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五輪会場 五輪マスコット カナダのオーロラ
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2月12日午後6時(日本時間13日午前11時)に開幕したバンクーバー五輪(第21回冬季オリンピック競技バンクーバー大会)は、28日で17日間にわたる全ての競技を終わり、3月1日の閉幕式で大会の幕を閉じた。次回の冬季五輪は2014年2月に、ロシアのソチで開かれる。
バンクーバーといえば、今から28年ほど前に訪ねたことのある懐かしい土地である。当時は世間の景気も会社の業績も順調で、おっちゃんも、まさに怖いもの知らずで仕事に取り組んでいた。そんなとき、カナダから住宅向けの建材を輸入する話が持ち上がり、始めてバンクーバーの取引先を訪問することになった。
英語に堪能な上司が一緒だったこともあり、おっちゃんはさして予備知識も仕入れぬままにバンクーバーに降り立った。バンクーバーは山と海に囲まれた「世界で最も美しい街の一つ」、程度のことしか知らなかった。だが実際に目にしたバンクーバーの印象は「自然に恵まれた都市」どころではなく、都市そのものが美しい森林であり、その深い森の中に住居が点在するように街並みがあった。
取引先の担当者はRon Molanderと言った。日本人の奥さんに娘さんが一人いた。カナダ人は一般的には、おっとりしている。そして、人当たりが良い。Ronと友だちになるのに余計な時間は不要であった。
その彼に、バンクーバー市内を案内してもらった。ブリティッシュ・コロンビア大学には、新渡戸稲造博士を顕彰する立派な記念館があった。「我、太平洋の架け橋とならん」と、日米・日加の親善に尽くした新渡戸博士はバンクーバーで没した。記念館に隣接して日本庭園があり、それはそれは見事な佇まいであった。
小高い坂を登っていった一角には、日本大使館があった。先進国の大使ともなると、かように立派な館(やかた)に住むのか、と驚かせるに充分な造りであった。瀟洒で豪華な雰囲気を感じさせた。
一方街中のダウンタウンに行くと、職業安定所のような建物に多くの人々が並んで、食事の支給を受けている光景を目撃した。案内したRonはちょっと恥ずかしげに言った。「バンクーバーにも、こんなところがあるんだよ」と、わざわざ自国の恥部を見せたものである。
街中をはずれた大きな公園の芝生に腰を下ろし、暫しの休憩を楽しんだ。風が爽やかで、空気が実
に美味しい。眼下には蒼い海原が広がる。確か5月の半ばだったと思う。
サイクリングを楽しむ人おり、また大きな身体を揺らせてジョギングする人あり、そこには、静かに時が流れている優雅な光景があった。彼らは日本人のようにガツガツとは動かない。見上げれば山々は真っ白に冠雪している。さして離れていないところで、同時期に海水浴とスキーを楽しめる環境があった。
我々がバンクーバーから帰って程なく、先方は東京神谷町に日本駐在所を設けた。カナダ本国からはRonが主任格でやってきた。おっちゃんが彼らの事務所を訪ねると、彼は、いっも素っ頓狂な声で迎えてくれたものである。「ようこそ〜、○○ちゃん!!!」。
おっちゃんの英語は相変わらず未熟そのもので、相手の言葉を半分も理解出来なかった。それでも友人関係を維持できたのは、彼の優しい心根のおかげであった。
バンクーバーの冬と夏
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1988年のカルガリー大会以来、22年ぶりにカナダで開催された五輪では7競技、冬季五輪史上最多の86の国と地域から選手約2600人が参加して、熱戦を繰り広げた。
一人だけの参加国
開会式ではギリシャを先頭にアルファベット順に入場行進し、日本は43番にスピードスケート女子で5大会連続出場する旗手の岡崎朋美選手を先頭に入場、開催国のカナダが最後に行進した。
多くの選手が賑やかに行進する中で、選手が1人だけの参加国・地域が19もあった。ポルトガル
やメキシコが1人とは意外な感じを受けるが、バンクーバー五輪の大会公式HPによると、ケイマン諸島、コロンビア、ジャマイカ、バミューダ諸島、アルバニア、サンマリノ、モンテネグロ、アルジェリア、エチオピア、ガーナ、ケニア、セネガル、モロッコ、タジキスタン、台湾、ネパール、香港などがそれぞれ1人だった。
これこそ、正に一人で国を背負って参加した選手たち。母国では、雪や氷にはまったく縁の無い生活だ。冬季競技の急なる向上は望めなくても、先陣を切る勇気は素晴らしい。バンクーバー後に向けて、つぎなる飛躍を大いに期待したいものである。
