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**** 異常気象と醜い政府・官僚たち **** 

      自然破壊は異常気象へ

 8月も終盤になって、やっと猛暑ともサヨナラした。と思った途端に、涼しさを通り越した寒さが続いた。お天気はままならない。 しかし思うに、まことに暑い暑い「夏8月」でありました。オッチャンも猛暑という言葉は聞いたことがあるものの、「猛暑日」とは何か、まったく知らなかった。いったい猛暑日とは ? 気になって調べてみた。

 気象庁はこれまで、最高気温が25度以上の日を「夏日」、30度以上の日を「真夏日」としてきたが、さらに気温の高い35度以上の日を「猛暑日」と呼ぶことにしたのである。これは本年の4月からの変更だそうである。その頃は未だ暑さも感じなかったから、気に留めることもなかった。仕方ないとするか。猛暑日と決めたその背景には、地球温暖化やヒートアイランド現象などにより、これまでよりも気温が高くなる日が多くなる可能性があるためとのことである。

 初めての猛暑日は5月27日、大分県や宮崎県で記録された。27日の日本列島は高気圧の影響で、関東以西の多くの地域が真夏並みの暑さとなった。この日、大分県豊後大野市で36.1度、宮崎市でも35.4度を記録し、初めての猛暑日となっている。

 それでは「不快指数」とは ?気温と湿度の両方から人が感じる快・不快を数字で表したものだ。これが70を越すと、不快に感じる人が出始め80を越えるとほぼ全員が不快を感じるという。この8月は全ての日々が不快極まりないものだった。「暑い暑い」と言っても始まらないが、毎日の挨拶も「暑さ」一辺倒だったなぁ。昼間の暑さに追い打ちをかけるのが「熱帯夜」だ。これは夜の最低気温が25℃以上の夜のこと。実はこの熱帯夜、高度成長の始まった1960年頃から増加の一途をたどっているそうだ。

 緑や土が年々減り、太陽が沈んだ後も冷却作用が効かなくなったにもかかわらず、工場やオフィス、家庭などから出る廃熱は増え、都会の夜は冷えにくくなっている。「熱帯夜」に欠かせないエアコンが、実は「熱帯夜」増加を促しているわけである。

 7月は4年ぶりの低温だったそうだが、8月以降は連日の猛暑となり、16日に多治見市や熊谷市で観測史上最高の40.9度にもなった。日本列島一帯で酷暑にうんざりした夏は終わった。わが街も例外なく、つい最近まて酷暑に悩まされたものだった。愚痴を言っても始まらない。これらは皆、人間の営みの結果と受け止め、二酸化炭素ガスの排出抑制や、森林資源の保護や育林などが不可欠なことを知り、その削減に努めることは今更言うまでもない。

 いい加減な対応をしておれば、そのツケは必ず人類全体に及ぶことを心せねばなるまい。直接的には今年は熱中症による死者や患者が急増した。特に高齢者にはきつかった。全国で50人を超える方々が亡くなった。わが200世帯ほどの団地でも、深夜80歳近い女性が亡くなられ、また友人の50代の奥さんが救急車で病院に運ばれるという事態も発生した。74年ぶりという暑さはお年寄りを直撃する。特に高齢者は、体温の調節機能が落ちている。体内の水分量が減っていて、暑さへの抵抗力も低下しているため注意が必要だ。今年は峠を越えたが、寝る前にコップ1杯の水を飲んだり、室内でもエアコンだけに頼らず、扇風機、すだれなどをうまく活用することを心がけるなど、来年への課題としよう。

 同じ時期、北朝鮮では大洪水、中国でも旱魃が起きたり南米ペルーの太平洋岸では大地震が発生した。日本の暑さに影響を与えるのは、ペルー沖で発生するラニーニャ現象や、例年と異なるジェット気流の動きが関係していると言われる。これからも、異常気象の発生は避けられぬと覚悟せねばならない。これらは、地球温暖化との関連が強く指摘されている。「遥か彼方の出来事」と軽々に片付けるわけにはゆかない。人類共通の目標として対処せねば、異常気象から逃げることは出きないし、「猛暑日」を防ぐことも不可能と知ることが大切だ。
    (勉強 : 冷夏の反対は暑夏、寒波の反対は熱波)


 
  美しい国は何処にある ? 哀れ 政権末期の様相

 安部内閣が誕生してから、1年が経過した。しかしながら、この僅かな期間にあまりにも醜い事例が多発した。本年は、1937年の日中全面戦争勃発(盧溝橋事変)から70周年、日中国交正常化から35周年の節目の年である。これを知ってか知らずか、安部総理は就任早々の昨年に訪中し、中国政府首脳との会談をこなしたのはまずは大きな成果であった。前首相の頑固さで悪化した両国の関係はとりあえずは修復した。だが靖国神社参拝は、「今後も、するかしないかを明らかにはしない」という曖昧な態度を続けている。

