Part2

ライター:千遥

 上海での会話はタクシーの運転手から始まった。とても気さくな若者だった。先方から聞いてくることは分らない事の方が多かったが、こちらからの問いかけに対する言葉は概ね理解できた。そんなことで、到着の一日目に「これはいけるかもしれない」、との感触が多少なりともつかめたのである。
 タクシーは上海の繁華街をとおり抜け高速道路をドンドン走る。ややしばらく走って高速道路をおりた。とたんに景色がおかしくなってきた。段々と周囲の景観が変わってくる。道路も狭くなってくるし、暗くなってきた。何となく気味の悪い道を走っていく。両サイドの店舗も小さくなってくる。とても綺麗とはいえない場末のような道に入り込む。しばらくの間、そんな道を走り続ける。40分程かかって、やっと上海水産大酒店に着いた。 やれやれだ。





 カウンターでは「我叫渡辺千里」と名前を名乗ってFAXで予約してあるコピーを見せた。受け取った女性は直ぐに理解して、先着している私の同学にTELしはじめた。「あなたの朋友が来たよ」と伝えているのが分る。直ぐに電話を代わってもらい屋代君(30歳)を確認した。彼は中国語の勉強を始めてから僅か1カ月に過ぎない。 中国東方 航空で先に着いているはずだった。私は往復44,000円だったが、彼は69,000円。タイミングの問題で格安チケットも随分違うものである。同じ飛行機でなかったため、ちょっと心配していたが、特に問題はなかったようである。ただ2時間も前に着いているのに、夕食もとらずに待っていてくれたのである。というよりも、一人で食事に出掛けるのが億劫だったのかもしれない。私たちは部屋のキーを貰ってバッグを置き、直ぐに食事に出掛けることにした。


 ホテルの女性従業員に「食事に行きたいのだが、どこにありますか?」と訪ねたら「出前で届ける」というようなことを言っている。男性の警備員がニコニコと笑いながら寄ってきて、「何を食べたいか?何でもあるよ」と言っているようだった。当方はさきほど中国にきたばかりで、直ぐに食べ物の名前なんか出てこない。元々どんなものか名前も知らないのだから答えようがない。で、「外で食べてくる」と言ってホテル周辺の明かりのついている方向へブラブラと歩いていった。現地の人たちは皆、この寒空にあちこちのテントの中で何か食べている。よく見ると同じような店がたくさん並んでいるのが分った。もう午後11時過ぎなのに結構そんな人がいる。我々も、とりあえずは空腹を満たさねばならない。面倒になって、外の屋台よりは良かろうと、余計なことは考えないで通りすがりの店に入った。

 扉が開けっ放しだから、外で食べるのとそんなに変わりばえはしなかったが。日本人の呑み助の常識?に従って、まずはビールを2本ほど注文してから食べ物を頼むことにした。サントリービール(三得利)だった。しかし中国菜のメニューを見ても、どんなものかさっぱり分らないのだ。適当に3品ほど頼んだ。そこの親父さんがすぐに作り始めた。まあまあ食べられる。「おいしいよ」と言ったら喜んでくれた。ご飯は「不要(いらないよ)」といって支払いをしてから外に出た。店も場末の屋台みたいなものだし、たいしたものを食べていないから、とにかく安い。店を出てやや暫く歩いていくと、さきほどの親父さんが何か言いながら我々を追いかけてきた。どうしたのか、と思ったら「ビール代を払っていないよ」と言う。不思議なことに、何を言っているのか直ぐに分った。そういえばそうだったな、と直ぐに支払った。これが上海訪問の最初のハプニングであった。親父さん、笑顔一杯で帰って行った。間に合ってよかったなあ

 ホテルに帰ると警備員の男性がまたニコニコと迎えてくれた。部屋に戻り、寝酒用にと途中で買った缶ビールを飲みながら部屋で寛いでいると、とつぜん電話のベルが鳴る。何事かと思ったら、美しい中国語で「ニーハォ」と女性の声が聞こえてきた。ずっと前からの知り合いに電話している感じだ。私は今着いたばかりで女性の知人なんているわけもない。ニーハォ以外はよく聞き取れない。でも、相手は繰り返し言うので段々分ってきた。「按摩は要らないか?」ということだった。疲れていない私は「按摩不要!」と言ったり、「今天我没有時間」なんて言ったりしていた。やっと先方が諦めた時には、当方も結構くたびれていたようである。


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