年が明けてから、はやくも1か月を経過した。当鎌ケ谷の地でも若い方々は故郷に帰られたのか、暮れから正月にかけては実に静かなものであった。この静けさは、年々加速されてくる感じがする。そもそも、子どもの絶対数が年を経るたびに減少しいるのだから、当たり前のことであろうか。オッチャンの住む団地も、早いもので築後30年になろうとしている。
今や「60歳は定年」とばかりに、隠居を決め込む人はいなくなった。年金の支給年齢が65歳へと段階的に繰り下げされていくのに加え、平均寿命が伸びて、65歳ではとても老人とはいえない時代である。「老人」の定義づけは、「70歳」という話が進められている。しかし、ここで65歳以上を高齢者と呼ぶならば、当団地におけるその比率は40パーセントを超え、恐ろしいほどの高年齢の社会を形づくっている。
入居当初、公園はもちろん周辺地域に溢れていた子どもたちの姿は極端に減少し、賑やかで楽しげな会話や嬌声が聞こえなくなって久しい。世代交代に伴い、見慣れない新たな入居者を見かける。これらの若い人たちの幼児が、僅かに公園の砂場で遊んでいる程度である。まさに高齢化社会を象徴するような団地の一つへと変化を遂げてきた。
いわば毎日が日曜日のオッチャンではあるが、テレビを見て過ごすということはない。暮れの紅白歌合戦などの年末恒例のテレビ番組も見なくなってしまった。一つには、出場する歌手の名前も、その歌も知らぬことに理由がある。馴染みのない歌手では見る気もおきない。
いつ作られたか分からぬ正月のお笑い番組も面白くない。そんなことでテレビ離れが進んでいる。これは加齢とともに、その傾向を益々強めているようだ。まあ、若い人からみれば、テンポの合わぬ老人に見えるかも知れない。
正月も3日目、「街の様子は如何に」と自転車で外に出た。流石にまだ車も少なく人もあまり見かけない。正月らしさを感じる象徴であった、門松もほとんど目にとまることがない。あちこちウロウロした挙句に、やっと東武鎌ケ谷駅前のビルの入り口に一対の門松を見つけた。それも高さ1メートルほどの小作りな質素なもので、いかにも恥ずかしそうに、ひっそりと存在していた。わが国の伝統的な正月の光景も変化しつつあるようだ。
以前、正月元旦は休日であったデパートやスーパーも、今では休日なしの営業が当たり前になっている。コンビニの専売特許だった24時間営業も、今やどこのスーパーでも実施している。正月の営業なども、デパート、スーパーを問わず横並びに行っている。その営業形態は、狩り出される従業員から家族団らんの僅かな時間を奪っている、と言えなくもない。販売競争の激化は、当地に開店して以来29年という老舗、大手スーパーの一角を占める「イトーヨーカ堂」の撤退に繋がった。
皮肉なことに、開店していたスーパーの中では、1月半ばでの閉店が決定している「イトーヨーカ堂」がひと際正月らしい店内光景をみせていた。これが、まことに印象的であった。店内全体がピンク系の色調で整えられ、「迎春」「年賀」「おみやげ」などの垂れ幕などが彩りを添えていた。
入り口付近にはミニDSLが据え付けられて、新春駅弁まつりが行われていた。全国各地の駅弁に加え、新千歳空港の空弁などもあり、華やかにお客の目を楽しませてくれた。日の丸の小旗もまた雰囲気を盛り上げていたような気がする。閉店セールには多くのお客が押しかけた。オッチャンも4日から5日程度の旅行に良かろうと、小型のスーツケース一つを半額で買い求めた。
弱肉強食は世の習いとはいえ、市の中心部から大手スーパーが消えることは当市のイメージ低下とともに、従業員の雇用問題にもなる。そんなことで、市当局もヨーカ堂への働きかけを行い、代替の商業施設が作られるようである。閉店後撤去作業を進める建物に1枚の張り紙があった。3階に入居している某歯科が「ヨーカ堂閉店後も営業を続ける」と告知していた。まさに、つぎの予定が決まっている感じだった。その後の情報では、どうも同じグループのヨークマートが鎌ケ谷の2店目として進出するようだ。
ヨーカ堂は食品部門は好調だったようだから、食料品専門のヨークマートは何とかいけそうだ。2、3階にどんなテナントを置くかで集客力のアップとともに、全体の採算も決まりそうに思う。
さらにあちこち眺めていたら、長らく店舗を構えていた大きなオモチャ屋が閉店するとの幟を目にした。これも少子化の具体的な表れかと憂鬱になる。ところが直ぐ隣りで面白い建物に出会った。いかにも古色蒼然とした風景だ。オッチャンは、昭和の初めか大正時代にタイムスリップしたのか、と驚いた。
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初富近くのレトロなお店 |
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懐かしいバス停 |
