新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて
****** 清々しい秋の訪れではあるが ****** |
「暑さ寒さも彼岸まで」とは何方が言われた言葉なのでしょうか。季節の歩みは確実で、ひたひたと秋が訪れてきました。空が高く、流れる雲の形も変化してきた。酷暑にくたばっていたオッチャンも、やっと息を吹き返した感じだ。ベランダから通り抜ける風も冷気を感じる。その前方に茂る栗林も実をたわわにつけて収穫の時期を待っているようだ。
この秋は当地在住の知人が滞在する中国・チンタオ訪問が最大の楽しみだったが、団地大規模修繕工事の最後のまとめが終わらず、とうとう諦める羽目に陥ったのがまことに無念である。30年もお世話になった住まいで、他の皆さんに仕事を押し付けて逃げ出すわけにはいかない。結局は断念したのは正しい選択だったことになる。来年1月までの任期を終われば、後ろ髪を引かれることもなくなるだろう。
この夏の一番の損失は、8月下旬に壊れたパソコンであろうか。オッチャンにとって生活必需品だからちょっと慌てたが、保証書をみたら5年前に購入したものであり、日ごろから壊れたら新品を購入しようと考えていたから、一日おいて直ぐにパソコンも開通させた。日進月歩の世の中であり、買いたいときが「買うべきとき」を実行した。ADSLに切り替えるときに購入したモデムも何の支障もないが、光ファイバーに切り替えて捨てる運命となった。「勿体無い」の世代ゆえに、購入判断がちょっと遅れるのが、我々の年代に共通の課題なのかも知れない。
悪質な飲酒運転の続発
この年も親が子を、子が親を殺害したり、大きな動機もないのに友だちを殺傷したりする事件が相次いだ。この夏、特に目立ったのが飲酒による事故の多発だ。
去る8月25日には福岡市の職員が福岡市東区の博多湾に架かる「海の中道大橋」で、酒酔い状態で車を運転し、会社員大上哲央(あきお)さん(33)の車に追突。大上さんの車を海に転落させ、1〜4歳の子供3人を水死させるという痛ましい事故が起きた。
追突した乗用車は橋の上を約300メートル走った後、走行不能となり停車。運転していた職員は22歳。テレビで見ればまだ少年のような幼さない容貌だった。居酒屋を数軒ハシゴし、酩酊状態だったにもかかわらず車を運転する無謀さだ。そして水を多量に飲んで酒酔いを誤魔化そうという悪質さ。一緒に乗っていた友人も酒酔い運転を止められない無神経さ。何を取り上げても、言い訳一つできるものではない。子どもを一挙に3人失った両親の怒りと悲しみは、まことにむなしく想像しがたいものである。この事件を受け、福岡地検はこれまで逮捕時の罪では最高刑が懲役7年6月だったものを、同地検は危険運転致死傷罪と道路交通法違反(ひき逃げ)で起訴する方針で、最高刑は懲役25年になる。
こんな悲惨な事故のあとでも、酒気帯びや酒酔いによる事故が相次いでおきている。自治体の職員から消防署の署員、警察官と枚挙にいとまがない。「泥棒を捕らえてみれば、警察官」という状態では、何をかいわんやである。こんな最中に、朝日新聞甲府総局の記者が酒気帯び運転で検挙された。甲府署の調べに「夜から朝にかけ、自宅や居酒屋でビールや焼酎を飲んだ」と話していたという。
この記者は、飲酒運転についてのキャンペーン記事を担当していたというから、こちらも何とも「コメント」のしようがない。オッチャンも酒が好きで昔はよく飲んだが、幸いというか、飲酒運転の経験は過去に一度もない。飲酒運転の撲滅には、運転者はもちろんのこと、同乗者、酒を飲ませた店も含め一律同罪位の厳しい処分が必要であろう。さもなければ、とかく酒に甘い日本人の観念と社会通念は改まらない、と考えるべきだ。