 中国政府は、これに対して何も言わないが別な意味で何とも信念の無い総理とも言える。見え見えの曖昧さは、いつまでも持つものではない。いずれボロを出すのではないか、と心配だ。心の内を明らかにしないなら、ほんとうの意味で信頼できる国家の関係は出来るものではない。そんな誤魔化し戦法では誰とも友人関係は作れない。こんな些細なことが分からないのなら情けない。が、もし分かっているならば、なおさら悪い。逆に、安部総理は相当なやり手かも知れないな。

 戦前の東條内閣商工相から執念で総理の座を獲得した岸信介、総理になりそこなった父親の安部晋太郎に次いでの三代目は、容貌もなすこともボンボンだ。祖父のタカ派的資質だけは備えているように思える。東條英機の孫である東條由布子さんも、大東亜戦争は正しいと仰って立候補し落選した。戦争を知らない世代は、身内が正しいと信じざるを得ないのか。

 このような総理大臣のもとに内閣は発足した。前首相の1本釣りとは異なり、自らを支持した親しい仲間で閣内を固めた。お友だち内閣と揶揄もされた。そして、その結果は見るも無残な閣僚の辞任連鎖となった。松岡元農水相は、「なんとか還元水」なる意味不明の言葉を連発し、安部総理も何故かそれを擁護した。それが仇となり、松岡氏を自殺へと追い込んだ。そのあとの赤城元農水相も、事務所費不正の説明がつかず「バンソウコウ」のイメージだけを残して更迭された。3人目の遠藤氏も、自らが組合長を務める農業共済組合が国から不正に補助金を受け取り、未返還がバレテしまい僅か1週間で辞任した。これは、農家の名前を勝手に使うという悪質な手口で国民の税金を詐取した。辞任は当然であり、議員辞職に繋がることもあり得るかも知れない。

 遠藤氏は大臣就任会見において、「正直言って、農水大臣だけはやりたくなかった」と前代未聞の発言をしていた。やりたくないなら、やらねばよいではないか。と思うのは、オッチャンだけではあるまい。呪われた?農水大臣の椅子などと言われるが、会計検査院から長年にわたり不正を指摘されていたのに放置した。辞任は当然であろう。

 いやはや、出てくる!出てくる !

  政党支部の政治資金収支報告書に、領収書の多重計上の疑いがあることを認めた坂本由紀子外務政務官(参院静岡選挙区)も、外務政務官を辞任した。

  坂本氏は元厚生労働省局長で、当選一回。今回の内閣改造に伴い、外務政務官に就任した。さらには玉沢徳一郎元農相も4年前の政治資金収支報告書で、同じ領収書の日付を改ざんして5回も使用するなど多重計上していた。自民党へ離党届けを出した。これも議員辞職に値するものだろう。このたびの内閣改造では派閥領袖クラスが入閣したが、過去に問題を起こした議員も多々見受けられる。いずれは自分の番かと戦々恐々たるものかも知れないな。ああ、そういえば、米軍による原爆投下を「しょうがない」と発言した久間元防衛相も当然ながら、辞任に追い込まれた。まだあるな。事務次官の人事を決定できなかった小池元防衛相も、辞任したことと同じだろう。

 鴨下環境相も危なくなってきた。先の参院選で自民党公認で神奈川選挙区から当選した小林温議員も、陣営の出納責任者が公選法違反(買収)容疑で逮捕、起訴された責任を取り議員辞職することとなった。あきれてものも言えぬとは、このことか。


 年金問題では、先の「消えた年金」にくわえ、社保庁や市町村の職員による年金を横領した事例が、少なくとも99件、約3億5千万円もあることが発覚した。年金の支払いは定年後だから、それまでは横領していても発覚することは少ない。こんな手口で国民の金を騙し取っていたわけだ。政治家も官僚も、他人の金を着服しのさばっている。
 まあまあ、ここまでやられたのでは信用するべきものがない。舛添厚労相は、年金救済は最後の1人まで、最後の1円まで給付につなげると確約した。いまや頼りは、この人しかいない。しかし、既に退職したといえども、着服横領した職員は全ての金額を弁償してもらわねば国民の怒りは収まるものではない。それが出来ぬなら、20年間位は臭い飯でも食ってもらいたいものだ。
 ここは最後のカケで、大臣の行動と実行を見守ることとしたい。言葉だけでは、舛添大臣も辞任してもらいうしかあるまい。

 与党の参議院戦大敗後、次から次へと議員の醜聞や政治活動経費報告書のごまかしが暴かれ、連日週刊誌ネタの提供に枚挙に暇が無い。今のところマスコミの糾弾は与党議員に集中しているかの様であるが、叩けば埃の出る政治家は野党にも少なからず該当者がいるのでは無いか?心当たりのある議員さんは今からでも遅くはない、政治活動報告書の訂正を急がれては・・・

(C・W)