アルジェリア唯一の代表はスキークロスに出たメディフィ選手(17)。父はアルジェリア人、母はフランス人。本人はフランス生まれで、双方の市民権を持つ。フランスから出たいと思ったことはないと言う。ガーナは冬季五輪は初参加。黒い肌をヒョウ柄が袖に入ったウェアに包み、母国の国旗を持った。04年に母国でスキー連盟を立ち上げた。現会長であり、ただ一人の選手でもある。
参加種目はスキー距離やアルペンスキーがほとんどで、それ以外ではリュージュ男子(台湾)、男子フリースタイル(ジャマイカ)、女子ショートトラック(香港)の3種目。このうちスキー距離の男子15キロにはアルジェリア(84位)、バミューダ諸島(88位)、ネパール(92位)、エチオピア(93位)、ポルトガル(95位)と5カ国が集結、熱い闘いを繰り広げた。
ホンコン ジャマイカ ガーナ ネパール
〜 一人だけの参加国 〜 asahi.com より
スポーツ後進国 日本
1998年の長野五輪で500bで金メダル、1000bで銅メダルを獲得し、2002年のソルトレイクシティ五輪では500bでトップと0.03秒差で銀メダルを獲得した清水宏保選手は、朝日新聞の2月23日付けコラムで日本のスポーツ界に対して苦言を呈している。
下の写真をクリックすると、PDF形式で清水宏保氏の全文を読むことができます。
この「スポーツ後進国 日本」と題するコラムの中で、清水選手は日本政府のスポーツに対する政策やオリンピック選手の育成、日本オリンピック委員会のあり方などに関して意見を述べている。
オリンピック委員会(JОC)に対しては、
「このバンクーバー五輪では、JOCの役員、メンバーが大挙して現地入りしている。予算は限られているのに、選手を手塩にかけて育てたコーチや、トレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていない。お金の使い方が逆だろう」と手厳しく述べている。
この記事を目にしたおっちゃんは、
JОCの公式ホームページ(http://www.joc.or.jp/vancouver/authorize.html)から各競技ごとの派遣選手と、それに伴う役員数を調べてみた。全競技の男女選手95名に対して、役員は111名となっている。確かに、選手よりも役員が多い。個別の競技ごとに、選手数に比例して役員が参加している。何故なのだろう。この役員とは、本当に必要な方たちだろうか。ちょっと心配になってきた。
おっちゃんは、「役員とは、それぞれの選手のコーチが主体だろう」と考えていた。だが、清水選手の言葉を読むと、どうも違うらしい。オリンピック委員会に意見はあるだろうが、長い間オリンピックに出場してきた清水選手の発言にも、耳を傾ける必要はありそうだ。
なお清水選手は自身のブログで、「3月5日に引退の記者会見を予定」と発表している。
バンクーバー五輪のメダリストたち
スピードスケート追い抜き 銀メダル 女子フィギュアシングル 銀メダル
左から田畑、小平、穂積の各選手 浅田真央選手
スピードスケート 銀メダル 男子フィギュア 銅メダル スピードスケート 銅メダル
長島圭一郎選手 高橋大輔選手 加藤条治選手
NHKオンラインより
五輪フィギュア― 国境を超えて広がる花
フィギュアスケートは長い間、欧州や米国が優勢だった。しかし近年はアジアの層が厚くなった。一説には、女子の体型がスマートになったことに加え、アジアの女性は身体が柔らかいということもある。
日本もこの五輪には、シングルの男女とも上限の3人枠いっぱいの選手を送り出した。そして、男子フィギュアスケートでは、高橋大輔選手が初めて銅メダルを獲得した。女子では、浅田真央選手が宿命のライバル・韓国のキムヨナ選手と華麗な技を競った。だが、キムヨナの堅実な牙城を切り崩すことは出来なかった。結果は銀メダルだが、見事な演技を見せた。
韓国五千万人の期待を一身に浴びたキムヨナは、敢然とそのプレッシャーを跳ね除けた。彼女には完成した大人のムードがあった。この五輪での二人の対決は、後世に残る熱戦であったように思う。 幼い頃から天才少女と言われ、同年齢の二人はそれぞれに練習に励んできた。たまたま今回、メダルの色が金と銀になったに過ぎない。胸を張って堂々と帰国してほしい。
何はともあれ、フィギュアでは二つの銀メダルを含めて、男女6名全員が入賞したのは立派な成果である。真に素晴らしい。
自国の選手が気になるのは当然だが、バンクーバーの銀盤には国境を超えた花が咲いていた。ペアにロシア代表として出場した川口悠子選手は愛知県出身。理想のスケートを追い求めてロシアに移り住み、国籍を取得した。勝たせたかったが、惜しくも演技の後半にミスを連発してしまった。会場には彼女を応援するロシアと日本の国旗が揺れていた。
