亡くなって、警察の検視が行われたことがある。誰にも看取られずに1週間も放置された挙句の孤立死の発見である。個人情報保護法などが出来てから、近隣の人々との情報も少なくなった。そして、付き合いも段々と減少しているのが実態である。寂しい老後を迎えないためには、人との交流を避けてはならない。昔の井戸端会議のように「たわいない、おしゃべり」が孤立化や孤独化を防ぎ、元気な老後を過ごすための必須の条件と言えよう。

 団地の住民皆さんがドアの中に閉じこもらないこと、そしてより開放的に自己の悩みなどをオープンにすること等が健康で楽しい老後を過ごすための第一歩と考えているが、皆さんの意見が吸いとれないのが団地生活の悩みである。