新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて

**** 2005年の折り返し点に思う ****


  5月に入り花粉症の消えたのも気づかぬままに、会社を辞めてから久しぶりに仕事らしい仕事をした。委託先に受け渡しするのに1か月半もかかった。やっと解放されてホッとすると共に、今はボーッとしている。ふたたび、意欲を持った自分を取り戻すには、多少は時間が必要かも知れない。

  いっとき苦労したことも、終わればそれまでの経緯は忘れてしまうのが早くなった。いつまでも終わらぬのは苦行であるが、一区切りついたあとの気分は何物にもかえられないものだ。もちろんボランティアだから、自分の財布に1銭も入るわけではない。なのに、この嬉しさは何だろうか。やっぱり達成感なのだろうか。人間はやりたいことに立ち向かい、それを成し遂げたことに無限の喜びを感じるものと、つくづく思う。

  そういえば、太平洋一人ぼっちのヨットの旅や厳冬のエベレスト登山、南極大陸横断など、一つ間違えれば生命にかかわることにも人々は果敢に挑戦する。人間とは計り知れない気持ちを持った動物である。好奇心という言葉では置き換えられない何かがある。それが自らを駆り立てる。功名心などというものではない。お金でもない。義理でもない。身の危険を省みずわざわざ戦場に赴く記者やカメラマン、人間が別の自分を創るのだろうか。平々凡々たるオッチャンには理解し難いことだらけである。

  最近は退職後にボランティア活動をする人が多くなった。日本語に直せば「奉仕する」ということだから、自分が嫌いなことでは、この「奉仕」も長くは続かない。しかし人間は、好きでもないものにボランティアとして参加することがある。暇をもてあましたり、何かに寄りかかりたいような気持ちになることがある。群れの中に入りたいのかも知れない。しかし、このような人は、いつの間にかそのボランティア団体から抜けていく羽目に陥ることも多い。

  ボランティアの社会にも、会社や役所のような縦の組織ができる。一人なら何をどうしてもよいけれど、二人になるとそうはいかない。更に10人、20人と増えてくると、奉仕活動といえどもややこしい問題が起きてくる。いくつかの団体に参加した経験からみると、自分が本当に好きなことに「奉仕」すること、そして自分の出来る範囲内で「奉仕」すること。それが真の意味で社会に「奉仕できる」最も大事なことと思われる。群れの気持ちで繋がった人や組織は、継続することが難しそうである。

  オッチャンも最近、広げすぎたボランティア活動から少しずつ手を抜き始めた。面倒な事態に遭遇することも多々あるからだ。「自分は、本当は好きでもないことに参加している」と分かり、身を引くことが賢明なことと、オッチャンもやっと悟るに至ったわけである。これからは数年間にわたり、大量に団塊の世代がサラリーマン生活に別れを告げて地元に戻ってくる。一挙に高齢化率も高まる。自分の住む街で、如何に過去の蓄積を役立て得るか難しい局面が待っている。

  老後とはいえぬ時間を、如何に過ごすか。どのように地元社会へ還元できるかにより、身に付けた知識・技能も本物と言えるだろう。上手く力を発揮できれば、地元への貢献度も爆発的な効果をもたらすものと予測される。期待するところもまた、真に大きいものがある。




  加齢とともに、誰しもどこか変調をきたすものである。オッチャンも、ここ2、3週間にわたって、咳がとまらない。痰が溜まってなかなか抜けない。理由がはっきりしないのは気持ちが悪いものだ。 歩きすぎて足が痛いとか、虫歯で歯が痛むなど原因と結果の因果関係がはっきりしておれば納得がいく。ところが、原因不明の体調の変化が起きると迅速に対応できないことが多くなった。モタモタと、日にちだけは過ぎていくので大いに困っている。

  あまりにも咳がひどいことと、ある日強くセキをしたとき、痰と一緒にたくさんの血が多く混ざっていたのを見つけた。これには流石にオッチャンも心配になり、糖尿病チェックで毎月行く病院で症状を訴えた。ところが軽くかわされてしまい、咳止めの薬を数粒もらっただけ。これではいかん、と風邪を引くとよく通う近くの医院に再び行った。
  ここには脅しの得意な医者がいる。聞きもしないのに「肺がんは発見がむずかしいからなぁ」、などと余計なことを言う。

  「いやぁ、喀痰では3年前に市の定期健診で引っかかってぇ......」
  「県の対ガン協会に半年ごとに通えって言われて....、
   そのとき、喀痰の精密検査と大きな胸のレントゲンを、いつも撮っていたんですがー....」
  「この春には、無罪放免されたばかりで.....」

  なーんてモゾモゾと応答をした挙句、抗生剤や気管支拡張剤(セキ)、去痰剤(たん)、消炎剤など4種類の薬とトローチを貰ってきた。以前も貰ったことがある同じものだ。たった1日しか経っていないのに、気のせいかセキの出るのが少なくなった。これが医者の効用というものかなぁ。日頃自分で計ると正常な血圧でも、白衣の看護師(婦)の前では「ちょっと高めですねえ」なーんて言われたりする。これと同じように、魔法で治ってくれれば世話はないのだが..。

