新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて



一年の計は師走にあり


 
  暑い暑い、と毎日のように喚いていた酷暑の夏が去ったら、はや12月となってしまった。年を重ねるごとに、月日の過ぎるのが加速度的に早くなるような気がする。元を辿ると一日、いや時間単位の経過が早いのである。朝食後に、まずメールをチェックする。ややこしいものは後にすることとし、返信すべきものは直ぐに相手におくる。そのあと、新聞の主な記事を拾い読みしているだけで、昼になってしまうのだ。数年前と比べるだけで、随分とちがった生活感覚を実感している。ふと気付くと、そんな自分に驚くことが多い。

 加齢とともに、身体の機能が衰えるのはやむを得ない。これは、多かれ少なかれ誰にでも起こりうるものであろう。その中で日常的に、はっきりと老化を感じさせるものは「物忘れ」が第一であろうか。先ほどまで目の前にあったものが忽然と消えていることがある。それがさして大事なものでなくても、気になって30分も探していたりすることになる。毎日使用する物や、本人にとって大事なものは極力整理し、必要なときに出せるよう心がけているのだが、整理した一連の物そのものを何処に置いたか忘れてしまうから始末が悪い。
 こんなことをやっていても、ひょっこり現れてきたときは大抵きちんと仕舞ってあるものだ。そんな具合だから夫婦二人だけの生活が多くなった今は、戸締り火の始末に相当の気配りをせねばならない。自分があとに外出する場合は、一つひとつ「暖房は消したか」「鍵はすべて閉じたか」「電気は切ったか」などを、電車の運転手よろしく指で確認してから出かけることにしている。勿論、一番大事な玄関の施錠はしっかりと見て心に刻みこむ。

 通常は、鍵をかけ忘れることはまずない。だが、あるとき駅の手前まで行ってから凄く気になり、わざわざ家まで戻ってきたことがあった。ちゃんと鍵はかけてあった。また、駐車場においてある車の鍵を閉めたかどうかが不安になって、寝る前に見に行ったりしたこともある。先日、同年代の仲間も同じようなことを言っていたから、皆それぞれに似たような経験はしているようで、少しばかり安心した。この程度ならば、認知症の手前までは行っていない年齢相応の事象と考えてよさそうだ、と自分で勝手に解釈している。
          

 昨年の1月から、おっちゃんも近くのシニア会に入会した。年寄りの集団とも言える「シニア会」なるものは極力避けていたが、友人の薦めもあって加わることになった。70歳も過ぎれば堂々たる老人だからと割り切ることにした。おおげさな催しをする会ではないが、月に1回は必ずみなが集まる例会があり、お喋りを楽しむ。
 認知症予防には、「閉じこもり」を避けることが最も大切なことだ。なかには、93歳になる方もおられる。見ていると、元気な方はやはり見かけも若々しい。生活にメリハリをつけ、毎日を過ごされておられるようである。このような方は認知症などには無縁なように思える。積極的に世間とのつながりを求めるならば、ボケは遠くに行ってしまうに違いない。それが「寝たきり」にならぬ第一歩かも知れない。
 先日、近所の老人施設を見学した。入居者の大半はおばあちゃんである。介護師のお姉さんに指導されて、4、5歳児程度の童謡を歌っている。いゃ、歌う練習をしている感じだ。「ピンピンコロリ」は誰しも望むところだが、それは男性に多い。女性はしぶといから「コロリ」とはいかない。長生きする方が多い。だが、ボケたままの長生きでは意味がないことを、つくづくと感じさせられた。

 こんなところに目をつけた本が出版された。
『100歳までボケない101の方法 脳とこころのアンチエイジング』(白澤卓二著)である。

        


 まずはタイトル。「100歳」に「101の方法」だ。ここに「ボケない」の4文字ではさんだところが憎い。長生きしたってボケたらしょうがないだろう、という昨今の中高齢者ニーズに対応させたのだろう。 何よりすごいのは、その本の帯である。カバー表面の半分以上を占める帯の上部には、タイトルよりも著者名よりも大きい「日野原重明先生推薦!」の赤い文字が組まれている。しかも、学生服姿の20歳代の日野原先生、白衣を着た50歳代の日野原先生、99歳になった現在の日野原先生の写真がこちらを向き、「私の例も含めて、健康長寿のための最新知識をこうもわかりやすく書かれた本は他にない」とのコメントが添えられている。
 帯が広告面として徹底的に活用されている。これでは、日野原先生も100歳を超えてもボケる暇などありそうもない。出版は文芸新書。金735円也。ご希望の方は○○書店まで。売り切れゴメン!!!
          


