上海紀行
Part4

ライター:千遥

 招待所とは、大学を訪れる地方の中国人や我々のような外国人留学生などが上海で宿泊する施設である。
招待所には旧館と新館の二つの施設があり、どうも我々は旧館に宿泊したようである。
各階ごとに一人部屋 (単人房=シングル)や二人部屋(双人房=ダブル)などに分かれている。我々留学生はみな二人部屋で、予め希望するメンバーや年齢差の少ないメンバーごとに分けられた。


大学構内の毛沢東像

あとで分ったが、5階以上は4人や6人部屋の学生寮になっていた。大学生はすべて全寮制なのだ。
私は4階で朋友と同室である。エアコンもあり、西洋式のシャワーつきバスルームもある。
洗面道具やタオルなどもあって、「まあまあだな」と思った。
しかし造りが古いので、室内の建具は閉まらないものもある。
窓ガラスも一枚だけだし、カーテンはあるが、その隙間から外の冷気が入り込んでくる。
だから寝る際もエアコンはつけたままにしておいた。
風邪でもひいたら、せっかくの上海生活を楽しめなくなる。

お茶の用具も用意されていたが、熱水を入れたボトルは床の上に置いてあった。
それは、魔法瓶にコルクの栓がしてあるだけの単純なものだったが、毎日取り替えてくれるから有難い。足りなくなればいつでもカウンターで熱水を受け取れる。


熱水の入った魔法ビン

部屋で落ちつき荷物を整理し、一服し寛いだあと、出張で上海に滞在中の千葉・習志野中国語教室の朋友である石川氏の携帯に電話を入れた。
すると、すぐに懐かしい声が響いてきた。
到着したら直ぐに電話することになっていたのである。
その日は一緒に夕食をとることになっていた。早速外に出てタクシーを捕まえると、上海市中心街にある石川氏の事務所所在地のホテルに向かった。錦江飯店である。

タクシーの運転手に、ワープロで作成した地図を示すと直ぐに理解したようで、ドンドン走り始めた。段々と街の灯りが明るくなってきて繁華街にきたことが分る。
ところが「もうそろそろだな」と思ったが、さっぱり着かないのだ。タクシーのメーターの上がりかたが早く感じてくる。
ちょっと心配になってきた。
目的地まで40元(600円)程度と聞いていたのに、なかなか到着する気配が見受けられない。
上海で一番安全なタクシーの乗り方は、「タクシー乗り場で乗ること」と聞いていた。
安全な上海でも、なかには悪質な運転手もいて慣れぬ観光客を遠回りして連れて行くこともあるらしい。
そんなことを避ける手段があるそうだ。
運転席の右隣に、運転手ナンバー?の数字のみが記入されたプレートが貼ってある。
この7桁か8桁の数字を左から声を出して読むのだ。
「3598456」ならば「サン、ウーゥ、チュウ、パー・・・」などと読む。
インチキをやった場合には、この番号が決め手になって運転手が捕らえられるという。
私も試みにやっていた。そのうち、メーターは既に52元に達している。

この頃から運転手の様子がおかしくなってきた。
場所を特定できていない様子がありありと見える。運転手は52元でメーターを止めた。
それから地図を何度も見ながら、華やかな街中を右に左に曲がって30分ほどもホテルを探す。
どうやら地方から出てきて間もないことが分った。


外灘付近の交通

やっと見つかった時は運転手も頭をかいて申し訳なさそうであったが、当方も「済まないな」とは思ったが予定していた40元しか支払わなかった。
運転手はそれで充分納得したようである。

一方石川氏は、あまりにも遅いのに心配していたが、経緯を話すと、上海では「それでよい」とのことだった。
因みに帰りのタクシー代は39元だったのである。
著名な錦江飯店を知らないとはおかしい。と、その後何度も話が出た。

ホテルに向かって歩いていく途中で、レストランのお姉さん(小姐)から「いらっしゃい」などと日本語で声をかけられたが、先を急ぐ我々はお姉さんと話している余裕がない。
それで「バイバイ」と手を振って進み、やっと到着した。
日本語で話し掛けられたのは、この後にもあまり無かった。
石川氏は秘書の王さんと共に出迎えてくれた。
そして上海では数少ない北京ダッグの店に向かうことになる。

(続く)


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