新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて

            
****もう一つのアテネ****

 
花の写真 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、日本列島にも確実に「秋の季節」が訪れてきた。連日、照り輝いていた灼熱の太陽とも暫しのお別れだ。近頃は、夜半にせわしく鳴き続ける虫の音に一抹の寂しさも覚えるようになった。 これも年のせいなのだろうか。秋の訪れとともに天候も日替わりメニューで、これぞ秋晴れと思えば、翌日はシトシトと冷たい雨になる。なかなか一定した日和とはならない。どうも、列島上空に秋雨前線が停滞し、離れたり近づいたりしているせいらしい。そのうえ台風もつぎつぎと発生するから、10月は油断がならない。
 
  あるとき、メール交換をしている上海の女子学生に、「女心と秋の空」という言葉を知っているかと聞いたら、「それは男心でしょ」と、一発やられたことがある。そうだなあ、男女どちらが浮気をするかと比べれば、昔から男性のほうが圧倒的に多い。女心は一途で健気だ。とにかく真剣だから、男ほどフラフラと、変わらないのが真実かも知れない。ものは試しと、上記の言葉を日中辞書で調べたら「女人的心情変幻無常」とあり、「秋」という文字が含まれていないのだ。これをそのまま直訳すると「女心は(秋に関係なく、)常に変化するもの」と、なりそうなのだが ???
  ちなみに、「秋の空」を中国風にあらわすと、「秋天的気候変化無常(秋の天気は変わりやすい)」となるから、中国でも、秋の天候と女心は微妙に繋がっているように思える。

  爽やかな秋空を見上げても、新聞・テレビに目をやればまことに殺伐なニュースが多い。 イラクでは相変わらず米国支配に対するテロが続く。捕らえた民間人をテレビで公開し、相手国が取引に応じなければ即、首をはねて殺害してしまう。家族の心情などには一切配慮しない残酷さである。むごい事、このうえもない。またロシアでは、数百人にものぼる子どもたちの人質事件が発生し、多数の子どもが亡くなった。アフガンやパレスチナなど、世界中至るところで戦火が絶え間なく続く。
  普通の生活者である女性たちが爆弾を身にまとい、多くの民間人を巻き添えに自爆していく様(さま)は見るに耐えない。

  一方、安全はタダと思われていたわが国でも、空き巣や万引きなどは日常茶万事になってしまった。この程度の悪事では新聞にも載らない。幼い子供たちを川に投げ込んで死なす母親あり、小学生までもが友だちを刺殺するなど、人間としての根源を問われる事件が毎日のように起きている。わずか数千円の強奪で、老人を連続して殺害することもある。なぜ? Why? 空しさで言葉にならない。その昔は外出するとき、大都会の東京でさえも、カギなどかけたこともなかったのに.........。

ウエルチェアーラクビーの写真 明るい話に転じてみよう。この夏アテネで活躍した選手たちも、それぞれの職場や故郷に帰り手厚い歓迎の行事に振り回されつつ、忙しい日々を過ごしたようである。いま勝者も敗者も、ともにアテネオリンピックを振り返り、4年後に向けての決意と目標設定などに余念がないものと思う。
  日本のマスコミ報道では目立たなかったが、中国は今回も、米国に次いでしっかり二位のメダルを獲得した。現実は米中の二強時代が続いている。2008年の北京では、面子にかけても一位を目指す中国と常勝米国との激烈なメダル獲得合戦が予測される。日本も、アテネの成果に浮かれてはおられない。4年後、北京訪問を予定するオッチャンは、彼の地での日本選手の活躍をこの目で、しっかりと、見届けたいものと今から心待ちしている。