 痴呆の話は、ちょっと暗かった。メール碁仲間の先輩に、通称を福山伯爵と呼ばれる詩歌、川柳、都々逸の達人がいる。ある人が京都清水寺界隈のお地蔵さんの写真を送ってきた。
 伯爵はそれを見て、さっそく「回文川柳」なるものを作りあげた。

 回文って、なに?「竹藪焼けた」(たけやぶやけた)のように始めから読んだ場合と終わりから読んだ場合とで文字や音節の出現する順番が変わらず、なおかつ、言語としてある程度意味が通る文字列のことで、言葉遊びの一種である。
 まあ、見てのお楽しみ。

 伯爵は、左の写真のお地蔵さんの胸に「人生訓」が掲げてあると仰る。ルーペを使ってみたら、全部見えたと言われる。どうも少し怪しいが、出来上がったものは凄く楽しいですよ。
 何方も一つや二つは経験されたのではあるまいか。まあ、
ニコニコと眺めて下さい。
                〜上の写真をクリックすると、現れてきます〜


      

   軽量内閣の裏表

 菅内閣が出来て6か月になる。「自民党に右へならえ」なのか。僅か8か月で総理の座を放り投げてしまった総理の後釜も、懸案の政策がまるで進まず棘の道を歩んでいる。支持率は下がる一方なのに、前臨時国会でも、堂々と舟をこいでいる姿(居眠り)が目立った。菅総理はもともと、永田町では「国会の居眠り王」の異名をとる。最近は、その居眠りの表情も一層冴えなくなってきたようだ。あきらかに睡眠不足が続いている様子が見うけられる。
 ある週刊誌によれば、菅氏は夜も眠れない日が続いているという。夜中に伸子夫人が目を覚ますと、ベッドにいないことが多いとか。書斎でデスクに向って静かに座っている。読書でもしているのかと思ったら、「没頭していたのは、相手が目の前に見えないネットで対戦する囲碁だった」とは如何にも情けない話である。

 囲碁は細部の局地戦とともに、大局観を養う優れたゲームである。紫式部も碁をよく打ったとされ、枕草子や源氏物語の中にも囲碁と思われるものが登場する。
 多くの戦国の大名は専属の棋士を抱えていた。お城碁などがよく知られている。大将は自ら専門棋士と対局する一方で、明日にも戦火を交える敵方との作戦を描いていたようにも聞く。最近では、政局のはざまでの小沢一郎氏と与謝野馨氏の対局が知られている。が、これはたいした意味合いは無さそうにみえる。菅総理が碁盤を前に政局の行方を沈思黙考している..ならば、ドラマのワンシーンとして絵にもなるが、現実逃避のネット碁では「様にならない」と言われても仕方ない。

 作家の曽野綾子氏は同じ週刊誌の連載エッセイ「昼寝するお化け」で、今週は不適材不適所と題する記事を書いている。冒頭から、「知り合いの女性編集者は民主党のやることなすことに腹が立つので、肩こりがひどくなった」。自衛隊の幹部学校に行ったら、教官の一人が雑談の時に「私は気が短い方なので」と前置きして「ここのところ、ズーッとフラストレーションが続いています」と笑っていたという。これらは、あまりの政治の未熟さが国民みなを巻き込み、「イラ菅化」させていく様相を如実に示している。

 愚かな、勇気にも胆力にも外交の基本にも欠けた政治家の姿勢が目にありあまる。一部の人たちは、政治家が揃ってお粗末すぎるからだ。日本人は総じて賢い人が多いのに、政治家だけクズが集まった、とさえ言う人もいる。
 曽野さんは、かく言われる。多くの人は自分の不得意なことは避けるものだ。たとえば私は、社交が苦手で人中に行きたくないという癖があるので、そういう場が必要な社会とは縁のない暮らしをしている。
 自分が総理大臣や外務大臣の資質を持つかどうかが、分からないということは不思議なことだ。大臣は昔、級長さんを務めた生徒だからできる、というものではない。しかし大臣は務まらなくても、他の仕事なら出来る。だから一般市民は少しも困らずに、自分に比較的適した仕事を選び、生涯続けてそれなりの幸せを掴む。
 言い換えると、一般市民はなりたくもない職業でも、生活のため我慢しても勤めている。ところが政治家は最初から政治を目指して議員になったり、大臣や総理を目指すのである。政治とは何か。しっかり分かっている筈なのに分からない人間ばかり。ということになる。

 総理大臣や外務大臣が負う外交には、一国の代表としての特別な責任が要るのである。...国際会議においても、ただ自国の要求を述べるだけの出先機関風では、総理も外相も務まるわけはないのだ。そうしたことに対する恐れが、今の政治家にはないのかもしれない。

           

