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****** 熱く、暑い 灼熱の夏が終わった ****** |
8月も半ばを過ぎ、上海から一通の絵ハガキが到着した。もちろん航空便だが上海での消印からみると、4日ほどかかったことになる。裏面には雲南省の玉龍雪山(5596m)が描かれている。真夏なのに名前どおりに雪に覆われた険しい峰々である。
差出人は習志野の元中国語受講生である。「暑○問候」と書かれている。日本語らしく翻訳すれば、「暑中お見舞い申し上げます」ということだろう。中国語なら4文字で終わりだ。末尾に「2006年 猛暑」とある。どこもかしこも、この夏は暑かったことの証明でもある。
豪雪の冬に始まり、カラ梅雨どきには局地的豪雨で九州など各地で大きな被害をもたらした。そして、悲鳴をあげたくなるような暑さが続いた。猛暑、酷暑、まさに釜ゆでのごとき灼熱の夏は終わった。8月の末も近くなると、これまた朝夕めっきりと涼しくなった。このような天候の変化に見るが如く、地球環境の異変は確実に進んでいることを、我々は決して忘れてはいけないだろう。
まずは、最近経験した面白い出来事 ? を記しておきたい。
一つは娘に頼まれて「牛肉の薄切り」を買いに近くのスーパーに行ったときのことである。牛肉の売り場でいくら探しても、「薄切り」は見当たらない。孫たちが集まったために、簡便料理として、夕食にハヤシライスを作ることだけは分かっていた。
それでオッチャンは売り場の前で暫し考えていた。カレー用などと書かれた分厚い肉もある。だが頼まれたのは薄い肉なのだ。たまたま目の前を通りかかった店員がいたので声をかけた。店の奥から寿司を売り場に運ぶ途中だった。見かけたところ、家庭ではれっきとした主婦であることは間違いない。カレーライスに使う「牛肉の薄切り」って、どれですか?と尋ねたら即答できないのだ。なぜかオタオタとしている。それで貴女は家庭の主婦が務まるのか、と少しばかり頭にきた。彼女は「生肉売り場の担当者を呼びますから.....」とおっしゃる。
代わりに若いあんちゃんが出てきた。これまた、おばちゃんに輪をかけたように間が抜けている。「焼肉用でいいのではありませんか...」などという。「牛肉の薄切りでカレーに使うものがいるんですよ」「分からなければ用事はないけど」と言ったら、素直に
? 姿を消してしまった。何とまぁ、実に情けない出来事が起きたものである。店員に聞くことはやめた。少しばかり売り場にいて、通りかかった奥さんに聞いたら答えは簡単にでた。そんなことで、買い物は無事に済ませることは出来たが、こんな方々が食品スーパーに勤めているなんてどうなのか、甚だ考えさせられるものがあった。
二つ目は、中国旅行の新聞広告である。8月20日過ぎの朝日新聞の夕刊を、ソファーに横になって下面旅行広告欄を眺めていた。「ANA確約 感動の世界遺産 黄山(こうざん)・屯渓(とんけい)・杭州(はんじょう)6日間」とある。オッチャンはふと、これはおかしいなぁ、と気づいた。
「こうざん」と、「とんけい」は日本語読みのフリガナである。それはそれでよい。だが杭州は日本語読みなら、誰でも「こうしゅう」と読む。あきらかに中国語読みなのは間違いない。一つの疑問はなぜに杭州のみを中国読みにしたか。二つ目は杭州を「はんじょう」とフリカナをふるのはかなり無理があることだ。中国語は発音が難しい。平音な日本語と異なり発声を間違えば意味は全く違ったものになる。無理やりフリガナをふっても、ハンジョウとはならない。多少は中国語を学習したオッチャンには、かなり頑張っても「ファンチョウ」か「ハンチョウ」としか、フリガナをつけることができないのである。
中国方面を得意とする旅行会社ならば、なおのこと、このような誤りはしてほしくないものだ。なぜに日本語読みと中国語読みを混ぜて使うのか、どうしても納得がいかないのである。
問題はこの先である。広告担当者をお願いしようと思ったら、受け付けたお姉さんがテキパキと応答してきた。それならばと、二つの疑問点を尋ねてみた。その答えは「杭州は中国語読み」とのことであった。もちろん、なぜ杭州だけそのようにしたかは当然ながら返答できない。
ちょっと突っ込んだ質問をしたら、「このような中国旅行は他社にもたくさんありますから、そちらでどうぞ」ときた。オッチャンは、唖然として声もです、静かに電話をおろすのみであった。このような社員が直接お客と接する企業は先行きどうなるのか、とても心配になったことだけは事実である。
熱闘 ! 甲子園
第88回全国高校野球選手権大会は、稀に見る熱戦の連続であった。史上2校目の3連覇のかかった駒大苫小牧と27回出場で初優勝を目指す早稲田実の決勝戦は延長15回を終えても1-1で譲らず、引き分け再試合となった。決勝戦が引き分け再試合にもつれ込んだのは、第51回大会(69年)で松山商(愛媛)と三沢(青森)が延長18回を0-0のまま終えて以来の史上2回目だ。
決勝再試合は早稲田実が駒大苫小牧を4−3で破り、初優勝となった。9回2死1点差に迫って、最後は早稲田実の斉藤が駒大苫小牧のエース田中に対して力の限りの速球を投げ込む。田中は強振し連続ファウルで粘る。そして最後、田中は豪快に空振りして熱戦は終わった。
