ライター千遥
私は朝日新聞の購読者である。所帯を持って以来50年近くもの間、ずっと朝日新聞を購読してきた。田舎で母子生活をしていた頃、母の好みは読売新聞であった。当時の印象では朝日はお堅い新聞であり、読売は親しみやすく読み易い庶民的な新聞と感じていた。そんなイメージの朝日ではあったが、家庭を持ってから家族の評判はどちらも似たりよったりとの意見が多かった。それなら巨人一辺倒の読売よりは良かろうと、現在も朝日を購読している。
読売の新聞勧誘員は厳しい。物量作戦に負け、いっとき読売に切り替えたが、半年ほどで朝日に舞い戻った。長年の安定した顧客が他紙に替えたことで、朝日販売店の態度が変わったという利点があった。2年ほど前から、役に立たない夕刊を止めて朝刊のみとした。浮いた500円を活用して、紙面でもWebでも読めるデジタル版をメールで毎日受け取る形になっている。
そのころ、産経新聞の紙面ビュアーも購読することになる。こちらは新聞をとらずにネットで読むだけだ。料金は「週間まとめ読み=一週間は遡って読める」月間300円。新聞購読者が年々減少する中で、今年87歳になる老人クラブの会長は、朝日と産経の二紙を購読しておられると聞いた。この時節に、ご立派としか言いようがない。元皇宮警察官で昭和天皇や現天皇の警護をつとめておられた、と先日耳にした。
そのような経歴ならば産経新聞は手放せないのかも知れない。私には最左翼と最右翼に位置すると言われる双方の記事を読むことで、偏らない情報を得る目的があった。これが後々に役立つことになる。
朝日は発行部数では読売に次ぐ2である。しかし、紙面の上で疑問に思う点に関して説明を求めても、頑固に返事しない体質があるような気がする。自らの発した記事の訂正に応じない依怙地な点がある。 その一つは夕刊の題字下にある著名なコラム「素粒子」である。このコラムを執筆するのは、社内でも屈指の論説委員と言われている。
2011年に日本ハム球団への入団が決定し、鎌ケ谷の二軍球場入りをした早大の斉藤投手に関して、素粒子氏は「鎌ケ谷市はこれで町おこし」と書いた。私はそんなことはあるまいと思い、朝日宛にメールを送った。
ー中略ー
しかし、何度問い合わせても素粒子氏からの返事はなかった。この辺から、私は朝日に対する不信感が芽生えた。後述するように重大な誤りも訂正出来なかった朝日では、一購読者の意見など聞き入れる筈もなかったようだ。当たり前だが、期待したほうに無理があった。朝日新聞・中国特派員の記事では日本円と中国円(元)の交換レートを間違えていたり、中国・大学新卒者の給与なども現状と大きく違っていたりする。
慰安婦問題の本質 直視を
そして8月5日、朝日が32年間も沈黙していた誤報の訂正記事を掲載した。一面左に大きく掲載された見出し。「慰安婦問題の本質 直視を」。書き手は編集委員・杉浦信之とあった。 現在も、私は当時の新聞を保存してある。改めて見直してみる。その書かれた内容は率直に誤りを認める記述はなく、「問題の全体像が分からない段階で起きた誤りですが、裏付け調査が不十分だったのは反省します。似たような誤りは当時、国内の他のメディアや韓国メディアの記事にもありました」と、逃げている。内容を読んでもサッパリ分からない。これまで自紙で報じてきた記事に関してクドクドと書かれているだけで、謝罪の言葉は一つも見当たらない。
私はfacebookで下記のように発信した。
自らの過去の記事の過ちを率直に認め、そして謝罪すること。この一番大事なことが完璧に抜けている。ちょっと(実は重大な誤り)間違えてしまったが、それはたいしたことではない。ここで大事なのは「慰安婦」を直視すること。その本質を忘れない事と開き直っている。
通常、新聞や雑誌などで誤った記事を掲載した場合は、「お詫びして、訂正します」とその後直近の新聞に掲載するものと考えていた。その謝罪の文字が見当たらない。いくら眺めても何処にもない。NHKなどのテレビ放送では、流れる字幕などに誤りが見られると、即座にアナウンサーがお詫びして訂正している。
朝日新聞は5日付朝刊で同紙の慰安婦報道の検証記事は、その一部が事実無根だったことや不正確なことは認めて反省は表明している。具体的には個々のテーマについて下記の如く、「読者の皆さんへ」と題する説明文が付け加えてある。(主要点のみ=原文のまま)
1.強制連行
