時が過ぎるのは早いものでもう4月になった。今年の冬は長くて寒かったが、4月の声を聞けば、やはり、春本番ということになるだろう。そこで、春本番といえば、桜の話をしないわけにはいかないだろう。
桜の原産地はヒマラヤであるらしい。先日のドキュメンタリーで、ヒマラヤから中国をとおって、沖縄に、そして本州にと桜が伝わってきたと紹介されていた。ヒマラヤの桜は彼岸桜のように下向きに濃い桃色の花が咲いていた。山の上から咲き始め、段々と里に下りてくるようだ。沖縄でも、山の上の方から咲き始めるようだから、やはり同じ先祖なのかもしれない。
さて、桜を愛でるというと二つの大きな流れがあるように思う。一つは、咲き誇る桜の花を愛でる。というもの。「世の中に たえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平)」といつ咲くのか、いつ咲くのかと心を乱し、咲けば咲いたで、いつまで散らないでいるのかと心を乱しと、咲き誇る桜に思いをよせる。
もう一方は、「久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花のちるらむ(紀貫之)」とあわただしく散ってしまう桜の花を惜しむ。という散る桜を愛でる。
咲き誇る桜にも、散る桜にもそれぞれに思いを寄せながら、私たちは、4月初めのほんの僅かな時を惜しみながら桜を愛でてきた。桜を愛でるというと、お花見ということになるのかもしれないが、最近のお花見は、桜を愛でて嫋やかなのは、ほんの一瞬で、すぐに飲めや歌えの大騒ぎ、醜態をさらして後悔をするという思い出も多かったのではないだろうか。
とは言え、隅田堤で東京スカイツリーを桜の向こうに眺めながら、川風にふかれて一献傾けるという風情はやはり捨てがたい。あ!そうそう、ごみは持ち帰りでね。
コラム担当:うむっさん
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