試合中はあくまでクールだった斉藤投手は、感きわまって終了後に涙にむせた。一方、負けた田中投手は、チームの皆が泣きじゃくる中で、ただ1人一滴の涙も見せなかった。オッチャンのメール仲間からは、この男らしい田中を称える言葉が多かった。オッチャンも同様に思う。
高校野球の勝敗はほんの僅かな差で決まる。今大会も易々と試合の決まったものは少ない。逆転につぐ逆転の試合が多かった。選抜大会の優勝校・横浜や準優勝の清峰も早々と破れ、選抜で横浜に大敗を喫した早稲田実が勝ち残った。駒大苫小牧も、僅かなチャンスをものにして辛うじて9回に逆転勝ちした試合も多かった。
どこの高校にも勝つチャンスがあると言えるだろう。万年一回戦ボーイだった北海道の学校が3連覇を狙うほどに時代は変わった。沖縄よりも台湾に近い石垣島の八重山商工や、長崎の清峰など純粋培養の田舎の県立高校が九州大会でも優勝を争うほどだ。駒大苫小牧には道外出身者はいないと思ったが、田中投手と二塁手が兵庫県からの野球留学であることが分かった。早稲田実の斉藤も群馬・前橋の出身である。それぞれ甲子園出場の可能性の高い高校へと野球留学した。
こんなところに加熱した高校野球の矛盾を感じるが、一途に目的達成を目指す若者に対しては過酷な批判と言うべきかも知れない。しかし、青森山田のようにレギュラーに県内出身者のいないチームもある。卓球の愛ちゃんなども取り込み、スポーツ振興の高校としては著名であるが、ちょっとやりすぎの感は否めない。
野球部や卓球、マラソンなどの選手を補強し知名度を高める経営手法は、一部の地方私立高校に限られていたようだが、少子化が益々加速される状況下では必須のマーケティング手法として避けられぬ道らしい。こんなところにも、少子高齢化の影響があらわれている。大学のみならず、高校も経営手法を間違えればたちまち廃校の憂き目に遭うということか。
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このところ千葉代表は甲子園での活躍が見られない。今年の代表校・千葉経大付は一回戦で八重山商工に逆転負けだ。いっときは銚子商業や市立習志野、市立船橋などが全盛時代で、どこが出ても甲子園で優勝を狙えるチームだった。
いまや上位20から30校に大きな実力差がない。多くの私立強豪校に勢力が分散され、有望選手が1校に集まりにくいそうだ。千葉大会と甲子園を取材したスポーツ記者によると、パワーとスピードが違うともいう。千葉大会では感じたこともない「恐怖のようなもの」すら感じたという。千葉も都会的になりおとなしい選手が多くなったのか。
オッチャンの同級生に長崎県立清峰高校出身者が1人いる。昨年夏から今年の夏へと3回連続の甲子園出場で、しっかり知名度をあげて鼻高々だが、今年の春は決勝戦まで応援する有様となった。その学校は長崎県北松浦郡佐々町という人口僅か1万4千人の町にある。
選手はみな地元の公立中学校出身である。県の教育制度は定員の7%以内の隣接学区からの入学を認めているそうだ。そんなことで選手の出身市町村を見ると、18名中15人が佐世保学区の出身である。清峰高校も平成15年に校名が変更されたもので、その前は北松浦高校であった。佐々町は地理的には平戸と佐世保に挟まれている。佐世保との合併推進派町長が就任し、清峰高校の運命や如何に..と伝えてきた。一方、MR鉄道の上佐々駅は来年の3月には駅名を「清峰高校前」に変更予定と報じている。
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清峰高校校長室に飾られた選抜準優勝旗 |
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清峰饅頭 |
春の選抜では清峰高校の準優勝を祝して、町の菓子屋さんには「清峰饅頭」なるものも出現した。小さな田舎町での、町をあげての応援の結果がこのようなものなら、とても微笑ましい。
しかし「青いハンカチ」や「ハンカチ王子」はいただけない。
夏の大会の終了後、早稲田実の斉藤投手がマウンド上で、青いハンカチで額の汗を拭くことが大きな話題となった。むしろマスメディアが競ってそれを取り上げ報道した。
その結果は「青いハンカチ」の製造元への注文が殺到したり、ヨン様ならぬ祐ちゃん詣でのおばさんたちの追っかけが始まった。新聞や週刊誌などのメディアは、「ハンカチ王子」などとまるでタレント扱いで報道合戦を繰り広げている。斉藤投手は、まだまだ在学中の高校球児である。このようなマスコミの態度はまったくの行き過ぎと思うのは、オッチャンだけではあるまい。
もちろん、優勝は斉藤投手一人で勝ち取ったものではない。チーム全員、そして学校をあげての応援など、多くの人々によってなされたことは言うまでもない。それを知りつつ、一人のエースを持ち上げて「ニュース」を作り上げるのは報道のなすべきこととは到底思えないのである。
(C.W)
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