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****外圧に負けるな ニッポン****

白い花  大幅に開花予想がはずれ、花見客やそのお客目当ての露天商などをやきもきさせた桜も、咲き始めれば、また散るのも早い。日本の国花でもある桜は、わが民族の特徴ともいえる「潔さ」を表わすのであろうか。開花し、その艶やかな容姿を見せたかと思えば、すぐにその美しき姿を隠してしまう。
  ちょうどその頃に非情な雨風に見まわれ、その可憐な花びらを散らしてしまうのである。今や花びらは一つだにみられず、瑞々しい新緑の葉桜となっている。

  まさに、「三日見ぬ間の桜かな」のたとえどおり。開花から落花まで、その期間がまことに短い花である。

  オッチャンがこの時期、思い出として残るのは、どうしても東京・靖国神社での花見ということになる。会社が九段上にあったこともあり、お花見は神社の境内が定番であった。その季節がくると、各部門から選抜された新入社員たちが、朝からゴザを敷き夕方まで場所とりに専念する。仕事が終わると我々幹部 ? は、そのまた上司とともに女子社員をはべらせて?、お花見ならぬお酒飲みに出かけたものである。優雅といえば、まことにそのとおりであった。

  世の中も今ほどに乱れておらず、カラオケもなかったから、まあ、他人様に迷惑をかけるような騒ぎはなかったように記憶している。しかし考えて見れば靖国神社は、先の大戦をはじめ、祖国のために命を捧げた多くの戦死者が祭られているのだ。その英霊の眠る前で、チラホラと舞い落ちる花びらを眺めながら、酒に戯れる我々は、何と無粋な輩だったのであろうか。
  敗戦を目前にして、無謀にも敵艦への突入を強いられた若き飛行士たち、雨あられのように襲いかかる隙間なき対空砲火で粉々になりながら、木の葉のように空中に散るゼロ戦のシーンを思い浮かべるとき、よくぞそのような所で酒など飲んで浮かれていたものと、反省することしきりである。

 以下は、北朝鮮による拉致問題解決の行き詰まりや、昨今の中国・韓国における対日批判などを受けて、多くの日本人がいだくこれらに対する反論の気持ちを代弁し、このコラムを担当する一個人として、日本の外交姿勢や隣国からの対日批判について感じたままを記載にしたもので、多少穏当さを欠く表現が含まれている事もお許し願いたい。
 今や平和ボケしたわが国は、先の日朝首脳会談において「金正日がはっきりと認めた」、拉致問題一つ解決できない状況にある。さまざまな実証や客観的な点からも、北がウソをついていることは明らかである。それでも相手は妥協しない。
  いちどウソをつくと、それを自ら翻すことは誰としても非常に難しい。ウソにウソを重ねることになる。まして国家間の問題である。北としては相当の覚悟がいるし、国としての威信がかかる。まかり間違えれば国家体制の崩壊にも繋がりかねない。そんなことが解決を一層困難にしている。しかし先の首脳会談において、少なくとも国家元首が拉致の事実をはっきりと認めたのであるから、それらに関しては追求の手を緩めてはならないだろう。

  この点では、拉致家族会の求める「経済制裁」を支持したい。日本政府の断固とした対応が真に求められるところである。周囲の国々に気配りし、優しい日本を演じつづけるならば、そして有効な手一つ打てぬなら、それこそ北の思うツボである。いつまでも、「ならず者国家・北朝鮮」になめられているようでは、国家としての日本の存在もまた、危ういのである。
(注:ならず者国家はアメリカ議会やマスコミが使用している表現であり、現在では北朝鮮、イラン、シリアを指す。)

  3月の末に所要で久しぶりに横浜に行った。退職して以来、すっかり田舎者?になってしまったオッチャンには、懐かしさとともに、目新しいことに遭遇することも多々あった。開港当時の様子を保存する記念館や、いつ見ても変わらない汽笛の鳴り響く港町独特の風情、そして近代化する高層ビル群などなど........................。
  そんな潮風のたなびく海浜の山下公園をそぞろ歩き、カモメの群れを眺めていたら、赤レンガ倉庫の隣りに「海上保安庁」と書かれた建物が目に入った。



