コラム子どもの貧困Ⅰ・Ⅱと子ども保険構想を概観しながら、子どもの貧困対策に係る財源議論を考えてきた。現在、自民党内の検討が進められているが、「子ども保険」を中心として議論が進められているようだが、「奨学金制度の改革」で「大学までの学費を無償化していく」というような方向の議論もあるようだ。 ここで、ちょっと財源議論を離れて、子どもの貧困対策を具体的に担っていくことになるであろう、自治体での対応はどうなのだろうかを考えてみたい。これまで、自治体施策の進め方としては、担当部局によって施策を進めるという方法であった。この方法は、責任の所在がはっきりとすることから施策の実効性が担保されてきた。その反面、みなさんご承知の「たらいまわし」といわれる「縦割り行政の弊害」が強かった。 対象とする施策が複合的で総合的な問題・課題であればあるほど、「たらいまわし」の傾向が強まった。その結果として、何も対策がなされてこなかった。こうした問題は、全国どこの自治体にもあり、「我が自治体」を揶揄するものではない。 子どもの貧困対策を根源的に進めようとすれば、自ずと総合化され統合的な施策の実施体制が求められることになる。先進的自治体の先進的な施策の背景には、ともすれば独善的とも言えるような「強いリーダーシップ」が総合的・統合的な施策の原動力となっている。 子どもの貧困問題が大きな問題となってきた背景には、経済的な効率・効果だけを追い求めた結果としての「勝者と敗者」を選別するという、影の部分が際立ったのではないか。かつて、篤志家といわれる郷土の先達がいた。地域の人たちの暮らしのために、学校を創り広く門戸を開き多くの人たちが教育の光を受けることができた。現在でいえば「共助」を担い「公助」までをも担っていたわけである。また、集落でも「共助」として、生活が困難となった人たちを様々な形で援助し、みんなで力を合わせて暮らしを成り立たせてきた。 しかしながら、現在の私たちの暮らしぶりを顧みれば、人の命は粗末にされ、企業収益の向上や経済的な効率のために、使い捨てされ疲弊し絶望の淵に立たされている。昼間の仕事の後に、夜間の仕事をすることでやっと生活が成り立つような過酷な労働の上に成り立っている暮らし。 そうした実態を「自己責任の結果だ」といってしまうような強者による効率至上の社会構造。そんな暮らしのなかで「子どもたちの豊かな人生」を全うさせることができるだろうか。
政府では、基本方針として「ひとづくり革命」、「一億総活躍社会」の実現などを掲げた。こうした基本方針にそった具体的で実効性がある施策が直ちに実施されることが必要だ。福祉や雇用、保健そして教育政策を総合的かつ統合的に進める必要がある。ここで「負のスパイラル」を断たなければ貧困の拡大再生産は止まることなく広がっていくだろう。自堕落や自暴自棄になってしまい、その帰結として人の命が粗末にされるような社会を誰が望むだろうか。 かまらさん
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