新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて

**** 顧客の信頼と満足度(1)  ****


台風も去り、梅雨が明けたかと思うばかりの蒸し暑いある日のこと、とある市内の大手スーパーに出かけた。おじさんは、いつも飲む焼酎を買い求めるためである。酒類の販売規制が緩和されてから、いまや酒のディスカウントショップが必ずしも安いとはいえない事実もある。
  それぞれの店が得意とする銘柄商品に的をあてて、顧客の誘致を図っている。ところが、その日訪れた店で、おじさんは驚くべきことに遭遇した。
 
  価格が税込み表示であることを確かめたうえでレジで支払いをしようとしたら、レジのおねえさんは、おじさんの見た価格よりも5パーセント高い価格を告げた。おじさんは何回も見ているから店側のミスであろうと判断していた。それで、     
  「その値段は間違いありませんか」と尋ねたら、彼女は「間違いありません」とおっしゃる。

 「そんなことは無いでしょう。ちゃんと税込み価格と書いてありますよ」
 「あなたの言う値段と、商品につけて書いてある値段と、どちらが正しいのですか」

 すると彼女は、
 「私の値段(=レジの値段)のほうが正しい」といわれる。
  そんな馬鹿な話があるものか。それが正しいのなら、全ての値札は信用出来なくなってしまうではないか。だんだんと頭に血が上ってきたおじさんは、勉めて冷静に、おねえさんに話かけた。

 「では、値段を自分で確認してみて!」

  彼女は慌てて酒の売り場にいったが、該当する商品がどこに置いてあるのか分からない。ウロウロしているから、おじさんが「こっちだよ」と教えてあげる。しかし、値札を確認してもまだ判断がつかないで、おたおたしている。

 しょうがないから、責任者を呼んでもらった。 若い店長らしき人物が現れた。彼は自分の目で確かめ店の誤りを認めた。総額表示方式に変更されてから、もう数か月が経過している。しかし陳列され、価格表示されている商品とレジに入力された価格との照合が、完璧になされていない結果であることは明らかである。

  この店では総額表示が義務づけられてからも、税抜き価格と税込み価格を同じような大きさの文字で平列して表示していた。消費者からみれば紛らわしいこと言うまでもない。総額表示に伴う便乗値上げと誤解されぬために、導入当初は税抜き表示も小さく横に書いている店も数多くあった。これはある意味で仕方のないことかも知れない。
 
  だが、この店長(らしき)人物はそのようなことには一切ふれずに、
  「表示の仕方は、財務省の指示で13通りもあるのです」「だから、当店が特におかしいことはありません」と、一方的におっしゃった。

  そんなことは、おじさんも含め私たちは概ね知らない。要するに間違いなく、分かりやすく表示してくれればよいのである。それを、 あたかも責任は財務省にあるが如き話ぶりである。
  自分の誤りはとりあえず認めたが、すぐに逃げ口を作ろうとする。レジのおねえさんに対する教育も不完全だが、大事な店を預かる責任者としての心得も知らず、また、その地位に値しないことも、はっきりと認識させたのである。これを聞いて、おじさんは買うつもりだった焼酎をそのままに静かに帰っていった。

  これは、店長がお客の立場に配慮せず、自分の立場を強調したことで顧客が離れていく一つの例である。店や経営者が意図しない事柄も、お客の気持ちを感じ取れない従業員によって、店の信用とともに顧客もまた失われていくのである。

  奥さんが孫の家に出かけてしまい、暫く留守をあずかることになったオッチャンがいる。こんなときは、日頃たべていない自分だけの好物を求めて買い物にいくことが多い。だが冷蔵庫の中には、前日までの余り物や奥さんが気をきかせて取り急ぎ買ってきた食糧がたっぷり入っている。これでは冷蔵庫のものを片付けねばならない。それでは何の面白みもない。彼はあるときから、出かけるときは計画的に冷蔵庫を空にしておくよう奥さんに要求した。

  それから以後、オッチャンは自分好みの食材を求めることができるようになった。オッチャンの好みの一つに、生タマゴと納豆をかき混ぜて暖かいご飯の上にかけて食べる料理方法がある。しかし家では誰も卵を生では食べない。サルモネラ菌がどうのこうのと言うことで、生食の習慣がないのである。

  オッチャンが学生時代に入っていた寮では、昼食などに定期的に納豆がでてきた。テーブルには、大きめの皿と納豆と卵が置いてある。この皿に自分でご飯を盛り、納豆を乗せ、さらに生タマゴを割って醤油をかけ、よく混ぜて食べる。
  これが何ともいえぬほど美味しかった。いま、その納豆と卵は物価の最優等生である。長年にわたって、これほど価格の変わらない食品も珍しい。「水戸納豆」がよく知られた銘柄であるが、水戸の知人によれば最近の納豆は美味しくない、と言われる。
  オッチャンも納豆は好きだけど、最近、納豆独特のうまさがないように感じている。スーパーなどの目玉商品にされている。貧乏学生の時に食べた納豆のほうがよっぽど美味かった。が、好きなことは変わらない。そんなことで、オッチャンは生タマゴが「絶対安全」という店でひそかに買ってくる。しっかり賞味期限も確認してくる用心深さは持ち合わせているようだ。

  ある日、家族が誰もいないときに納豆を器にとり自分専用の生タマゴを割って、そのまま納豆の上にふりかけた。そしたらタマゴは鮮やかな血となって納豆の上に乗ってしまったのである。賞味期限は、まだたっぷりある。「生食絶対安全」が販売促進の最重要の商品である。

  吐血したような鮮血にビックリ仰天したオッチャンは、とるものもとりあえず目ざすお店に直行した。念のために一つ余っていた卵も持参し、売り場担当者に詰問した。その店での対応は素早かった。係りの女性が、まことに申し訳ないと謝罪した。ところが予備に持参した卵は、その店で販売しているものとは違っていたのである。

  娘がオッチャンの秘蔵の卵を食べてしまい、違う店の卵が残っていたのである。オッチャンは平謝りにあやまって、卵の上部に添付されているシールを頼りに、さらに2軒の店を訪ねた。結果は家からもっとも近いところであった。

  そのお店で、「これこれ、しかじか..」.と説明した。売り場担当の女性とともに対応した責任者の男性は、冷静に事態を分析し、オッチャンの持参した卵を預かり直ぐに調べると即答した。あとで妻に聞いたら安売りで買った商品だったそうだが、正規の金額を払い戻してくれた。

  その日のうちに、卵生産者との連絡をとり電話での回答があった。詳しくは聞いていないが、卵を選別するのに2系統のラインがあり、一つは目視での選別とのことであった。これが今回の原因だったらしい。卵一つとりあげてみても、ある店では常温で1か月は問題ない、という。また別の店では、冷蔵庫で20日なら心配ない、と言われる。

  卵は、おおむね賞味期限を10日程度で設定し販売されている。しかし、その賞味期限の実態はどうなのか。オッチャンは勉強不足で調べているわけではない。たかが卵一つの事であるが、消費者に対しての応対の仕方で顧客の対応も大いに変わるものである。顧客第一主義とはよく言われるが、本当の顧客サービスとは何なのか、考えさせられるものである。(C.W)