餌をもらうカモメ 港のカモメ1 港のカモメ2 二匹のトイプードル 横浜港に停泊する巡視船


  そこで初めて北朝鮮によるスパイ船の実態を見た。2001年12月22日、九州南西海域において発生した工作船事件である。この海上保安庁の建物に隣接した別棟に、当時の北朝鮮工作船なるものが展示されていた。12月22日の午前6時20分、巡視船「いなさ」が国籍不明の漁船型をした不審な船舶を発見し、追尾を開始したことにはじまる。
  漁船タイプの船型であるのに煙突からは煙も出ておらず、船尾に観音開きの扉状のものが認められるなど、不審な状況が報告され、工作船であるとの判断がなされた。
 
  工作船が、上空および海面への威嚇射撃によっても停止しなかったことから、午後4時13分、巡視船からの威嚇射撃をはじめた。工作船への威嚇射撃は、人への危害を加えないよう予め相手方に射撃場所を伝え、待避可能なように相当の時間をおいたあとに行われたという。逃走中の工作船乗組員は、中国国旗のような赤い旗を振りかざすなど、中国船を偽装したり、海面へ証拠となる物件を投棄した。
  その後、工作船の進路方向に漁船団らしき大きな塊がレーダーで確認された。この中に逃げ込まれてしまうと逃走されるおそれがあるため、巡視船2艘が両舷から挟み撃ちにしょうとしたら、船橋後部で毛布のようなものに隠れていた数名がいきなり自動小銃やロケットランチャーなどにより攻撃してきた。このため巡視船「あまみ」の乗組員三名が負傷し、レーダーなどの機器も破壊されてしまった。

  ここで巡視船2艘から正当防衛の射撃が行われたのである。その直後、工作船は3分としないうちに自爆と思われる爆発を起こし、急激に沈没したという。

北朝鮮工作船1 北朝鮮工作船2 北朝鮮工作船3 北朝鮮工作船の機関砲 工作船に残る多数の弾痕
(クリックすると拡大されます) 展示されている北工作船 (クリックすると拡大されます)

  海底90メートルに沈没した工作船は、日本の宮崎船籍に偽装されていたことが分かった。船籍港を宮崎とするための「宮」と「埼」のはめ込み式プレートのほかに、中国の船籍港を示す「石浦」という文字もあり、日中の船に随時偽装されていたようである。ちなみに、船体には「長漁3705」と書かれてあった。
  乗組員10名のうち、3名は行方不明だが7名は司法解剖などから朝鮮人または韓国人との鑑定がだされている。
 
  引き上げた工作船からは1,032点にものぼる物品が回収され、館内に展示されている。ロシア製と思われる対空機関銃をはじめ、北朝鮮製ロケット砲、日本製の無線機やゴムボートなどのほかに金日成バッジやハングル文字の菓子袋、たばこ、防寒ジャンバーなどが残されている。武器はほかに軽機関銃や無反動砲、二連装機銃や手りゅう弾、自動小銃もあり、まさに不審船ならぬ武装船である。また、携行型地対空ミサイルも積載されていたというから恐ろしい。もちろん、鹿児島近辺の日本地図も発見されている。
               


つつじの花 爽やかな5月を迎え、次々と美しい花々が咲き始めた。桜前線は北上を続け、上旬にはやっと北海道に到達する。この時期、北海道では梅、桜が同時に開花し、またライラック、スズラン、アカシアなどの花がいっせいに咲き始める。

  みな平和を満喫している。何事もないかのような長閑な世界である。しかし目を隣国に向けてみれば、韓国や中国などから、一挙に反日の声が高まってきた。何事かと思えば、その根拠は「日本の歴史教科書」と「靖国問題」である。両国とは領土問題も絡むが、ここは一つ横におき、韓中両国からの指摘のある教科書問題を考えてみよう。

