平成24年10月28日(日)PM1:30〜4:00 まなびぃプラザ3階研修室2に於いて、鎌ケ谷市国際交流協会(KIFA)が主催する「ブータン王国・文化と幸せの源流」交流カフェが開催された。
昨年は、ブータン王国の若きジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク第5代国王ご夫妻が訪日され、また東日本大震災の被災地を見舞われた。何といってもブータン王国を小国ながら世界に幸福の在り方について知らしめたGNH(Gross National Happiness)指標であろう。
アメリカ、ヨーロッパや我が国も含め、広く世界中で経済成長GDP(Gross Domestic Products)こそ国民を豊かにする指標であると重要視されてきたが、この考え方とは違うブータン王国の国づくりの哲学として定めたGNH(国民総幸福量)についての経緯と現状を、ブータン王国からの留学生や在日中のブータン人のご夫婦からお話を聞く文化交流の集いである。 当日は、生憎の雨模様で参加者の出足が心配されたが、会場内は満席状態(40名強)で鎌ケ谷市民のブータン王国に対する関心の高さが感じられた。
KIFA交流カフェの司会を務める竹内さんと通訳(英語)の方2名による通訳ボランティアで、ブータン人のゲストスピーカー3名の方たちから、それぞれのテーマについてスピーチがあった。 最初は、在日のブータン人で企業で働いておられるMr.Kesang Wangchuk(ケサン・ワンチュク)さんが、ブータン王国についての基本的な情報についてパワーポイントを使って説明が行われた。その中で国の世界地図上の位置、地勢関係、面積や人口、使用言語、公用語、首都等主な都市、通貨、政治体制など。 国土は約38万平方Kmで日本の九州程の大きさ。言語はゾンカ(公用語)と英語(教育用語)、ほかネパール語など多くの少数言語。首都はティンプー。通貨はNu(ニュルタム:1Nu=1.5円)。政治は立憲君主制。
ケサン・ワンチュクさんは着物の様な男性用の「ゴ」の民族衣装を着て話された。日本語を少しは話されるがプレゼンテーションは同国の第二言語である英語(キングス・イングリッシュ)で行われたため、ボランティアの方の通訳で参加者にはブータン王国に対する理解を深めることが出来た。
2番目のプレゼンテーターは、現在柏市にある麗澤大学の交換留学生として在学中のMr.Choten Dorji(ドルジ・チョテン)さん、当日はお寺の住職が着る袈裟を着てスピーチをされた。話の内容は少し難しいが、ブータン人の共通の価値観となっている仏教と、家庭生活、職場、学校で心がけている伝統文化について説明され、ブータン王国のGNHについての幸福感や満足度のよりどころについて、英語でスピーチされた。 ブータン政府では、10ある省の上にGNH委員会が組織され、国のすべての政策に反映させる仕組みとなっている。(1)公平で持続可能な経済発展(2)環境の保全(3)文化の保護(4)良い統治が国の政策の4本の柱となっている。
この後、少し休憩時間を設けて参加者と講師のブータン人の方たちとの交流タイムが設けられた。 そして、3番目で最後のプレゼンテーターとなる、Ms.Leki Choden(レキ・チョデン)は、現在横浜国立大学で電子工学を学んでおられる。当日は女性用の民族衣装「キラ」を着て、小さなお子さんも連れての参加であった。また、最初に話されたケサン・ワンチュクさんとはご夫婦であることが後でわかったが、名前の付け方が日本とは異なり夫婦別姓の様である。これもブータンでは普通の事である。スピーチは日本語を話すのが好きだと言われたレキ・チョデンさんも、時折り日本語も織り交ぜて英語でのスピーチをされた。話の内容は、女性の立場からブータにおける家族と教育について。基本的には大家族制で「幸せの源流は家族」という幸福感の拠りどころ。また、生活全般のブータン人の暮らし、食べ物、子どもの事や、お祭りなどを紹介してくれた。
ブータン王国は国土の70%が自然の環境を保護されている。また、言語は公用語はゾンカ(ブータン語)、教育用語として英語が小学生から大学生まで使用されているため、語学力は豊かである。国民はすべて教育と医療費は無料であり、貧しい人も、いろんな事情で教育を受けられなかった人々に対してもそれをサポートする政府の手厚い保護制度が整備されている。また、日常生活の隅々まで仏教が生活に密着しており、子どもの育児から、一般家庭の相談にも仏教の導師が広くかかわっているとのことであった。言語はチベット語を源流としている。ドルジ・チョテンさんの説明によれば、ブータン王国の国民は親日的な人々が多く、現在も多くの日本人がブータンに在住していると話された。 このKIFA交流カフェは昨年のセルビアに続く、在日中の外国人の方から直接自国の文化や伝統について聞く、異文化交流の催しであり外国に関する情報を日常的に数多く受け取っている我々日本人も、まだまだ知らない世界があることを知る良い機会であった。 |