新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて

****** オリンピックも終わった *****


 40年ぶりとも言われる猛暑に見舞われた今年の夏も、8月23日の処暑を境目に急激にその様相が変化してきた。思えばつい数日前までのことであるが、この夏は本当に暑い日々が続いたものである。
 
  しかし暑さ寒さも、永遠に続くものではない。季節の変わり目は確実に訪れてくる。セミの鳴き声が力なく感じるとともに、夜半の虫の声が勢いを増してきた今日この頃である。
 
  この夏を振り返ってみよう。明るい話題は何といっても高校野球であった。甲子園出場を目標に黙々と練習を積み重ね、全国各地の予選を勝ち抜いてきた各チームの熱戦はやはり人々の心を打つ。勝って泣き、負けて涙する選手たちの姿は、その努力と戦いが純粋な気持ちの発露ゆえに人々の心に響くのだろう。

  今年の選手権大会は、思いもかけぬ結果をもたらした。昨年一回戦で敗退した駒大苫小牧高校がその屈辱をバネに爆発的な攻撃力で優勝し、深紅の優勝旗は初めて津軽海峡をわたった。激戦地といわれる大阪からは、市内の中学野球部の生徒たちが地方の高校に転校するケースが多いといわれる。
  青森や山形など東北地方の甲子園常連高校野球部員の出身を調べたら、レギュラーの大半が県外出身者だった、などという話もある。こんな国内野球留学時代に、駒大苫小牧では、すべての選手が道産子であったことに大きな価値を見た感がする。

  北海道では、この劇的な優勝が景気回復の切っ掛けになれば、との報道が大いに目立った。しかし極度に落ち込んだ景気が、この程度の刺激で復活するわけでもなかった。Eメールで日々囲碁を打つ札幌の友人も、大いに期待はしていたが実態はさほど変わらなかった、と伝えてきた。そんな中で、インターネット商売のトップをいく「楽天」関係業者の積極的な市場開拓の姿勢が目立ったようである。 
  いつの間にやら、筆者のアドレスを手に入れた、楽天系列の業者からの優勝セールのメールが毎日のように舞い込む。北海道から博多までの特産品の案内やダイエット情報、何を間違えたか化粧品のPRまで引きも切らない状態だ。これら広告メールは、見ても買わない人が多いとは思うものの、実態は予想を超える発展ぶりなのである。アッという間に、楽天はこの業界のトップの座を占めてしまったのである。いまや成功者の一人として、マスコミにも華々しく登場している。その話題の社長は、まだ若干30数歳に過ぎない。

  業者にとって、オリンピックなどの一大イベントは格好の商売のネタになる。日本選手の活躍に湧き、興奮し感激する多くの人々を横目に、柔道やら水泳やらと優勝者の出るたびにセールを打つ。その昔、筆者も現役時代に無店舗販売を考えたことがあった。少ない人手で大きな商いができることにメリットと魅力を感じた。だが、当時そのノウハウもなく市場も熟さなかったために、構想倒れに終わってしまったことがある。もちろん、パソコンなどは誰も保有せず、インターネットなどは話の端にも出ないときであった。

  それが、いまや通信販売などは当たり前である。数多くの通販業者が存在し、通販でしか販売していない商品すら存在する。少子高齢化・独居老人が多く生活する時代を迎え、日常食品すら一歩も外に出かることなく、必要なものが配送される便利さが受けない筈はない。以前は物を確かめないで購入するなどとは、到底考えられるものではなかったが、いまや特定商品は通信販売だけしか利用しない人も存在するようだ。 いつの時代も、そのときどきの社会の流れを読み、いかに綿密に商品化を実現し、最適な流通過程に乗せていくかが勝敗を分ける。これは永遠に変わらない商いの鉄則であろう。

  8月の半ば過ぎ、わが家近くの大手スーパーが一つ完全閉店した。この閉店セールにドッと人々が押しかけたのは言うまでもない。一日目の午前中には目ぼしい商品は棚から姿を消してしまった。
  当地・鎌ケ谷に拠点を設けてから10数年、鮮魚を売り物にする食品スーパーであったが、我々消費者からみると他店とそれほど差別化された店舗とは思えなかった。似たような食品スーパーが近くに二つ存在している便利さだけはあった。さいきん新鎌ケ谷地区にできた超大型スーパーとは、立地面で遠く離れている。従って、その影響を受けたとは到底思えない。いずれにしても、日常生活に最も密着する食品スーパーが閉店せざるを得ない状況は、需要と供給のバランスが完全に崩れていることを意味する。