こんな店が鎌ケ谷のメインストリートに存在するとは..........。愛知県の明治村なら、たくさんあるが...。今ではあまり見ることも少なくなったポストやロート製薬の広告入りベンチ。それに「市営バス」の停留所もある。ちなみに、鎌ケ谷市には市営バスはなかったのだなぁ。よくぞ拵えた古き良き時代の面影なり。経営者にお目にかかりたいものである。
いったい何を商売しているのか !! よくよく見たい方は、どうぞ画像をクリックしてくださいネ。
2006年の新春、まさに雪国では記録的な豪雪に見舞われ、そして関東などの太平洋側は猛烈な寒波の襲来に始まったようである。
今冬の雪の降りようはまことに凄まじい。観測史上最大級といわれる大雪が日本海側の東北・北陸地方から北海道を襲っている。屋根の上に1メートルや2メートルもの雪が積もればその重さで家が倒壊してしまう。毎日毎日降り続く雪に対抗するには、屋根の雪を排除せねばならない。しかし、この排雪作業では100人を超える方々が亡くなった。まさに人と雪(自然)とのイタチゴッコの戦いである。
JR北陸線では、この大雪による脱線事故で数人もの死者をだすなど、鉄道もあちこちで寸断され生活道路も遮断されて日常生活にも支障をきたすほどになった。またメイン道路が開通しても、家の周囲は雪の壁で閉鎖されたようなものだ。昼か夜かも分別できぬとの生活者の話も聞かれる状況に陥った。
また気象庁が昨年12月の天候をまとめたところによれば、全国的には20年ぶりの低温で、東日本と西日本は1946年に地域平均の統計を取り始めて以来、最も低かった、と発表されている。
この傾向は新年の1月を迎えても変わらずに厳冬のままである。
オッチャンの友人で山形大学の農学部教授を長いこと務められたA氏は、1月25日に寄せた「寒中お見舞い」の中で次のように述べている。
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12月早々の初雪がそのまま根雪となり、引き続く豪雪・地吹雪と寒波により、厳しい冬の日々です。庄内地域では、昨年12月25日の特急「いなほ14号」転覆事故をはじめ、除雪・雪降ろしの事故が相次ぎ、老人や弱者の痛ましい犠牲が多発しています。
こうした災害は、異常気象による自然災害であるばかりでなく、豪雪地帯の画一的な「都市化」政策による雪国の"生活様式"の変化がもたらす「人災」でもあることをまざまざと示しています。生活道路の隅々まで舗装され、網の目のように張り巡らされた道沿いの小川(水路)の大部分はフタをされてしまい、この流水を利用した地域伝来の人力による除・排雪作業は不可能になりつつあります。
また地域社会の特質であり、伝統でもあった三世代世帯の空洞化と崩壊のなかで、高齢者に高所での雪降ろし作業を強いることとなり、老人の死傷事故が多発しているようです。
こうした状況のもとで、「人(人口)が減ることはおっかない(恐ろしい)」と、高齢者の日常生活での不安や恐怖の実感をもともなった"つぶやき"が"うめき声"のように聞こえてきます(以下省略)。
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A氏が現在住んでいるのは、山形県鶴岡市である。日本海に面した人口10万人たらずの田舎町然とした街ではあるが、古くからの建物や佇まいをそのままに残している。主な交通手段は自転車だ。これでほぼ全市を廻ることが出来る。昔ながらの小川や堀なども、そのままに残されている。数年前のことになるが、いわゆる都市銀行が一つもないことにオッチャンも吃驚したものだ。地方銀行と信金位しかなかった。おそらく、それは変わっていないものと想像する。
その街に合ったような建物が建てられるためか、巨大なマンションなどは見当たらない。A氏は、現在のところ日常生活が"歩いて"暮らせる町であり、「老人にとっては"優しい町"である」と結んでいる。
振り返ってわが故郷をみる。確かに、その昔多くの小川が流れ、鬼ヤンマが水平飛行していた川の流れは殆んど見つけることが出来ない。フタをされたというよりは、丸々埋め立てされてその姿を垣間見ることも出来ないのである。人間のあくなき利便性の追及は、かならず自然界からの大きなしっぺ返しをくらう。
自然の営みを無理やり破壊しょうとするならば、そのツケは確実に子孫へと廻ってくる。そして、自分の利益のみを追求するならば、それもいずれ自らの首を絞めることになる。我々は、列車ダイヤ重視による人命無視、耐震強度偽装や違法すれすれの行為によって、金儲けをたくらむ人間の存在を知った。
「金で人間の心を自由にできる」とうそぶいた人間も、所詮はひと夏の夢を味わっただけである。自らの額に汗を流さずにして、社員の心や国民の信頼を勝ち取るのは難しい。法の網をくぐりマネーゲームによって築いた城は、その法の隙間をつかれ、むなしく落城していったのである。
しかし金で全てを支配しようと企む人間が多いことを心して、私たちは真に人間的な心意気で、今年も乗り越えていきたいものと思う。これが金も無く、地位もないオッチャンのまことの気持ちである。(C・W)