  同じアテネで、9月17日から始まったパラリンピックも28日で12日間にわたる熱戦の幕を閉じた。日本からは過去最高の250名を超える選手たちが参加した。不幸にして障害を持って生まれた人たちや、突然の交通事故などで障害を負った人たちのスポーツに対する意気込みもまた健常者に劣らず素晴らしい。
  人は皆、とかく自分を他の人たちと比べてみる習性がある。勉強が出来るとか出来ないとか、そんなことで劣等感を持ち、悪への道に入り込むことが多い。まして、順調な生活からある日、急にハンディを受けた方々の精神的な立ち直りは容易では無かった、と思う。五体満足なのに、ダラダラ過ごす自分にハッパをかけねばならない。日々怠け心のつのる己に対し、元気を与えてくれるアスリートの皆さんに感謝しつつ、その活躍ぶりを拝見させてもらった。

成田真由美さん


優勝した成田真由美さん 下半身が殆ど動かないのに、全身運動といわれる水泳をものの見事にこなす美しさ。そして逞しさ。それは驚きと感嘆なしに見ることは出来ない。まさに感動の一言につきる。水泳で7冠を達成した成田真由美さんの150メートル個人メドレーを見た。最初の背泳ぎからグングン飛ばす。水中にある下半身の動きはよく見えない。足をバタバタ動かしている様子もなさそうに見える。

  つぎは平泳ぎ。上半身は見慣れた力強い泳ぎだが、足は少し上下に動いて見える。それでもグイグイ進む。他の選手をドンドン離して独泳になる。圧巻は自由形だった。とにかく早い。足をこきざみに動かしているが、まるでイルカだ。そして最後の局面、広い水面に写るのは成田選手のみ。まさに圧勝、感激を通り越し、ビックリしてしまった次第なり。ただ一人、電光掲示板を見つめ喜ぶ姿が、そしてその屈託のない笑顔がまことに素敵であった。

  シドニー大会では、あまりにも強すぎる成田選手に「クラスが違うのでは」との陰口が囁かれた。パラリンピックの競技は障害の程度や使える体の部位などを考慮して、クラス分けされる。今大会でも、同じ競泳50メートル自由形でも、運動障害が九つ、視覚障害が三つのクラスに分かれ、合計12人の金メダリストが誕生している。

  成田選手は、中学1年のときに脊髄炎で両足がマヒした。23歳のときには車の追突事故に遭い、腹筋や左手の一部が使えなくなり、10クラスに分かれた「肢体不自由」の重いほうから4番目のS4に属する。国際パラリンピック委員会のランキングによると、競泳女子50メートルに属するのは20人、今大会の出場者は10人だった。
  もともと競技に取り組む障害者が少ない上に、それをクラス分けするのだから選手層が薄いのは事実である。その中で成田選手の力は突出していた。スイマーとしての抜群の素質を持ち、水中からのスタートで、下半身を使わずに7.5メートルを進む技術を身につけているという。日本競泳チームでは「怪物」と呼ばれているそうだ。

  今大会ではシドニーのような陰口は聞かれなかったというが、「種目が多すぎるとメダルの価値が下がる」とのIOCの意向で、クラス分けは縮小する方向らしい。「クラスを統合すると、障害の軽重が生じ不公平感が出る」との意見もある。多くの矛盾を抱えるパラリンピックだが、7個の金メダルが成田選手の価値を下げるものではない。
  今大会の日本のメダル獲得数は52個。金メダル数、総メダル数ともに88年のソウル大会を上回った。惜しいところでメダルに届かなかった選手も多い。一方でウイルチェアラグビーなど、車椅子が激突する集団競技などでは1点差で数多くの試合が負けるケースが見受けられた。集団競技では、競技用の車椅子や練習場の確保、遠征費用にも事欠くのが実情である。著名なアスリートには数億円をかけるが、新聞の片隅に載る競技は置いてけぼりである。

  一部のアスリートに集中するスポンサーが、他の多くの競技にも広まらねば、わが国は途上国並みのレベルに留まってしまうかも知れない。
ちなみに、今大会のメダル獲得数(27日現在)は、一位中国が141、英国が93、米国88に対して日本は十位の52個であった。
 
  1億円受け取っても忘れてしまう元宰相がいる一方で、匿名で宝くじの当たり券1億円を寄付する偉大な人物あり。このあたりに、次のパラリンピックの展望も、日本スポーツ界の未来像も見られそうでもある。(C.W)