藤の花


 皇居での天皇陛下の傘寿を記念した「乾通り一般公開」。桜を観にお出かけになった方も多かったのでは。あるいは、入場制限となる人出でに、残念な思いをされた方も。秋の紅葉の時期にも一般公開されるということだ。

藤の花(写真部サイトの写真より合成)

 さて、桜も終わり、街には、紫の花の房があでやかな「藤の花」が目につくようになってきた。藤の紫色は古くから愛されたようで多くの和歌にもうたいこまれている。藤はその花がユラユラとするさまから波に見立てて、『藤波』とうたわれるようだ。

 万葉集にも幾つものうたがある。その中の一首で、『藤波の咲き行く見れば 霍公鳥鳴くべき時に 近づきにけり』という、田辺福麿呂(たなべのさきまろ)のうたがある。霍公鳥(ほととぎす)は夏の季語でもあるように、春が過ぎて初夏になったことを歌ったものだが、桜の花を愛でた、沸き立つような春が過ぎ去ってしまったのだなという「フッ」とため息のような気分も。

 次は、新古今和歌集から『暮れぬとは思うものから 藤の花さける宿には春ぞ久しき』と紀貫之がうたったもの。これも、春は過ぎしてしまったなと思うが藤の花が咲いている家にはまだまだ春の趣が残っている、という歌。

 しかし、このうたには、当時、絶大な権力を誇っていた「藤原氏」にお世辞を言ったという意味もあるようだ。
今も昔も、知恵者は、上手にお世辞をいうものだ。そうだ、亀戸の天神様に行ってお知恵を授かってこようかな。 

            
うむっさん