  肺がんは発見されたときは、すでに手遅れと言われている。これだけ医学が進んでも避けられぬ病気がある。難病もまだまだ多い。一刻も早い発見手段と治療の解決を望みたいものである。




  世界のソニーが不振を極める中で、家電業界はまずまず順調な回復を見せている感がある。薄型テレビも好調、DVD録画機も良さそうにみえる。好調を反映してかDVDーRやRWなどのメディアも値下がりしている。皆さん、手の届く価格帯に近づいてきたということか。さびしいことに、わが家には未だ無い。

  価格表示は、1年も前に「消費税を含んだものにすべき」と指導されているのに、相も変わらず二重価格を表示している店が多い。価格競争のためやむを得ず行っているとは思うが、もういい加減にして欲しいものである。消費税なしの価格を小さく表示しているのはまだしも、その逆で「消費税込み価格」を小さく細い文字で書いてあるのには参る。まして、消費税なしの価格を太く、かつ大きく表示するとは何事か。ふざけるのもいい加減にしてもらいたいものだ。

  このような姑息な手段を、いつまでもやっている店はいずれ淘汰されるものと覚悟したほうが良いのではなかろうか。消費者を欺く、つまらぬ手段は即刻止めるべきなのに。どうしたものなのでしょうか。また、「当店の買い物かごは、店外に持ち出さないように願います」などと、レジの側に張り紙をしてある店もある。
  これなども考えさせられる問題だ。スーパーの名前の書かれたかごを何人の人が家に持ち帰るというのだろうか。

  下ネタになって申し訳ないが、よく公衆トイレなどに「皆さんで使うものです。きれいに使用しましょう。」などと書かれている。こんなところに限って綺麗に使用されていないことが多い。ある公衆トイレでは、「いつも、きれいにお使いいただき有難うございます」と書かれてあった。眺めると、まったく何も汚れていないから不思議である。
  発想を、そして表現をちょっと変えるだけで、結果は大きく違ってくる。人間とは、微妙に対応するものである。

  7月には、東武鎌ケ谷駅高架下に新たに大型スーパーが開店する。一般的に、駅に直結するスーパーやデパートの地下街(デパチカ)は集客率が高いと言われている。これから、至近距離に位置する既存の大手スーパーとの競合が激化するのは目に見えている。限られた同じ釜の飯を奪い合う熾烈な争いが始まる。果たして、どちらに軍配があがるのだろうか。それとも共倒れか。はたまた、双方ともに細々とつづけていくのだろうか。
  さらに直接に影響を受けるのは、近くの小さいスーパーだ。そして僅かに残る八百屋さんや魚屋さんなどである。まずシャッターを下ろすしかない。新しいスーパーには理髪店も併設される。現在、東武西口に近くに、理髪店は7店を数える。
 
  理容組合に属して3,000円から4,000円の料金体系の店が3軒位、2,000円前後の店が2軒、そして1,000円程度の店が2軒となっている。うち1軒は2,000円クラスからの転向組である。高価格店も低価格店も苦しい経営状況と思われる。こんなところに、新たなスーパー店内に理容店が進出する。まさにお客の争奪合戦である。
  働き盛りは殆どが東京方面に通勤している。昼間市内にいるのは高齢者ばかりだ。お客の絶対数が少ない。高齢者は、そう頻繁に理髪をしない。先日、よく行く1,000円理髪店で話していたら、「暇ですよ。ひと月に2回来て」といわれた。これら理髪店は、いずれ撤退するか商売替えしなければ、成り立たないのは誰が見ても分かる。

  消費者としてのオッチャンには、お互いの競争によりサービスが向上し、価格が下がるのは真に有難いことではある。



鎌ケ谷駅西口商店街から伸びるバイパス道路(市役所方向) 鎌取線に沿ったバイパス道路(東武鎌ケ谷駅方向)


  東武鎌ケ谷駅を出て、細い道を右へ商店街を少し進むと立派な道路が出来ている。だが何かおかしい。この広い道路に車で、どのようにしてくればよいのか。古い家並みや商店街を抜けてこい、というのかなぁ。突き当たりは県道とぶつかって、現在は通り抜けはできない。
  いずれ県道我孫子取手線と平行に、新鎌ケ谷駅あたりまで立派な道路ができることになっている。しかし普通の車が、わざわざ狭い商店街に入り込むとは考えにくい。見た目は立派だが真昼間なのに、ほとんど車も人の姿も見かけない。何か不思議な道路を作るものである。

  歩道も広く、確かに周辺住民の環境はよくなった。 だが散歩する人には安全な道路だが、渋滞緩和のバイパスと到底考えられぬ道路である。商店街の活性化に役立つとも思えない。
 入り口があって?、出口のない道路。出口があっても、入り口のない?新設道路があちこちに見受けられる。用地買収が困難ならば、あえて中途半端な道路建設を進めるのは意味を成さない、と思うのはオッチャンだけかなぁ。(C.W)