日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません。...⇒これは意味不鮮明である。組織的な連行の資料がないままに、何故に「強制連行」と断定したのか全く分からない。
2.「済州島で連行」証言
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。...⇒済州島の最初の記事は1982年に掲載され、その10年後には他の新聞や雑誌も「虚報である。或いは創作の疑いがある」と、報じている。朝日も同様に感じたはずだが、追求を怠り放置している。まことに情けない新聞社としか言いようがない。
3.「挺身隊」との混同
女子勤労挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子挺身隊」を指し、慰安婦とは全く別です。⇒慰安婦と挺身隊を混同した?? そんなこと通常は考えられない。きちんと勉強した記憶のない素浪人の私でも、まず混同することはない。多くの先輩がいて、経験豊富な記者がいて何故に混同するのだろうか。これが大新聞社の蓄積した結果なのであろうか。呆れてものも言えない。
このあと朝日は多くのメディアから叩かれる。虚報を反省したことは良しとして、その罪は継ぐわねばならない。謝罪をしないことへのツケは自らに降りかかってくる。週刊文春や週刊新潮の新聞への広告掲載の拒否に始まり、池上彰氏の連載コラム「新聞ななめ読み」の連載を断り、逆に池上氏からは「今後の掲載拒否」を突きつけられる有様となる。
朝日新聞社説と やくみつるさんの風刺漫画を朝日の状態に入れ替えてみたもの
9月4日、池上氏の「新聞ななめ読み」は遅ればせながら掲載された。池上氏は、この冒頭で「過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」と述べている。慰安婦問題についても、「93年時点で混同に気づいていたならば、その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証がありません」と指摘している。
一読者としてみると、すべての事柄が朝日側には反論出来ないものばかりだ。この内容は朝日の痛いところを、しっかりと捉えている。朝日の編集担当としては、この池上氏の投稿を掲載したくない気持ちは分かるが、それが大間違い。新聞社としての根本的な対応を誤り、メディア各社や世論の大反発をまねき、遂に社長謝罪記者会見となる。
朝日・木村伊量社長 記者会見も往生際が悪い
社長会見でも、おわびの主題は「吉田調書」の方で、「慰安婦問題・吉田証言」への謝罪はつけ足しだった。しかも一連の慰安婦報道が、国際社会に与えた影響などの検証は、社外の第三者委員会に委ねるという。外部の有識者に甘い言葉をかけてもらいたいのだろうが、どうも往生際が悪い。朝日寄りの有識者が集まって検証をしても意味がない。ここでも逃げようとの意図が丸見えである。
朝日・木村社長の記者会見は、報道関係者への突然のFAXにより通達されたという。あの日、なぜ朝日が謝ったか。政府が調書公開に踏み切ったからに他ならない。ここにおいて、もはや逃げ切れない。そう判断したことは目に見える。
木村社長の記者会見を経て、やっと朝日は良心を取り戻したかに見える。社長が謝罪に踏み切った背景には政府による吉田調書公開に加え、社長発信の内部メールが週刊文春によりすっぱ抜かれ、更には多くの記者がツイッターによって自社の対応のまずさに批判の声をあげたことが大きい。実名により自社の誤りを取り上げた記者たちの勇気を讃えたい。
朝日新聞は9月18日、従軍慰安婦問題を報じた一部記事や、東京電力福島第1原発事故の吉田昌郎元所長の聴取結果書に関する記事の取り消しをめぐり、読者投稿欄「声」の特集版を組んだ。投稿は千通を超え、多くは厳しい批判という。
18日付朝刊で、一連の報道問題を批判する読者8人の意見を載せた。9月11日の木村伊量社長の謝罪記者会見後は、すべてがオープンになったと思われ、紙面での率直な意見を載せ始めた。千通を超える読者の投稿は、わずかだがやっと紙面に反映されることになる。8人の意見のうち二つだけ下記に載せた。
朝日新聞は社長謝罪記者会見によってふっきれたように、川柳欄にもこれまで自社に寄せられた読者の投稿を載せ始めた。
● 声ひそめ 集金ですがと 販売店........