オッチャンが現役時代に、新しく出来た部門の責任者になったとき、営業部門の人数不足を補うため工場から20歳そこそこの若者が回されてきたことがある。石川県輪島の出身で気立てもよく可愛がっていたが、あるとき酒を飲んで会社の車で帰宅したらしい。ところがその車が踏み切りから線路に入り、100メートルも進んで線路の切り替えポイントに衝突した状態で放置されていた。
警察では車のナンバーから所有者を割り出したら、運転していたのは当社の社員であることが判明した。本人は社員寮で悠然と寝ていた。ご本人にはまるで意識がないが、どうも踏み切りで左折し、ガタガタした線路道も分からず走らせていたようだ。同じような事故も先日起きている。これほど酔って運転する無神経さには、理解の限度を超えてしまう。処分の重罰化も当然だが、とにもかくにも原点に戻り、「飲むなら、乗るな。乗るなら、飲むな!」の徹底化と共に、酒飲みに対する厳しい監視を厳格に実施するしか手はなさそうである。
最近、酒酔い自転車運転が検挙された。酒を飲み蛇行運転しているところを発見されたらしい。幸い他人に対して危害を与えていないが、この経験はオッチャンにも多い。朦朧とした意識で、自転車で帰るときによく酔っ払い運転を経験した。歩くのがやっとの千鳥足なのに、自転車は余計危ない。満足に二輪で走れるわけがない。またがっても、左右に揺れて動かない。少し動いては、ゴツンと転倒する。あちこち傷だらけで、やっと家にたどり着く。
今はそんな機会が無くなって無事でいるが、酒飲みの自転車は危険この上も無い。現役の皆さんで経験されている方も多いはずだ。この際、人力の車も、「飲んだら、乗らない」を実行しようではありませんか。
(注記) 鎌ケ谷市内のNPO法人にMADD Japan(飯田代表)があり、熱心に飲酒運転撲滅運動に努められ、最近はNHKのTVや朝日、日経、毎日、西日本新聞、千葉日報などでも紹介されています。 URL:http://www.maddjapan.org/
千里走単騎 = 単騎、千里を走る
こちらは明るく心温まる物語である。先日、市内のレンタルビデオ店から「会員登録の更新期限が近づいてきたから更新して下さい」とのハガキが届いた。オッチャンはレンタル店などはめったに行かない。せいぜい年に数回行く程度である。更新料はかかるがCD一枚を無料で貸すとのことゆえ、ノコノコとでかけた。
ふと思い出したのが表題の「千里走単騎」という中国映画のCDである。日本語では「単騎、千里を走る」と訳され、本年1月に日本でも上映されている。中国語学習者なら誰でも知っている映画だ。監督は「初恋のきた道」「あの子を探して」「HEROU」などを手がけたチャン.イーモウ。主演は高倉健だ。中国国内は勿論のこと、日本でもかなりヒットした。
つい最近CDがレンタル開始されたとの新聞情報を見ていたから、レンタル店の棚をズーッと見ていった。ありました。ありました。NEWと書かれたポップのところに目指すものを見つけ、勇躍わが家へと帰った。早速購入したばかりの新パソコンでの映画鑑賞となった。
映画のあらすじ
物語は、現代の中国と日本が舞台となる。主人公・高田(高倉健)は、余命いくばくもない民俗学者の息子の代わりに、仮面劇「単騎、千里を走る。」を撮影しに、中国の奥地・雲南省麗江市を訪れる。この旅は、高田にとって、長年の確執によって生じた親子の、埋めることの出来ない心の溝を埋めるための旅でもあった。
しかし、言葉がわからない高田に次々と難題が降りかかる。だが、この旅路で、高田は様々な人々と出会うことになる。そして、彼らの素朴な心情に触れることで高田は癒され、一方高田の想いが人々の心を動かしていく。そしてこの旅の中で高田は、人が本来生まれ持つ“優しさ”や、遠い昔に失ってしまった家族の意味を、少しずつ取り戻していくのであった……。