  閉店4日後には、以前の看板に代わって著名なドラッグストアの真新しい看板が完成した。近くには既に類似店舗がある。その目と鼻の先に新規に開業するわけだ。まさに弱肉強食の風潮はとどまるところを知らない。両者相い競って共に発展すれば望ましいが、狭い市場に二強の共存共栄が成り立つ筈がない。またまた、難しい局面を迎えつつある。

  アテネオリンピックは、史上最大規模の警備に守られつつ29日に閉幕した。世界各地で激しい紛争が絶えない中で、対立する国々や民族間の争いが持ち込まれなかったのは、まことに幸いであった。4年に一度のスポーツの祭典は、この日を目指して切磋琢磨してきた選手たちの成果が花開く場所でもある。選手たちがトラブルに巻き込まれず、競技に専念できたことは良かった。

  アテネでは、日本選手の金メダル獲得数が東京オリンピックを超え、過去最高となった。柔道などで女子選手の活躍が目立ち、それが毎日華やかに報道された。その事実そのことはまことに喜ばしいが、そうそう浮かれてはおれないことも事実だろう。確かに獲得した数は増えた。しかしメダル獲得競技が極端に偏っていることが心配だ。世界で競うにはほど遠い競技もある。まだまだ米中両国に遠く及ばない。

  2008年の北京オリンピックでは、面子にかけて中国はメダルラッシュを狙うだろう。中国や北朝鮮など共産主義国家や一部の国では、金メダルを取れば住宅を与えられたり、一生食うに困らぬ賞金などが手に入る。従って、負けたときの悔しさは日本人の比ではない。エサで釣るのは好ましくないが、合理的な練習が進んでいることも、また事実である。

  人並みに思えば、あの小さな身体で世界制覇を果たしたマラソンの野口みずえが印象に深い。他の競技が比較的短時間に全力を集中するのに比べ、マラソンは遥かに遠い先を見据えながら2時間以上も走り続けねばならない。多くの有望選手に囲まれながら、自分のペースで走ることそれだけでも大変だ。体力の消耗は激しく果てしなく限界に近づく。

  ずいぶん昔のこと、東京で行われた国際マラソンを見にでかけたことがある。スタートして間もなくの地点で、主催新聞社からもらった旗を振って声援を送った。選手は一団となって走りぬけていく。我々からみれば、自転車で一生懸命こがなければついていけない。とにかく早い。
  選手が過ぎ去ったあと、ゴールの国立代々木競技場近くで選手たちを待っていた。やがてトップグループがやってくる。驚いたのは、そのスピードだ。スタート直後の状況とまるで変わらない。あっというまに視界から消えてしまった。テレビで見るより遥かに早い感じがする。女子マラソン三人の選手は優勝者はもとより、みな見事な走りを見せてくれた。多くの人たちに感動と勇気を与えた。上位で入賞した選手はもちろんだが、派遣選手選抜決定の過程に不透明な点があっただけに、一番ホッとしているのは体協関係者かも知れない。選抜されなかった高橋尚子選手も当然、喜んでいるものと信じる。

  我々はスポーツを通して多くを学ぶ。厳しい競争を戦った勝者の言葉に感動と共感を覚える。
いろいろコメントされた中で一つだけ取り上げれば、「可能性を追求するものほど、より頂点に近づく」 ということである。

  まず、「必ず勝つ」という気持ちが最高に強くなければならない。そして「勝つための方策を徹底的に練る」。そして「可能性実現への精神と身体の鍛錬」であろう。メダルを獲得した選手たちは一様に、「指導してくれたコーチや応援してくれた日本のみなさまに感謝する」と述べていた。
  ここに日本人的な美徳を見る思いがする。まことに立派なコメントである。これまで日本選手の代名詞のようだった「プレッシャーに弱い選手」は少なくなったと思う。

  でも本当は、アトランタで有森裕子選手が語ったように、ここまで頑張りぬいた「自分をほめてやりたい」のが偽りのない自分の気持ちと理解する。

  水泳の北島選手のように、「人に負けないほど練習した。だから絶対に負けない」。次は、こんな言葉を皆さんからいただきたいものである。
                                                                                                            (C.W)