● 愛読者 つらい怒りと 情けなさ.......
● 休刊日 廃刊日かと 肝冷やす........
● さりとてもどこの何紙を読もうかな.......
これらの川柳も寄せられた投稿の一部に過ぎないだろうが、朝日の触られたくないところを痛烈に批判している。他の多くのメディアに批判されるのはまだしも、朝日の愛読者からの投稿である。これらを握り潰してきた編集担当者は、読者の声を投稿や川柳によって、しみじみと感じていたことであろう。
今、これらの投稿を載せることで、記者たちも少しは肩の荷がおりたかも知れない。
わが団地内には「おしゃべり会」や「囲碁サークル」等がある。このような場では男性同士になると、朝日新聞の虚報問題が話題になる。
一人ひとりが、日頃抱いている怒りをぶっつけ合うようなことが多い。あるとき、高齢者のスポーツでもあるパークゴルフに一緒した友人は、「俺は朝日を止めた」と公言した。長い間、朝日新聞一筋だったらしい。しかし、今回の問題で完全に購読意欲を失ったと言う。いまライバルである読売が、朝日の読者を撃破しつつあるとも言われる。一読者である筆者の問い合わせを無視した、「素粒子」氏も今回は兜を脱いだ模様だ。
この素粒子氏は、吉田調書問題を「爪楊枝ほどの矢」と言うのだろうか。或いは、また先走った発言をしたのか。事実はとっくの昔に揺らいでいるのに、何かまたしくじったか。偉そうに上から目線で書くために、人様に害を与えることを肝に銘じるべきだ。
社長謝罪を機に、朝日はあちらこちらに謝罪する羽目になる。自らの紙面では社説でも誤った。名物コラムの天声人語でも謝罪。著名なコラムニストたちも、実名で反省するに至った。そして宿敵・産経新聞社や週刊ポスト、写真週刊紙・FLASHなどへの抗議を撤回し、おわびの意思を伝えたとも報じた。
8月5日に始まった朝日新聞の「取り消し記事」、木村伊量社長の「謝罪会見」。一連の報道から感じられるのは、「言い訳」「責任逃れ」「開き直り」が目立つ。今や様々なメディアがそれぞれの視点で発信する。個人でもツイッターやfacebookで発信し、情報を入手する時代である。謝るときは、その理由を述べて素直に謝ることが大事であろうと思う。木村社長は9月11日、編集担当の役員や報道局長などの解任を発表したが、自らの処遇はいまだに明らかにしていない。一連の報道の責任はトップにあるのは明白である。早急に結論を出したほうが潔い。
加えるに、朝日新聞は9月29日社会36面において、8月5日の特集記事(慰安婦の強制)を書いたとした元記者(66)は別人であることを明らかにし、
「
おわびして訂正します
」
と掲載した。体面を考えずに、このようにすれば問題は大きくならなかった。私は、女性記者を活用した立派な記事を見るにつけ、朝日を今すぐにやめるつもりはない。今後の対応にも関心がある。その経過を見守りたいと思う。(C・W)