水墨画『生々流転』をご覧になった方も多いのでは。長さ40メートルにもなる横山大観55歳の時の作品。重要文化財になっている。 『生々流転』とは、「万物は永遠に生死を繰り返し、絶えず移り変わっていく」ということ。作品は、何も無い空から深山の木々に水滴が少しずつ集まって、渓谷をなし小川をつくり滔々と流れる大河となって海に注ぎ、一匹の龍になって天上に登っていき、また何も無い空が広がる。という水の一生が水墨画によって描かれている。 横山大観は、水の一生を人生に例えて描いたということだ。葉末に結ぶ一滴の水が後から後から集まって瀬となり、淵となり、大河となって、最後は海に入って竜巻となって天に上る。そうしたことを人生だとしたようだ。 途中にいくつかのモチーフが描かれているが、山深い杣道を馬の背に木材を載せて男が歩いている。岩かげになった道の先には細い橋が架かっているが、その橋は流されている。橋の向こうの家では、女房が心配げな顔で男の帰りを待っている姿が描かれている、また、海の近くまで流れてきた川岸には大きなお屋敷があり、川面に張り出した座敷では、密会だろうか密談だろうかと思わせる何やら話し込んでいる人影が二つ。 最後に海から天上に昇るときには、空は暗く、波は大荒れ。葛飾北斎の富嶽三十六景神奈川沖波裏のかぎ爪の波頭が描かれるなかで、苦しみにもがくように龍が天上に向かっていくさまが描かれる。 生々流転が人生を模したということであれば、生まれ変わる最後の時は、大きな嵐にもまれるようにもだえ苦しみながら転生を迎えるということになるのだろうか。 最後の時は平穏に、そして、穏やかにと思っているのだが。『生々流転』に描かれる人生はなかなかに生易しいものではなさそうだ。 うむっさん
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