侮れぬ自然の脅威と行政のルーズさ


ライター千遥

 まずは今年の寒さは尋常ではなかった。ということから始めますか。明日から3月という2月28日は、まさにポカポカ陽気で「春来たる」を実感させるものだった。ところが翌日は朝から突風が吹き荒れた。また寒さに逆戻りかと思ったら、そうではなかったようである。
 これが「春一番」だったことを後に知る。今やっと各地から紅梅や白梅の開花を知らせる便りが届く。当地でも貝殻山公園の梅開花のニュースが新聞にも載った。

 この冬は例年より厳しいことは、気象庁も予告していた。これが正に的中した。昨年などは寒くてもウオーキングに出かけたものだが、今年はほぼゼロに終わった。一日中、家に閉じこもることが多く、情けない越冬生活に終わった。関東以南各地では、そろそろ「お花見」の予定などもたてつつあるようだ。当団地でも薄れつつある近隣の人々とのコミュニケーションの輪を広げるべく、熱心なおばちゃんたちが案を練る。

 そんな周囲の話とは別に、北国では大雪による被害はいまだに続く。気温が低い状態が続き大雪による被害は連日報道された。3月1日、青森市の酸ケ湯では566センチもの深雪を記録した。2日には秋田県大仙市で、秋田新幹線「こまち」が吹き溜まりの雪に乗り上げ脱線するという事故が起きた。幸い乗客には怪我は無かったものの、営業運転中の新幹線の脱線は2004年新潟中越地震での「とき」以来で、2度目。地震以外では初めてという。

 当時、周辺は激しい吹雪であったようで、列車も時速20キロに減速していた。近所の住民によれば、周辺では2日午後から吹雪が激しくなり、2メートル先も見えない時間帯もあったらしい。運転手は猛吹雪の中で先を行く列車との間隔がつまり、減速していた。しかし、脱線した先頭車両の周囲は雪に埋め尽くされる有様だ。乗客はJRの用意したバスに移るまで6時間も車内に閉じ込められた。吹雪による吹き溜まりは恐ろしい結果を生む。
 

   

 上の図は、独立行政法人 海洋研究開発機構 研究員=堀 正岳(ほり まさたけ)理学博士のブログから引用した。専攻は気候学、気象学、主に中高緯度の気候変動である。

 ゆるやかな点線がいわゆる「平年」で、それよりも低い気温だった日を青く、高い気温だった日を赤く塗ってある。データは気象庁の気象官署58箇所の平均で、南西諸島をぬいてあるので北海道から鹿児島までの平均だと思ってよい。

 今年は中高年の男女による冬山遭難も少なかったなあ、と思っている最中に北海道では暴風雪により、9人が死亡するという被害が同じような時間帯に発生していた。通常、道内でも釧路近辺は雪の少ない地域である。その道東に位置する中標津町で雪に埋もれた車内で、母子4人が一酸化炭素中毒で亡くなるなど、計9人が死亡した。地吹雪により進路を断たれ、車が立ち往生するケースが殆どだった。母子4人の場合は、2メートルもの雪に埋もれ、車の排気管がふさがったことによる。
 
 湧別町では、漁師の父が小学3年生の娘を抱いたまま死亡した。娘さんは父のコートに包まれ無事に生還した。埋没した車から300メートル歩いた倉庫前で力尽きた。倉庫の扉が開けば助かったかも知れない。一昨年に妻を亡くし、父娘二人暮らしだったお父さんの無念さは計り知れないだろう。
 この日は最大風速が30メートルもあったという。これでは車も走ることは容易ではない。おっちゃんが北海道勤務だった4〜50年も前のこと、小樽から札幌へ車で出ることが多かったが、最大の難所は国道5号の張碓峠(はりうす とうげ)だった。この国道5号は、小樽から海沿いに坂を上り札幌へと出る最大の連絡道路だった。しかし、カーブも多く冬場でなくても危険いっぱいの道路だった。

 北海道に住んでおれば誰でも雪の怖さは知っている。タイヤも早めにスノータイヤに変えたり雪への準備は怠らない。しかし自然には勝てない。峠の頂上あたりにくると、雪も吹雪に変わり、まさに今回のような地吹雪に遭遇することが多い。
 当然ながら日中でもライトをつけて走るが、1〜2メートル先も見えなくなる。左は海から100メートルもある絶壁だ。落ちたら一巻の終わり。従って出来るだけ中央寄りを走りたいが、正面衝突は避けられない。現在は立派な道路に変身したが、同時代の北海道人なら、誰でもが経験したであろう吹雪の怖さであった。そんなことを思い起こさせる、このたびの悲惨な出来事である。

