ヒロシマ、ナガサキに思いを寄せて黙祷・献花 |
非核・平和を祈念する鎌ケ谷市民の有志 |
|
|
広島、長崎に原爆が投下されて敗戦。今年は70年目となりました。
広島原爆の日の6日朝8時15分、長崎原爆の日の9日昼11時2分。「非核・平和を祈念する市民の集い」(渡邉俊彦、小中武志さんほか)の呼びかけで、鎌ケ谷市民による黙祷・献花が行われました。
両日とも市民多数が「核廃絶の願い」を込めて黙祷・献花を捧げ「市民参加で非核・平和への願い」を表しました。この「市民の集い」の黙祷・献花は今年で7年目になりました。 |
|
写真左は福祉保険センター入り口脇の「被爆した広島市庁舎の敷石・信用金庫敷石」の「平和祈念碑」。
写真右は市庁舎の前に立つ平和記念像「かたぐるま」 |
|
|
|
|
●広島原爆の日の6日朝8時15分 |
|
●長崎原爆の日の9日昼11時2分 |
鎌ケ谷市庁舎うらの総合福祉保険センター1階の玄関脇には、1991(平成3)年に広島市から寄贈された「被爆した広島市庁舎の敷石・信用金庫敷石」の被爆石をはめ込んだ「平和祈念碑」が設置されています。
6日朝、原爆投下の時刻8時15分に合わせ、集まった数十人の市民は黙祷と献花で、世界で初めて核兵器の惨禍に見舞われた犠牲者に「非核・平和」の誓いを捧げました。 |
|
鎌ケ谷市は、1984(昭和59)年7月2日に核兵器の廃絶と軍備縮小を訴え、さらに世界の恒久平和を実現していくため、「非核平和都市」とすることを宣言しました。核兵器廃絶を求める平和宣言都市としては、習志野市、四街道市に次いで千葉県下3番目でした。
その翌年には、母子が安らぐ平和な社会を願い、平和記念像「かたぐるま」を市役所庁舎前広場に建立しました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
黙祷に先立ち、呼びかけ人の一人が「鎌ケ谷市・非核平和都市宣言」を朗読しました。また、峠三吉「原爆詩集」の序説を、さらに「京大有志の会・声明文」を読み上げ、原爆、戦争の非人道性を告発しました。
さらに、広島での被爆体験を持つ「鎌ケ谷市原爆被爆者折鶴会」の小中武志会長(84歳)から、身近な人々の苦悶の死、被爆者の苦しみを語り、「二度と絶対に戦争はしてはならない」と話されました。(写真左下)
また、長崎の平和式典・ピースフォーラムに中学生代表として派遣される第二中学の3年生も「市を代表して平和への願いを広島に届ける」と話しました。(同右) |
|
長崎被爆の9日には、「非核平和祈念モニュメント・かたぐるま」の前で、黙祷・献花が行われ、11時2分の長崎被爆時刻に「非核・平和」を祷りました。
6日の広島と同様、「非核平和都市宣言」「原爆詩集」朗読のあと、小中武志さん(鎌ケ谷市原爆被爆者折鶴会)の被爆体験と米軍の原爆投下目標は小倉市であったが、長崎に変更された理由など話された後、長崎医大で被爆した永井隆博士の業績を紹介し、モデルとなった歌「長崎の鐘」の2番を歌唱しました。(写真右)
炎暑の市役所前の広場に小中さんの大きな歌声が流れ辺りが静まり返りました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
来賓の藤代政夫千葉県議会議員は「戦争は起してはならない。戦争を起そうとする動きには、断固としてノーと言っていかなければならない。この鎌ケ谷市から平和の光を掲げて行きたい」として、参加者はその気持を共有し合い散会しました。 |
|
筆者が3年前に長崎を訪れた際、案内してくれた若いバスガイドさんが、永井博士の「この子残して」の抜粋朗読と、この歌の2番を透明感のある声で静に歌唱したシーンが思い出され、鎌ケ谷市役所前に佇みながら、長崎原爆の「平和祈念像」が目に浮かびました。 |
|
■ 鎌ケ谷市 非核平和都市宣言
世界の恒久平和と安全は、人類共通の念願であり、人類が尊重しなければならない普遍的な理念である。
この崇高な目的の達成なくして、鎌ケ谷市のめざしている「自然と調和した住みよい街づくり」の実現もあり得ない。
わが国は世界唯一の核被爆国として被爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再びこの地球上に核兵器による惨禍を繰り返させてはならない。
私たち鎌ケ谷市民は、生命の尊厳を深く認識し非核三原則が完全実施されることを願い、平和を愛する世界の人々とともに核兵器の廃絶と軍縮を訴え、世界の恒久平和を実現することを決意する。ここに鎌ケ谷市を非核平和都市とすることを宣言する。
1984年7月2日 千葉県鎌ケ谷市 |
|
■ 非核・非戦の決意を新たに 広島原爆、長崎原爆から70年のこの夏は、安倍政権が進める一連の「安全保障法案」への疑念と「平和が危うく」なる危機感から、多くの国民に改めて「平和意識」が強まり、被爆地を始め全国各地で「平和祈念」の集いが行われています。「今こそ非核」の決意を込めて、平和を願う日本国民の気持が一つになった夏ではないでしょうか。「戦争はしてはならない」ことは日本国民統合の願いなのです。 レポート Y・T |
|
|