新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて

**** 人生120歳を目指そう!! ****

 今ひとつ、パッとしなかった今年の4月も過ぎさろうとしている。
天候が不順なせいか、外気に触れたり、活発に身体を動かそうとする気分にもなれない日々が多かったように思う。なぜなんだろうか。天気が悪いからなのかな。いや、そうでもないようだなぁ。よくよく考えてみると、どうも全てを天候のせいにしているようだ。その根底には、自らの前向き意欲の減退が存在しているようである。

  その昔、人生は50年と言われていた。織田信長も「人生わずか50年」と謡っている。そんな人生も、今や50、60は鼻垂れ小僧で、80歳が当たり前になった。しかし宇宙や地球の誕生の歴史を思えば、一人の人間の寿命なんかは、たかが知れている。我々はほんの僅かな期間、この地球に存在しているに過ぎないのだ。実に儚い夢の瞬間を生きている。いや、生かされていると置き換えたほうが正しいだろう。

  還暦を過ぎたときに、「まだ折り返し点だ。あと60年は生きる」と決めた? オッチャンも、そろそろ70歳の古希を迎える年頃となってきた。結婚した娘たちも40路に近く、ときどき遊びにくる孫娘たちの成長はまことに著しい。パソコン操作も慣れたものだ。そんなことで、わが愛する息子も彼女たちに占拠されてしまう。
  「おじいちゃ〜ん、あれ、やりたい〜」などといわれると、ご希望にそって愛機を譲らざるを得ない。そのようなことで、孫たちがくるときは戦々恐々の日々となる。

  日本は世界一の長寿国である。それも年々更新している素晴らしい国である。エイズなどの蔓延するアフリカでは、平均寿命が35歳などといわれる国もある。伊能忠敬(1745〜1818)は、安政6年(1794)、隠居すると高橋至時(よしとき)の門弟として天文学を学び、その6年後55歳から北海道の測量を行い、17年間にわたって1日に18キロを歩き、日本全国地図を作りあげた。測量に歩いた距離は39,000キロになる。これは地球一周分に匹敵するというから、まったく驚かされる。

  その忠敬を記念した「伊能ウォーク」は1999年1月25日に東京を出発し、約2年間にわたって各地の方々にバトンタッチされ、日本一周を果たし、2001年1月1日に最終地・東京にゴールした。オッチャンはこの最後の日、車も少なく元旦の清清しい道を、川崎から日比谷公園までの10キロほどに参加した。

  このウォーキングラリーでは、途中の町でいろいろな言葉が生まれた。日本ウォーキング協会では、「@歩かない日はさびしい。A飲まない日はさびしい。B作らない日はさびしい」が一つのテーマだった。
  仕事に忙しい現役世代対象では、「バスや電車は一駅以上は歩く。車に乗らず2キロは歩く。階段は3Fまでは歩く」がぴったりだ。

  当時の静岡県・掛川市長は「ウォーキングで一世紀、1週間人生を目指そう」と提起した。 これは、「健康で百年生きて、寝込んだら1週間でサヨナラする」というものだ。歩歩笑美抄(ほほえみしょう)=歩いて歩いて笑いましよう、という造語も生まれた。
  現代を生きる人たちの年齢は「30年前の8掛け」に相当すると言われる。となれば、70歳に近いオッチャンもまだ50代の半ばということか。歩いて、かつ学べば100歳まで生きられる。寒い、暑いと文句を言う前に、まず歩かねばならないなぁ。

  手元に健康管理シートがある。体重・筋肉量・体脂肪率・基礎代謝量・内臓脂肪・推定骨量・体調などを記録するシートである。久しぶりに覗いたら、管理シートに記録されたのは何と僅か4日だ。3日坊主ならぬ4日坊主で終わっている。昨年の秋、数十年間使ったアナログ体重計に変わって、一念発起100グラム単位のデジタル体重計を購入したのに......。

