上海紀行
Part3

ライター:千遥

 やっと思いだしたことがある。上海到着のその夜に食べたものに中国的面条 (ウドン)があった。メニューが分らないので、隣の中国人が食べていたものを見て注文したのだった。
そこの親父さんが注文を承ると若いコック?がすぐに作り始めた。

粉に水をかけて丸めた固まりを高く跳ね上げたり下ろしたりしているうちに、適度な厚さになってしまう。これを包丁で素早くそして巧みに細く刻む。日本式にいえば手打ちウドンである。だが出来上がったものは、食べ慣れぬ私には必ずしも美味しいとはいえないものだった。

 麺そのものに味が無いのと、汁が経験したことがない何かおかしな味だったからだ。
しかし、これは私だけの問題だったのかもしれない。

 上海・蘇州・杭州などに2週間ほど滞在して中国菜をいろいろ食べたが、コイン1枚の1元の「おにぎり(お餅を竹の皮で包んである)」でも全て美味しいものばかりだった。
残念なことに、その名前は忘れてしまった。

 ホテルは、日中文通クラブが若い留学生のためにと用意されたものだから、そう高いものではなかった。が、それほど立派ともいえない。単人房(シングル)で180元(日本円で3000円程度)。

ホテルに帰ると直ぐに電話がかかってきた。誰かと思ったら、上海留学中のお世話役をする孫先生からだった。孫先生は上海理工大学の日語科の老師である。達者な日本語で全く違和感がない。後で聞いたら、「日本に行ったことはない」とのことである。

今回の留学生たちが乗ったフェリーが翌日上海国際埠頭に着くので、その前に我々を迎えに来るとのことであった。

 翌日ホテルのロビーで待っていると、めざとく私を見つけて、「渡辺先生!」と呼びかけてきた。外に出ると「上海水産大学」と書かれたバスがきている。いかに大学のバスとはいえ、随分古いものだなあ、と思った。かなり消費期間を経た感じである。食品なら賞味期限が切れている気がした。
 日本ならとうの昔に廃棄されているような車だが、最後まで大事に物を使うのが中国の風習なのかもしれない。物を粗末にしがちな我々は少し反省せねばならない。


上海国際埠頭    

(昨夜タクシーで通った道を戻る感じで、上海国際フェリーターミナルまで行 った。
 みながバスに乗り込み、これからの授業の場所となる上海水産大学に向かう。
大学はバス路線の終点にあった。

 我々日本人留学生が宿泊する招待所も同じ敷地内にある。


蘇州号

 そこで予め希望していたクラスの仕分けや教科書の配布をうけ、授業時間・食事・電話のかけ方、日常生活の注意、門限、緊急連絡先である孫先生の電話番号だった。

外線電話は0発信で市内なら無料。
パソコンは1時間6角(10角が一元だから日本円で10円程度)とのことである。
まことに安いが使用方法を知らないから結局一度も使うことはなかった。

 これは後で考えると大きな失敗だったことを知る。日本への電話は、IPカードというプリペードカードを購入すれば便利という話、これで日本との通話は13分間できるとのこと。

理工大学の正門前で売っているとの説明を受けた。額面50元(日本円で約630円)のものを30元で買えるといわれた。


IPカード販売のオバチャン

 実際には、私は同じ物を28元で購入した。
その後、いつも同じ場所(路上)にいるIPカード販売のオバチャンのところへ行くと、27.5元まで安くなった。
そばで見ていると中国人も28元でみな購入していた。

日本への電話は面白いので、招待所の自室から毎日のようにかけていた。
それで何枚かのIPカードを購入することになる。

そんなことで、このIPオバチャンとは上海滞在中最後まで付き合うこととなったのである。


(続く)




前のページへ 次のページへ