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**** 右脳人間と左脳人間 **** |
私たちの脳は「全体の数パーセントしか使われていない」とは、よく言われることである。
それも左脳に偏っているのだ。「原始感覚を刺激すれば右脳が働く」と指摘するのは、脳専門医の大木幸介氏(河出書房・ヒトの脳はここにある)である。以下にその要点を抜粋する。
現代人はほとんどの情報が目から入ってくる。それ以外では、せいぜい耳だ。視覚と聴覚が情報源となる。考えてみれば当たり前で、私たちは仕事のときパソコンに向かい、家に戻ればテレビやビデオを見たり、本を読む。いずれも使われるのは目と耳だ。ということは、私たちの受け取る情報の殆どは文字であり、記号であり、数字であり、言葉となる。
自然や風景だけの映像、メロディだけの音楽ももちろんあるが、比率としては小さい。しかも、そこには文字や言葉の説明が入ってくる。これは、大脳新皮質でいえば、言語脳である左脳偏重の情報収集となる。脳全体の、バランスのとれた活性化を考えた場合には決してプラスにはならない。
動物の脳と呼ばれる大脳辺縁系は、人間にとっても重要な脳である。それは単にやる気、好き嫌い、記憶の脳が集中しているからだけではない。
大脳辺縁系が生み出すのは情動である。あらゆる感情の源泉となる本能的な喜怒哀楽を土台にして、人間は脳のネットワークを作ってきた。すなわち、快感が満たされれば快であり、満たされなければ不快である。それによって、記憶ややる気や、好き嫌いの心が動く。そうして集まった情報が、大脳新皮質による認識や判断や思考の材料となる。
わかりやすく説明する。
幼児はまず外界に触れ、なめたりしゃぶったりするところから始める。好奇心が行動に駆り立てる。土があれば幼児は当然、口に含んだり触ったりする。このときまだ、幼児は、土という言葉すら知らない。大脳新皮質に蓄えられた情報は「土」の感触であり、味や温もりや柔らかさとなる。やがて幼児は「土」という言葉を知り、その言葉が浮かんだり「土」をイメージするようになる。
もし、この幼児が土に触ったことも口に含んだこともなかったら、どうか。「土」という言葉から浮かぶイメージは情報によるものだけになる。「足元にある黒いもの」でしかない。
つまり、情報ルートが狭められるということは、イメージさえも狭められる。一つの言葉(左脳)は、貧弱なイメージ(左脳)しか喚起してくれない。
ではなぜ、幼児は何にでも触り、口に含もうとするのか。見るだけでは満足しないのか。もちろん好奇心のせいだが、原始感覚のせいでもある。触覚や味覚、臭覚というものはすべて原始的な感覚であり、大脳辺縁系が受け持つ。
幼児はまだ、大脳新皮質は未発達である。いくら視覚や聴覚があっても、言葉がなければ情報はまだるっこい。幼児においては視覚さえも不十分だ。それならば、すでに備わった動物の脳、つまり大脳辺縁系を活用するしかない。こうして原始感覚を鍛えながら、そこで得られたイメージを右脳に伝えていく。
このことは私たちにも当てはまる。視聴覚だけの情報収集はイメージを貧弱にしていく。言葉や数字だけ集められても、右脳が働くことはない。味覚、触覚、臭覚をどんどん活用することによることが大切なのだ。
難しい話になってしまった。
少し現実に戻ってみよう。言葉を話すという機能は左脳が担当している。しかし、よくあることでは、女性と男性で話し合うと、女性が繰り出す鉄砲玉のような話のスピードやその量の多さに圧倒されてしまうことが多い。おおむね、その時点で男性は敗勢を察して黙りこんでしまう。このスピードと量は、どうも右脳のなせる仕業らしい。
また女性は感覚的であり、男性は論理的とも言われている。女性は右脳的であり男性は左脳的なのかも知れない。もちろん、すべてがそうと言えるものではない。しかし、普遍的に両性が本来備えている脳の構造を充分に理解し、活用することが最も大切なことは言うまでもないことである。
いま、脳梗塞で左脳をやられるのは圧倒的に男性に多い、という現実がある。左脳をいたわり、これまでの自分を見直すことも大切なことであるし、左脳偏重から右脳活用への転換もまた必要なことと思われる。(C.W)