  やっと、のどかな季節が訪れてきたら、やたらに眠い。熊が冬眠から目覚める頃に、オッチャンは春眠かぁ。眠い。起きない。これはやめることとしよう。

 
ここまでお読みいただいた方々には、120歳を生き抜く術を伝授いたしましょう。

人生は120歳だ還暦 身体を鍛えて、万事これから人生マラソン折り返し


古希 これより始まる真の人生、ライフワークに取り組もう
    (杜甫 「人生七十古来稀」)

喜寿 気持ち若けりゃあ身体も動くし、社会奉仕に精を出し喜の字の祝い七十七歳

傘寿 盛んな食欲丈夫な足腰、次の見聞拡げよう

半寿 派手な服装オシャレも結構、おおいに若返り

米寿 勉強続けてボケる暇なし、弱った仲間を助けよう米の字を分解して八十八歳

卒寿 それなりに趣味道楽を楽しもう、食う寝るだけ生きる価値なし

白寿 晴れ晴れ人生かぞえて百歳、天寿の残りはまだ20、百から一を取れば白となる。九十九歳

茶寿 酒も緑茶も長寿の薬、翁で無礼講

皇寿 午睡かならず食少なめに、移ろう四季に身を委ね大還暦だいぶ近づく極楽浄土、三途の川はフリーパス



  イトーヨーカ堂の復活

  先般撤退したイトーヨーカ堂鎌ケ谷店の跡地に、「鎌ケ谷ショッピングプラザ」がオープンし、イトーヨーカ堂もその一つとして復帰した。元々食品部門は採算も取れていたという話だから、今回は食品だけの出店である。ほかに19店のテナントが入り、市の中心部に新しい形態の店舗が誕生した。
  ショッピングプラザがオープンした20日には、記念特価という店も多く大勢の客がおとずれて活況を呈した。ヨーカ堂の食品部門をはじめ、大型電気店や書店にしても競合が激しい。開店セールが終えて、これから本当の勝負が始まる。いかにサービスと商品に特徴を出すか難しい課題が待ち構えている。

 開店前には、新聞にテナント各店のチラシ広告がたくさん折り込まれた。秋葉原のラオックス、100円ショップのダイソー、アウトドア、ぬいぐるみの店...などに加えて1000円床屋もできた。その名を「QB HOUSE=キュービック ハウス」という。


  1000円の理髪店は当地でも今回が初めてではない。すでに東武鎌ケ谷駅西口に2店がオープンしている。もちろんチエーン店である。
だが、今回は全国展開をする大型店である。「10分 1000円」にこだわり、衛生面へのこだわりを全面に打ち出し、平成7年の創業・現在北海道から九州まで332店を擁する大規模理髪チエーン店の進出という意味で、鎌ケ谷の既存理髪店は大きな影響を受ける可能性がありそうだ。

  現在、千葉県下では千葉市の6店、八千代市4店、習志野市3店などをはじめ、このたびの鎌ケ谷店が24店目となる。4/20の鎌ケ谷店開店以降も、4/21イオン千葉ニュータウン、4/21アクロモール守谷店.....5/10イオン柏SC店と続く。

  ユニクロや100円ショップの理髪店版と考えて間違いなさそうだ。1000円ショップの発想そのものは、ごく単純なものである。自分でできる髭剃りやシャンプー、ブローなどは省き、理髪店の仕事はヘアカットとエアウォッシャーだけしかやらない。仕事内容を極端に特化させ、それで短時間かつ安い料金を実現しただけだ。

  都会では忙しいサラリーマンには歓迎されるであろうし、勤め人の少ない昼間の街では、年金生活者に相応しい料金設定でもあろう。昔ならノンビリと床屋に行くのが好みだったオッチャンも、今はそんな風情を求めることもない。その昔、鼻毛や耳の中の掃除は気持ちのよいものだったなぁ。鼓膜に触りそうで、決して触らないスリル感がたまらなかったが、いまどき在来からの理髪店は、どうなっているのだろう?
  いずれにしても、需要のあるところに発想の原点を求めねばならないのは、どんな商売もおなじである。(C.W)

  写真説明(左から)

1.入り口のランプの色により、待ち時間が分かる。   2.1000円札を入れて、チケットを購入する。
3.好みのヘアスタイルを告げる。    4.お客の利用する椅子。   5.帰りには客に渡す使用したクシ。

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