ライター 千遥
2003年の幸せを願う |
まず出発便を1月28日成田発 9:45の全日空NH919便と決め、帰国は2月7日上海発
13:15の全日空NH920便として搭乗券を購入することにした。実のところマイレージの全日空では、このほかに後一便しかなかったから必然的に決まってしまったのであるが.........。次はこの10日間の日程の調整にかかる。
上海駐在の朋友であるKさんと上海水産大学の梁先生との数回のメール交換を経て、最終的な旅行日程を作成した。この間いろいろな問題もあったが、お二人のご好意によってスムーズに進んだことは言うまでもない。今回の訪問先や宿泊先をどう定めるかで、現地の方にお願いすることも変わってくる。これらはすべて、現地事情に明るいKさんの助言を素直に受け入れて決めた。
結局のところ日程は次のようになった。
1月28日(火) 成田発 9:45 上海着12:05
29日(水) 上海発 紹興へ
30日(木) 紹興発 上海へ
31日(金) 上海市内
2月 1日(土) 上海から周荘観光
2日(日) 上海発 無錫へ
3日(月) 無錫市内観光 南京へ
4日(火) 南京市内観光
5日(水) 南京発 上海へ
6日(木) 上海市内
7日(金) 上海発 13:15 成田着16:50
上海での宿泊先は、梁先生のご紹介による「上海泉山大酒店」に6泊することにした。ここが今回の私の根城となったのである。紹興と無錫にそれぞれ1泊、南京には2泊することになった。
メールでは先生に、「私一人だけですから、エアコンがあって、シャワーがあれば結構です」と、伝えてあった。梁先生は充分に、当方の庶民性?を汲んでくれたようである。料金は素泊まりで一泊165元(日本円で2,500円程度)だ。これは大学の招待所(宿舎)並みの安さであり、先生の自宅まで徒歩10分位で行ける至近距離でもあった。
前年の経験も踏まえ、衣類も極力少なくし、さらに電気カミソリなどの電気製品の携帯も減らした。電圧の違いによってアダプターなどの余計なものが必要になるからだ。おかげで空港における荷物検査も楽々とパスした。人間というものは最初は用心深いが、2度目になると脇が甘くなる。この点を忘れぬよう絶えず心にきざみつつ出発したのである。
日本への留学の学生たちや、仕事で日本に住む中国人の方々が、一斉に帰国するのが中国の正月(春節)である。だが、搭乗し周囲を見渡してみても、そんなに混雑していないのだ。私は三人が並ぶ座席だったが、真ん中の一人が来ないからゆっくりとスペースをいただいて、久しぶりの空の旅を楽しむこととした。お隣りのオッチャンは50歳代、どうもビジネスマンらしい。真剣に何やら読書に没頭しているようだった。そんなことで、私は余計なことは一切話さず干渉せずに、自分の世界にひたることとした。これもまた優雅な旅というものかも知れない。
周りを見回しても、春節で帰国する感じの中国人はそんなに見受けられない。もう帰ってしまったのかな。
まあ、いいや。当方は、前方のテレビモニターなどを見ながら日本から離れ行く航空機を観察していた。その画面から、あらためて北京と札幌、上海と鹿児島とがほぼ同じ緯度にあることを確認する。離陸後まもなく 11,900m(3,900feet)の高度に達した。温度は−45〜49度、飛行速度642〜657km(399mile)/hなどと表示されている。出発は45分遅れている。当然上海到着時間も遅れるとのアナウンスがされている。そんなことを聞きながら、モニターを見ていると飛行機がガタガタと揺れ出した。でも、誰も気にしている感じはない。みな心配ないのかなぁ。
機内食を頂きながら、白ワインを飲む。日頃は焼酎ばかり飲んでいるがワインもいいもんだなぁ。ということで、2本目の小ビンを注文する。ホロ酔いかげんで乗っているのはとても気分がよい。でも飲みすぎてはいけない。飲んで乱れるのは日本人の特性らしいからなぁ。
モニターは刻々と日本上空を過ぎていく模様を写している。東京ー静岡ー名古屋ー岡山ー呉ー広島ー福岡..............そして愈々長崎を超え一路上海へと向かう。そのときモニターの画面からおかしな文字を見つけた。East China Sea と表示され、漢字で「東シナ海」と表示されているのだ。
私は、「支那」という言葉は現在では存在しないものと思っていた。ところが中国に向かう航空機の中で堂々と使われている。帰国後に世界地図を見たら、やはり東シナ海と書かれている。でも括弧書きで「東海」と書かれていた。日本では東シナ海と呼び、中国では東海と呼んでいるものと解釈したが、たぶんそうなんだろう。
今は冬なのに.......でも外の日差しは眩いばかり。3時間の搭乗はまもなく終わりそうだ。やがて乗務員が入国カードを配布しはじめた。中国語と英語のどちらかを選ぶ。書く内容はたいしたものではないから、どちらでも良さそうだが、中国人(香港・アモイ・台湾人を含む)は中国語で、外国人は英語で書かねばならない。さっさと書いて到着を待つ時間は、国内旅行とはちょっと違う感覚がするものだ。心が何となく高鳴るせいだろうか。
いよいよ1年ぶりに上海に来た。たった2度目の上海なのに、何回もきたような感じで税関や入国審査を通過した。預けたバッグを受け取り真っ直ぐに出口に向かうと、出口の正面で懐かしいKさんが手を振っている。こちらも負けずに懸命に手をかざす。Kさんとがっしり握手して再会を喜び合う。Kさんは日本企業と現地中国の合弁会社の日本人代表みたいなものだから、専属の運転手がつく。運転する張さんはまだ若い。元タクシーの運転手だから当然ながら運転はうまい。高速道路をバンバン走り抜け、目指す上海泉山大酒店まで無事に届けてもらった。
上海泉山大酒店ロビー |
その日は、朋友のKさんと一緒に夕食をとることになっていた。Kさんは後ほど迎えにくると言い残し、とりあえず会社に戻っていった。そのあと早速、梁先生の家に電話を入れたら、先生は待っておられたようですぐに日本語が聞こえてきた。そして間もなくホテルこられたが、私の記憶と異なり、かなり若々しかった。昨年の短期留学の時には2回しかお会いしていないから、私の記憶はかなりおぼろげだったわけである。
梁先生からみれば、20歳代の若者にまじった一人の老人?はかなり印象に残ったのかも知れないなぁ。夕刻になったらKさんが迎えにきてくれた。そして、夕食の場所までタクシーで行く。薬膳料理で評判のよい「月善坊」に着き、ホッと一服したとたんに、「○○さん、お久しぶりです」と、うら若い中国人女性が現れたのである。(つづく)