ライター千遥


魯迅記念館


  1月30日は早々に朝食のバイキング料理をすませた。そして、最初の訪問先である魯迅記念館の場所やバス乗り場などをホテルの従業員に確認する。しかし周恩来祖居もいかねばならぬから、バスは取り止めて人力車に切り替えることにした。
 何しろわずか10元(150円)だから、乗り始めると止められない。あっという間に魯迅記念館に着いた。チップは不要だからお札を一枚渡して降りる。ちょうどそのとき、記念館の前で中国人父子とバッタリ鉢合わせることになった。別にぶつかったわけではない。なんとなく顔をあわせた感じである。
  彼(父)は、春節の休暇を利用して、偉大な革命家であり文学者でもある魯迅の業績を知らしめるために、一人息子を連れて紹興にきたようである。
 
  そんなとき、一人の日本人が中国の英雄・魯迅を訪ねてきたことを見つけ、格別な親近感を抱いたに違いない。彼はカメラは持参してはいなかった。それで私が撮ってあげたり、私も写してもらった。あまり長い時間を一緒にしたわけではないが、お互いに好感をいだきつつ別々に館内の見学にでかけた。
 
  私が帰国後に写真とともに、幼稚な中国語で書いた手紙を送ったら、さっそく返信が送られてきた。まことに達筆な文字で、また格調高いものである。中国語教師に見せたら、「この人は、かなり地位の高い人に違いない」とのことだった。
 同封されてきた2枚の名刺によると、「長江水暖経営部 経理(社長)」と「長江委陸試験管理局招待所 所長」となっていた。
 
 その姓は「shihu de hu」、残念ながら日本の漢字では表現できない。名前は「dou zheng (争栄)」である。 また、水利部長委陸水工程局の便箋に書かれた彼の手紙にはこうあった。

「尊敬する○○先生 こんにちは。あなたからの写真が届きました」。
「再び訪中されることを歓迎します。次に来られるときに、またお会いできることを希望します。一人で中国に来られるとは、まことに素晴らしい友人です」。

「あなたは、まさに中日友好の民間の使者です。あなたが有する中日友好と中国文化に対する熱情に深く感謝します」。
「世代を超えて中日友好が進むことを願うし、もし私が日本に行く機会があれば、あなたのところにもお訪ねしたい」。

「現在中国では新型肺炎(SARSのこと)が流行しているが、報道されているほどの事はありません。私たちの住むところでは、もう発生していないし、既に鎮圧されました。病人も減少しつつあります」。

「私はもちろんのこと、中国人民は日本国政府および日本人民の支援に感謝しています。新型肺炎はきっと制圧されるでしょう。あなたや故郷の家の人々が皆幸せであるように....」。    2003.5.9 と記されてある。
 


 ちょうど1年ほど前に上海の魯迅記念館も見ているが、魯迅が偉大な人物であったことを改めて認識するとともに、中国国民の先人に対する崇拝の心の深さを強く感じた。
 日本に国土を蹂躙され侵略された国家としては、その事実を子孫に長く伝えていくことが重要なことと位置付けされていることが分かる。その一方で、日本国民との接触を大切にし、友好関係にあった事実もしっかりと残していたのが印象的である。

 魯迅は日本留学中に仙台の医専で学んでいる。その教えを受けた教授や在上海の内山書店店主との交流などは、魯迅に大きな影響を与えたことがよく分かる。しかし日本軍閥による悲惨な事実もはっきりと区別し展示するのが、中国側の一貫した姿勢である。



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正月まであと2日である。街中の装いも一段と装いを新たにしつつある。大きな建物ほどきらびやかさが目立つ。スーパーーも銀行も、そしてデパートも新年への思いは強いのか。 ある一角で面白いものを見つけた。建物に大きく「年」という文字を書いた垂れ幕が見えたのである。近寄って、よくよく眺めると、周囲に新年の挨拶がかかれてあり、ちょうど真ん中に粋な和服の女性が描かれている。まるで浮世絵から抜け出てきたような美女が一人微笑んでいる。

   (左右の写真にマウスでクリックすると、はっきり見えますよ)

これはなんだ。欧米人の言葉を借りれば、芸者ガールという意味なのかな。中国で、このようなものを見たのは初めてである。ちょっと情けない話である。日本のイメージを表すのには、これがもっとも手っ取りばやい、ということなのか。 「湯の郷日式浴場」と書かれているが、ほんとうに、風呂の故郷は日本なんだろうか。 
 
要するに銭湯なのである。だが、日式と中式の銭湯はどう違うのか。入浴して確かめたたかったが、何しろ時間がない。後ろ髪ひかれる思いで、後にするしかなかった。考えてみれば、まことに残念なことであった。

 早々に周恩来のところに行かねばならない。またまた、人力車のお世話になることにした。(つづく)