         
 菅総理は12月6日、社民党と政策課題によっては連携する「部分連合」にかじを切った。しかし、鳩山前政権崩壊の要因となった外交・安全保障政策をめぐる食い違いを棚上げしてまで社民党に協力を求める姿勢には、民主党内からも「政権維持が自己目的化している」と冷めた声が出ている。

「罷免後初めて」。にこやかに握手を交わそうとする菅総理に、社民党の福島党首は冷めた表情でこう応じた。
「罷免された後、初めてここに来ました」。

 首相官邸で開かれた総理と福島氏の党首会談。福島氏は冒頭から、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題を巡り、5月に鳩山前首相から消費者相を罷免されたことを持ち出した。それでも、首相は「2010年度補正予算に賛同していただいてありがとうございます」と頭を下げた。社民党が重視する労働者派遣法改正案にも自ら触れ、「(通常国会で)成立を期す。お互いによく協議しましょう」と低姿勢を貫いた。
 同席した社民党幹部は、会談の様子をこう語った。「総理は平身低頭だった。民主と社民のどっちが多数か分からないほどだった」。政権維持のためなら、何でもありか。前政権で罷免した社民党を自陣営に取り込もうという訳だ。
 菅内閣に最も欠けているのは、信頼できるブレーンのいないことと予測する。エイズ問題で厚生大臣は務め上げたようだが、果たして、菅氏に総理の資質はあるのか。資質が不足するならば、優秀なブレーンがそれをささえなければならない。 
           
 
 8日に政権発足から半年を迎える菅首相の最大の相談相手は、若手側近なのか?
 読売新聞の調べによると、首相が半年間で最も面会、会食した相手は菅グループ所属の寺田学首相補佐官で、その他も、9月まで首相補佐官を務めた阿久津幸彦内閣府政務官らグループ所属議員が目立っている。
「首相官邸は情報過疎地帯」と嘆く首相だが、身内とばかりつきあう姿勢にも一因があるようだ。首相は、夕方に記者会見を行った6日も、東京・赤坂のすし店で菅グループの江田五月前参院議長と藤田一枝衆院議員と夕食をともにした。3人は食後、首相が使う公用車に乗って、首相のなじみの銀座のバーに繰り出した。

 首相が官邸や公邸以外で会食(海外や夕食会などを除く)したのは半年間で79日。うち、寺田氏の登場回数は17回で突出している。10位以内でも、寺田、阿久津両氏のほかに、江田氏、荒井聰前国家戦略相、加藤公一首相補佐官ら菅グループのメンバーが上位を占めた。
 一方、内閣の要として首相を支える仙谷官房長官とは9回会食しているが、2人きりではわずか1回だった。
寺田氏は当選3回の34歳。9月の党代表選では、菅陣営のスポークスマン的な役割を果たした。首相に直言する姿勢を首相が買っているとされる。民主党内には「首相は“身内”とばかり飯を食べていないで、党の有力者や国民新党の亀井代表らと、もっと会うべきだ」(ベテラン)との指摘も出ている。

 かつて中曽根内閣では、カミソリと言われた後藤田官房長官がいた。中曽根総理に直言するときは、片手に辞表を持っていたと言われる。34歳の寺田氏がどんな人物かは知らない。しかし、こんな若手に振り回されていて、しっかりした政権運営は出来るのか。はなはだ疑問である。
 内閣の要と言われる仙石官房長官との間には、なにやら隙間風が吹いているようだ。総理がいくら否定しても、新聞や雑誌では「仙石内閣」とか「仙石総理」などと揶揄される始末である。「火のない所に煙は立たぬ」。
 
危うきかな菅軽量内閣! お友だちとの飲食は結構だが、最大のブレーンとの意見交換が薄れると壊滅の憂き目にも遭遇しそうに思う。黙考は結構だが、舟を漕ぐ余裕はない。内閣は新年早々に最大の局面を迎える。足元に気をつけて政策の確実な遂行を切に望みたい。

〜最新話題の追加〜

 この6月から実施された子ども手当て(月額1万3千円)。この4割が貯蓄に回っていることが7日、厚生労働省から発表された。日常生活費や家族の遊興費など子ども以外の目的に使う家庭も4分の1に上る。菅内閣が固執する「子ども手当て」は、子どもを持つ親からも不評なことは知られていた。その結果は、前記のとおりだ。民意を離れた政策は意味をなさない。

    

    完全になめられた日本 

   人民日報から 〜  → → 政府の広報紙webページより

   大紀元から 〜 → → こちら親日派webページより


  やはり明るい話題はスポーツだ。元気な若者の勇姿を夢見て、今年の本稿を終りとします。
 ここまで読んで下さいました皆様に、心よりお礼申し上げます。佳いお年をお迎え下さい(C・W)