新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて
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| **** 戦後60年の夏が来た **** |
太平洋戦争終結後すでに60年の歳月が流れ、またあの暑い夏が訪れてきた。昭和20年終戦の年に生まれた人たちも、はや還暦を迎えようとしている。まさに、「光陰矢の如し」か。過ぎ去った日々は早いものである。半世紀を経ても故郷の山々に変わりはないが、人々の生活は様変わりである。
注目を集めるのはルックスだけではない。初土俵から所要8場所での新十両昇進は、外国出身力士で小錦に並んで史上最速タイのスピード記録だ。この日の会見でも「新十両で何番勝ちたいか?」の質問に「全部」と即答した。実力もハートも折り紙付き。大銀杏を結うころには、幕内にいる可能性も十分にある。髪だけでなく実力でも、今後の角界に旋風を巻き起こしそうだ。
外国人力士が脚光を浴びる中で、日本人力士の休場が多い。名古屋場所では十両以上の関取の休場は10人だ。2桁になるのは03年以来だという。多くの有望力士が怪我により力士生命を失うのを目にする。力士は食事前の猛稽古に始まり、普通人の数倍の食事を摂り、充分に寝て無理やり太らせた身体を作る。そこに過重な力が働くならば、怪我が起きて当然だ。元々、本来の人間に反して作られた身体を持つ改造人間なのである。
オッチャンは、これまでズーッと今の土俵の構造がおかしい、と思ってきた。土俵は意外と小さい。大きな力士がこの狭い中で力の限り戦う。勝つためには、無理な姿勢も取らざるを得ない。ましてもつれ合って土俵下に落ちるわけだから、怪我をしないのがおかしい。土俵の中と外の高さを同じにするか、棒高跳びのように下に厚いクッションを設けるとか考えられないものか。怪我によって力士生命を失わせないことが、大相撲反映のための大きな要素ではなかろうか。
当月は触れないが、プロ野球からのファン離れも激しい。巨人一辺倒できたテレビの視聴率は落ちる一方である。危機感を抱いたオーナーたちも、やっと改革に動き出した。早めの改革こそがファンを取り戻すことになるだろう。
先日、東京に出る機会があったので、ついでにと暑い日ざしの注ぐ中、靖国神社を訪ねてみた。昔、通いなれた地下鉄・九段下駅で降り、しばらく歩くと神社の大きな鳥居が目に入る。久しぶりに見る境内は緑も多く広々としている。ミンミンゼミの鳴き声がひと際大きく響く。| 日露戦争についての説明は、つぎのようになされている。 ............日露戦争は、明治の先人達が国家存亡の危機をむかえて大国ロシアと戦ったものであり、この未曾有の国難に際し、国家、国民は明治天皇の御下に一丸となり戦いました。 ............将兵も銃後の国民も尽忠報国に燃え.........私事をなげうって勇猛果敢に戦いぬいた........日露戦争百年に当たり、靖国神社に鎮まる..英霊88,429柱の..遺勳を顕彰する....(中略)というものである。 |
8月15日が近づいてきました。果たして小泉首相は参拝を実行するのだろうか。先の大戦終結後60年も経つのに、最も近くて、実は遠い国、「韓国と中国」との関係も真に正常化できない歴代の政治家たち.........。次々と後任の首相に解決を委ねる無責任な政治家たちには呆れて物も言えない。自らの信念は結構だけど、そのツケを後世の世代に先送りするだけでは、何時になっても解決にはならない。何の関係もない子孫たちは、永久に謝罪をつづけねばならないのだ。
遊就館の、ほんの一部の展示品や冊子、パンフレットなどからみても、戦死された英霊を称えるのみで鎮魂の言葉一つないのである。このような状況をみて、靖国神社の実態が分からぬとすれば大変憂慮すべきものといわねばならない。自らの信念とは、戦争賛美そのものになってしまう。遊就館とその周辺は、まさに軍事博物館なり。ゼロ戦、野戦砲の展示、そして特攻隊員の雄姿の像、巨大な砲弾の数々。
驚いたのは、「帝国陸軍」などと刺繍された旧陸海軍制帽などの戦争記念品が販売されていることだった。そして、きわめつけは、明治以降の全ての戦争は「正義のため」と決め付けていることである。
ある友人は、わたしの報告について次のように述べている。
一国の首相が戦没者に哀悼の意を捧げるのは当然の行為と考えますが、その靖国神社が明治以降の全ての戦争は「正義のため」と礼賛しているのであれば、戦火に蹂躙された国々の理解を得るのは難しいですね。参拝中止がベターであることが理解できました。国家神道を奉ずるのが靖国神社であり、教理を墨守するというのであれば、政教分離の理念に則り戦没者鎮魂の施設を別途作るより仕方がないですね。それにしても、靖国神社の宮司たちは何を考えているのか......
汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである山本 夏彦
遊就館は一目見て軍事博物館と感じたが、実は自らそれを明らかにしている。
《遊就館パンフより一部抜粋》
明治15年我が国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、時にその姿を変えながらも、一貫したものがあります。一つは殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることです。
近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係ない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳、を顕彰し、英霊の歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の持つ使命であります。(後略)
このような文言の元に、明治維新から日露戦争、大東亜戦争にいたる靖国の神々を恭しく展示しているのである。パンフレットを見る限りでは、日清戦争の錦絵、乃木希典・東郷平八郎像、橘中佐の軍服、真珠湾九軍人写真、トラ・トラ・トラ電文、阿南大将の遺詠と遺書などが目立ち、赤紙一枚で狩り出された一般市民(神様)の関係はあまり見受けられないようである。
大展示室なるところには、大戦末期の悲しき遺物が展示されている。人間魚雷「回天(一型)」、ロケット特攻機「桜花(一型)」、艦上爆撃機「彗星」、九七式中戦車などなど..............。
靖国神社のご紹介 〜靖国神社社務所発行の「やすくに大百科」より〜
神社社務所が発行する「やすくに大百科」は、子どもたちに分かりやすく説明するもので、漢字には全てふりがながついている。神社にいる白鳩のポッポちゃんが説明する。これを短文化してみましょう。
1.靖国神社は、今から130年以上も前の明治2年に戊辰戦争の犠牲者を弔うために建てられました。当初は「東京招魂社」といわれましたが、明治12年に「靖国神社」と改められたのです。
2.神社は明治天皇が命名したもので、「靖国」とは、「国を安らかでおだやかな平安にして、いつまでも平和につくりあげよう
」という、天皇陛下の大御心がこめられているのです。
3.戊辰戦争のとき戦死された3500余柱の神さまをお祀りしたのが始まりで、佐賀の乱、西南戦役の方々も、祀られている
のです。けれども、日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには、悲しいことですが外国との戦いも何度か起こったのです。日清戦争、日露戦争、そして大正時代の第一次世界大戦、昭和に入ってからの満州事変、支那事
変、そして大東亜戦争(第二次世界大戦)が起きました。
こうした事変や戦争に尊い命をささげられた、たくさんの方々が神さまとして祀られています。
4.靖国神社には、なんと246万6千余柱の神さまがおられます。軍人だけでなく、女性の神さまも5万7千柱いらっしゃいます。少年少女も神さまとして、祀られています。
大東亜戦争では沖縄にアメリカ軍が攻めてきたとき、沖縄師範学校や九校の中学生が「鉄血勤皇隊」として軍人と同じよ
うに戦いました。また、「ひめゆり部隊」「白梅部隊」などの女子生徒も戦場で働き、そのほとんどが戦死しました。今は靖
国神社に祀られ、安らかに眠っていらっしゃいます。
5.また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に"戦争犯罪人"という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた1608人の方々を「昭和殉難者」とお呼びしていますが、すべて神さまとしてお祀りされています。