アイスダンスの日本代表は、父が米国人で母が日本人のキャシーとクリスのリード姉弟である。彼らは和の衣装をまとって演技を披露し、テレビ観戦の我々を驚かせた。その妹のアリソンも同じ種目に出場した。パートナーと同じ国籍をとり、グルジアの代表としての出場である。
また、両親が日本人の長洲未来(みらい)選手は米国の市民権をとり、米国代表で出場。4位に食い込んだ。 カリフォルニア州出身で、米国在住。両親はすし店を経営する。14歳だった2008年の全米選手権で優勝し、一気にスポットライトを浴びた。
「未来ちゃーん !」公式練習のとき、1992年のアルベールビル五輪の金メダリストで、大先輩のクリスティ・ヤマグチさんから日本語で声をかけられると、彼女は嬉しそうに手を振り返した。
こんな話がテレビや新聞で次々と明らかにされる。スポーツに国境はないことを、つくづくと感じさせられたものである。
リンクサイドにも国境はない
浅田真央選手を指導するのは、「メダルメーカー」とも呼ばれるロシアのタチアナ・タラソワ氏。織田、安藤美姫両選手らを教えるのは、元ベラルーシ代表のニコライ・モロゾフ氏だ。
このたびの五輪では、高いレベルで競い合う日本のフィギュアスケート界に、二人の有名なコーチがいることを知った。モロゾフ氏は、トリノ五輪で荒川静香を金メダルに導いている。
海外へ活躍の場を広げる人もいる。元五輪選手で世界女王の佐藤有香さんは、9位になった米国代表・アボット選手のコーチとして五輪に参加した。
貧弱な選手養成施策 スケート部 社長は守る
日本がバンクーバー五輪で目標としたメダルは、史上最多の10個(金5、銀1、胴4)を獲得した長野五輪並みであった。今回、日本のメダル数は銀3、銅2の5個に終わった。開幕前に、海外の複数のメディアは「日本の金メダルはゼロ」と予測していた。全盛期の清水選手のような絶対本命視される選手のいない状況から、素人のおっちゃんも同様な予測である。
今回、韓国は金6、銀6、銅2個と総数で14個のメダルを獲得、中国は金5、銀2、銅4個の合計11個を獲得し日本を圧倒した。同じような体格なのに、日本のみが伸びないのは何故か。国威発揚を第一に選手の強化を図る両国に比べて、貧弱な日本の強化策が目立つ。加えて選手に与えるモチベーションに大きな差がある。
韓国はお家芸のショートトラックに加え、今回はスピードスケートの躍進が目立った。韓国最大の財閥サムスンが資金援助。金メダルを取れば兵役の免除や終身で毎月100ウォン(約8万円)がもらえる。中国も似たような恩典がある。さらに代表選手になると、国から給料が出る韓国や中国に比べて、日本には何もない。
キムヨナ選手などは、昨年の収入は7億円と言われる。それだけ国民の期待も大きいが、本人のうけるストレスも浅田選手よりは遥かに大きい。それだけ、練習や試合にかける意気込みも違うかも知れない。
民主党政権では事業仕分けで、選手強化策なども削減されるものもある。スポーツ庁などの構想も消えかかっている。不況で選手への支援を打ち切る企業も出てきた。4年に一度の五輪。そして冬のスポーツとなると、スポンサーも少なくなる。
2月28日、朝日新聞の記事で感動する場面に出っくわした。「スケート部 社長が守る」。富山市の地質調査会社「ダイチ」が田畑選手と穂積選手の二人をバンクーバーに送りだした。96年には20億円あった年商も、公共工事が減少し今や9億円である。
この小さな会社に04年、スピードスケートの名門冨士急を辞めた田畑選手が入社した。その翌年には田畑選手の高校の後輩・穂積選手も入社した。田畑、穂積の2選手に、年間二千万円の費用を負担している。売り上げが年々減る中、社長自らの給料を削った。「会社もスケート部も、俺の代で絶やせない」と頑張る。
政府の事業仕分けではマイナースポーツへの補助の是非が話題になったが、「銭金の話をしたら、やれないよ」と仰る。まもなく二人の選手が帰ってくる。社長の「とにかく結果を出せ」という言葉
に、しっかりと報いた。
社員僅か40人ばかり。田舎の会社社長の意気込みには、涙が出るほどに感動した。不況を理由にスポンサーを降りる会社も続出している。選手の育成には、抜本的な対策が必要だ。政府や体協、そしてJОC(日本オリンピック委員会)などが大いに知恵を絞ってほしいものである。
バンクーバー五輪閉会式
IT技術を駆使して幻想的な世界に誘い込む
つぎの開催地 ロシア・ソチ市の紹介も楽しい
閉会式で カメラに収まる日本選手たち
最下段のみ、クリックで拡大表示します asahi.comより
(C・W)
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