 留萌に住むメール碁の友人は、未だまだ毎日、雪に埋もれた道路の除雪に追われている。雪の被害もなく、津波の心配もない我々鎌ケ谷人は、それだけでも幸せである。

       
          
 
  
     
常識を忘れた役人と実行力の欠如

 前回の本欄では、下図2枚を載せた。

        
 
 左側の写真は車道と歩道の全体図であり、右側は車道寄りの標識を拡大したものである。

 前回、「何かがおかしい」とは感じませんか。と、おっちゃんは書いた。
それを具体的に説明したい。
 上図は、東武鎌ケ谷駅から東への一般道路。歩道の標識である。この写真は鎌ケ谷駅に向かって写したものである。反対側にも同じ標識が描かれている。

 自転車は法規上では車両であり、原則的には車道の左側を走らねばならない。しかし「自転車も通行可」というところは、歩道を走ってもよいことになっている。また車道を走れない危険な個所などでは、歩道の通行を許されている。
 しかし、この場合も自転車は歩道の「車道寄り」を通行することとされている。上図をみると自転車の通行区分である「歩道の車道寄り」に、「歩行者優先」と描かれている。この標識ならば、歩道の車道と反対側に示されねばならない。

 これは市の道路管理部門でチェックを怠ったものと考え、担当課の方に現地に来てもらい、当方の意見を述べた。当初は誤りを認めたくない風情であったが、数日後に訂正するとの連絡をうけた。これが昨年の1月である。その後、代わりに設置する代替品の見本を持参した。完璧に納得するものではなかったが、現在のものより良かろうと、当方は承諾した。

 それからが長くかかった。10月のある日、ウオーキングの途中で標識が替わったことに気付いた。指摘してから10か月もかかっている。おっちゃんは同種の標識を他の歩道で見たことはない。絶対の確信は無いが、僅か2枚の取り換えに、10か月もの時間はあまりにも長すぎるのではないか。
 4月前は予算の裏付けが取れない、等と言っておられたが、こんなものが予算に計上されていないから出来ない。そんなことはあるまい。要はやる気の問題と思っている。

 因みに訂正された標識は下図のもので、現在も使用されている。ここまで来るのに約1年かかった。市民から痛いところを指摘されて面子がつぶれたとでも思っておられるのだろうか? おっちゃんは呆れて言うべき言葉も失っている。

       
    
          

 当時から気付いていたことだが、上図にみるとおり人が通るべき歩道部分に「赤い杭」が立っている。そのうち役所の担当者も気付くかと思ったら、そんな気配は一切ない。仕方がないから、この赤い杭を撤去するよう求めた。 

 これも、道路建設どきからの残物だと推測する。何のために人の通行の邪魔をするのか。非常に理屈にならない返答が返ってくる。「わき道から車が出てきたとき、歩いている人に危険を察知させるため」と、仰る。それはおかしい。メインの通りは、この大きな道ではないのか。気をつけねばならないのは、小さな横道から出てくる車の方ではないのか。人の家の前に立てた杭もある。何のためかと聞くと返答に詰まる。

 そんな理屈が通るなら、市内あちこちに数万本か数十万本の赤い杭が必要になる。よく市内の道路を見れば、そんなものは何処にも見当たらない。この道路のみに歩行者が素直に通れない「赤い杭」を放置したままになっているわけだ。

 その事例を下図に示す。


     

         

 上記の図のように無数に立っている赤い杭は、「人は、ここを通るな」と言わんばかりだ。昨年10月に担当者に指摘し、部長まで話は通っているとのことだ。しかし、「しかし、これは警察も絡むので...」などとと仰る。こんなものにイチイチ警察も関わっている暇はあるのかな? いずれにしろ未だに何らの動きも見られないのは何故か。そのうち、市会議員の方にこうした行政の対応をどの様に思われるか聞いてみたいと思う。もし、市民の言い分が正当なものであると認められた市会議員の方が、行政側の不適切な対応に是正を求めるのは当然の事であろう。

 よく見ると、自転車が通る道に比べ人の歩く道は極端に狭い。歩道を歩行者が安心して通れない設計も甚だ疑問に残る。
(C.W)