  オッチャンは、最近の日本の教科書は見たことがない。もちろん、韓国や中国の教科書などもみていないから、内容の比較などはできない。確かに両国には、日本の統治下におかれていた時期があり、また日本軍国主義によって国民が殺略され、国土も蹂躙され侵略されたという事実がある。その点で、わが国とは異なった歴史記述をするであろう。それはやむを得ないところである。しかし、だからといって、日本の主権である「教科書」そのものの内容にいちいちクレームをつける理屈があるとは思えない。過去における加害者と被害者とでは、当然ながら国民感情は異なる。記述が違って当然であろうとも考える。

  日米の間も同様である。アメリカは原爆投下という極悪非道な手段によって、戦争遂行に何の関係も無い多数の日本民間人を、人とも思われぬ残酷な方法で焼き殺した。そのようなことをしておいても、ごく当然だという態度であり、一部の旧軍人を除けば反省などは一切しているようにはみえない。全くそ知らぬふりだ。いっぽう、真珠湾の戦艦などは被害を受けた証拠として、一般に開放・展示し大切に保護し、かつ宣伝に務めている。
  日本にとっては、世界で唯一の原爆被爆国として、広島や長崎は永久に忘れられない出来事である。まさに戦時中に叫ばれた「鬼畜米英」の象徴であるかも知れない。かように歴史というものは、それぞれの国により捕らえ方も異なるものと考えてよいのではなかろうか。まさか米国の教科書で、日本に原爆を落としたことを「反省」していることはあるまい。むしろ、
原爆投下により、アメリカは戦争を早く終らせ、日米双方の犠牲者発生を抑えたとの評価をしているようだ。

  第二次大戦後終了後60年の節目にあたって、中韓両国には対日戦勝利を祝うとともに、更にこれを活用し、外交や経済の面で有利にことを運ぶための戦略が多々見受けられる。何しろ、自国の利益のためには日本を利用するのが手っ取り早いのである。中国や韓国の国内問題や政治的意図のために、第二次大戦の加害者である日本国をスケープゴートにして、国民の目を外に向かわせる為、反日を利用するのは如何なものか?今日において日中韓は経済的にも一衣帯水の関係で、政治的な緊張が高まることにより、経済的な影響はもとより最近よくなったと言われる、国民相互の交流(韓流ブームや中国旅行熱など)に水を差すようなことになってはならない。

  ことさらに他国の教科書を問題化し、国民の目をそらす。そんなことよりは、この60年間の日本の歩みをよく見ることが大切なことではなかろうか。戦争を放棄した日本は、この60年間、武器をとって戦うことなく平和を守ってきたのである。この実績こそ、真に評価してもらいたいものである。これほど平和を希求する国は少ないのではなかろうか。軍国日本の復活などを懸念する必要性はないことは、明白なことである。

  日中友好新聞を見た。その論調は中国追従であり、自虐的なものである。愛国という名のもとに、反日へと誘導する中国政府におもねるのはよろしくない。非は非として糾弾することが無ければ、日中友好の看板が泣くというものである。
  中国の国内事情もあろうが、先のインドネシアにおける、日中首脳会談における胡錦祷主席の厳しい表情には両国間に横たわる問題解決を真剣に話し合う姿勢がみえない。最近の日中の関係は政冷経熱と言われるが、日本に対する弱腰を見せぬための映像や発言をのみを流し、強硬姿勢のみを印象づける政治的な意図を持った報道姿勢であり、国内メディア向けのジェスチャーが目立つ。
 無論小泉首相の靖国神社参拝の対応の仕方にも、関係当事国が双方納得の出来る解決策を探す努力も必要であるが、このようなメディア活用による、自己に都合の良い情報だけを報じるならば、自らが声を大にして非難する、過去の「軍国日本」と同じ道を歩むことになるのではなかろうか。(C・W)