中国語の全く話せない高田は、これまた日本語の覚束ない案内人のチューリンとともに、やっと雲南省・麗江の劇団に辿りつく。しかし、仮面劇「単騎、千里を走る」を演じてくれる筈のリー・チャーミン(李加民)は、仲間内のケンカで相手を傷つけ刑務所に入っていた。だが外国人という理由で、刑務官はリ・チャーミンに会わせようとはしない。ここでも、日本語通訳の蒋さん(女性)の携帯電話が大きな力を発揮する。彼女は高田の要求を「高田さん、それムリだよ」と言いながらも、高田を支援する心温かい女性である。
刑務官は、ただ仮面劇を撮影するだけという条件で、高田の要望に納得し、囚人たちの中からバックミュージックを演奏する楽隊を編成する。リー・チヤーミンは刑務所内の演舞場で演ずることになり、チューリンが持参した仮面をつけ、衣装をまとう。だが、彼はどうしても歌えぬと言って仮面を脱ぐ。泣きぬれたリーは、故郷に置き去りにしてある息子ヤン・ヤン(楊楊)に会いたいと懇願する。
**国際映画祭のオフィシャルサイトから** 左は張芸謀監督と高倉健 右は雲南省・麗江市と玉龍雪山 5596m |
仮面劇を撮影するため、やむなく高田はヤン・ヤンを迎えに行くことを決意する……。ヤン・ヤンを迎えに来た高田をもてなす、村人たちの食事会は見事なものだ。狭い路地に延々と、100メートルを超える食卓が並ぶ。
(これは「長卓宴」と呼ばれ、雲南のナシ族に伝わる伝統的なもてなしの宴だ。ずらりと屋外に並べた机の上にそれぞれが食べ物を持ち寄り、村をあげて客人をもてなすというもので、今も実際に行われている人情味溢れる風習である)。
一度は父親に会うことを決心したヤン・ヤンは、途中車が故障したときに逃げ出す。
ヤン・ヤンを探す高田。村人たちの懸命な捜索にも拘わらず、道に迷った二人は次第に心を通わす間柄となる。ヤン・ヤンを連れ戻すことを断念した高田は諦めて村を去る。高田からもらった笛を吹きつつ走り去る車を懸命に追うヤン・ヤン........。やがて刑務所に戻った高田は.....? (後略)
左は地元の子どもを抱く高倉健 | 右はヤン・ヤンとの別れのシーン | 通訳の蒋さん |
このDVDはオッチャンだけでなく、オバチャンも見たいとのことで当方は2回見ることとなった。
10年にわたる文化大革命で抑圧された中国の文化人が同じ東洋人を招き、夢にまで見た憧れの高倉健との合作にこぎつけた話がDVDでの中でも、赤裸々に語られている。
「一般の現代社会における人と人とのコミュニケーション、人間と人間の交流を大切にしてもらいたい」というメッセージをこめたと、チャン監督は言う。
5年余の打ち合わせを経て作られた、作品に込める二人の思いは変わらない。高倉健は「単騎、千里を走る。」という自分には分不相応なタイトルの映画の主演を頂いて、やっぱり一人で行くべきなんだろうと思った。結果的にはスタイリストとメーキャップは一緒に行ったという。
この映画の大きな特徴は日本人俳優の高倉健を除けば、現役の通訳である蒋さんや案内役のチューリン、仮面劇のリー・チャーミン、そしてヤン・ヤンなど殆どがオーディションで集めた素人であることだ。特に子役のヤン・ヤンは、表情で心の内面を巧みに現す名優であり、とても可愛かったのが印象的である。
日中・日韓関係が冷え込んだ今でも、民間レベルでは人間と人間との基本的な触れ合いも進んでいる。政治とは離れたところで信頼関係は築かれ、交流は深められている。それぞれの国々が、政治家自らの保身のための、ナショナリズムを煽ることないことを強く望むものだ。真の友好は遠くで吼えているだけでは進まない。お互いに会って、かつ真摯に語り合うコミュニケーションこそが最優先課題であろう。遠く離れた自国での、犬の遠吠えでは何も進展しないことを、次の政権担当者は心すべきものと思う。