上海紀行
Part 21

ライター:千遥

   豫園の賑わい(続き)

豫園(yuyuan)近くにくると町並みにも昔懐かしい門前町の風情が感じられる。店構えもすっきりとしているし、立派なところが多くなる。女性専門店などもある。ひと際明るい店には、「女士一族」などと大きな看板が掲げられて彩りも鮮やかだ。マネキンの容姿はすべて欧米人である。これも日本と同じ。マネキンがアジア人では売れないのかなあ。写真専門店もある。観光地には欠かせない店だ。純粋の中国品をのぞけば、シェアは圧倒的にFujiフィルムが多いように見受ける。

    女性専門の衣服店

コンビニもある。コカコーラもあるし、ペプシコーラもある。コカコーラは「可口可楽」だし、ペプシは「百事可楽」だ。上手く当て字を使っているものだ。どうも24時間営業もしているようである。店の数はまだ日本ほど多くはないが、これから益々増えてくるのは間違いない。店に並ぶ商品は中国製品というだけで、店内の商品構成は日本と何ら変わらない印象を受けた。

中国でもマネキンは西洋人

たこ焼き屋を見つけた。これは「日本章魚小丸子」との看板だ。蛸の絵が隅に小さく描いてある。日本のタコは中国では魚なのか。蛸足大学などという言葉もある。これは「有多所分校的大学」というから、多くの分校(足)を持つ大学ということか。蛸足配線は「多条配電線路」。たこ焼きは1盆に6個入りで3.5元。けっこう若者たちに人気があるようで人だかりがしている。串だんごもたくさん見られる。お茶屋さんには、「老客新客都是貴客大不同茶葉」などと書いてある。馴染みの客も新客も、みな有り難いお客ということか。差別はしない、ということかな。

日本の蛸は中国では章魚だ

元佳顔料」とは何だろうか。素材の優れた顔料ということかな。「日式拉面、らあめん、正統日式小火鍋」などの看板もある。百合屋(YURI japanese Restlaunt)という居酒屋があった。入り口には黒い暖簾がかかり、日本料理、出前予約、電話などとある。赤ちょうちんが下がっている。不思議なことに、滞在中に日本料理への郷愁は全く湧かなかった。そんなことで、日本ラーメンや日本料理店には一度も入ることはなかった。でも、一度位は入った方がよかったかもしれない。

広場では、黄色い服を身につけた若者数人が親子連れなどに、これまた黄色い服を着せ、お神輿に乗せて付近をかつぎまわる。恐らくは地方から正月で出てきた人たちに違いない。陽気に騒いで、正月気分も盛り上がるというものか。近くに「湖心亭」というお茶屋さんがあった。どうも著名な店らしい。店頭の看板には、名人「登名楼品銘茶」と書いてある。各国の政界人が上海を訪れたときには、必ず訪問しているようである。そこに、歓待する中国要人と村山元総理の写真が飾られていた。江沢民主席と欧米各国要人たちとの写真もたくさんあった。

 ブラブラうろつきながら、やっと豫園の入り口を確認した。何も慌てて入ることもないから、土産物店を覗く。上海の古い写真が売られている。1920年代あたりか、租界時の町並みや人々の生活ぶりを記録したものだ。その昔、祖父の家で絵葉書などを見たことがある。懐かしい印象があるのでついつい買いたくなった。10枚が40元である。日本円で600円か。でも観光地でまともに買う必要はない。値段の交渉を始めた。服務員の男性は少しだけ日本語を話す。このようなものを買うのは日本人位かもしれない。で、他にお客はいない。なかなかまけないが、ゆっくり交渉していたら、20元まで下がった。それではと、100元札を出したらお釣りが無いとのことだ。
 ウーン上手くいかないものだ。仕方が無い。豫園の入場料を支払って帰りにまた寄るよ、と店を離れたが、結局はすっかり忘れてしまい、古い上海の写真は手元に入ることは無かったのである。



 伝統を受け継ぐ建築美術

 園内は、奇岩や池などに囲まれて常緑樹との調和も見事である。観光の米国人などがチラホラと見受けられるが、日本人は見かけない。家族連れで記念写真の撮影多い。建物の一角に貸衣装屋があった。皇帝時代の衣装を貸し出している。その煌びやかな衣装を、家族全員が身につけて交互に撮影している。男の子や女の子などは一人ずつの撮影だ。一族郎党が集合しているようで10人以上もいる。なかなか微笑ましい光景であった。
                             (続く)

 

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