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**** 右脳人間と左脳人間 ****


もう数年も前に発行された日経メディカルブックを眺めていたら、面白い記事が出ていた。日頃の思考スタイルによって、人間を右脳人間と左脳人間のどちらなのか見極めようというわけである。 
 
 一般的に人間の脳は、右半球と左半球で役割が異なっているといわれている。右では直観的で、ものごと全体の把握を、左は論理的でディテール部分を詰める働きをしているという。方程式や数値を相手にするエンジニアでは、ともすれば左脳がよく働き、論理的な思考をしている。しかし独創的な発想は、それだけでは生まれない。創造的な人ほど、バランスよく右脳と左脳を使い分けているのだと述べている。

 それぞれのタイプを具体的に示してみよう。

*左脳タイプ
 問題解決に当たっては、論理的に一つひとつの情報を積み重ねて思考し、細かな数字に拘る傾向がある。問題を考え抜こうとするため、より大きな視点からの判断を受け入れがたく、時には周囲と摩擦を起こすことが多い。
 大雑把なモノの見方で、まず全体像を把握するようにするようになれば、バランスよく思考することが出来る。

*右脳タイプ
 視覚的、空間的把握能力に優れており、全体イメージから直観的に出来る出来ないなどの判断をしがちである。従って、しばしば印象批判をし、理詰めで説得されると妙に意固地になったりすることがある。客観的に物事をとらえる習慣をつけ、人の意見をよく聞く心の広さが必要とされる。

*左脳右脳混合タイプ
 思考タイプは理想的であるが、根気がなく飽き易い傾向がある。慌てやすく細部のチェックがおろそかになり、ポカもしやすい。直観的に先が見える時には、最後まで気を抜かずに考え抜くことが大切である。
 
 さあ、如何でしょうか。あなたは、いずれのタイプでしょうか。

 
 当然ながら、この世に完璧な人などは存在しない。自分が正しいと思うことも、他の人から見れば大きな誤りと写ることすらあり得る。脳の仕組みとは如何なるものか。
 少しでも知ることによって、私たちの仕事や生活に有益なことをもたらすかも知れない。うまく活用すれば、マンネリ化した生活パターンも変わってくるに違いない。そんなことで脳研究家の書物を調べてみた。

 私たちの脳は「全体の数パーセントしか使われていない」とは、よく言われることである。
それも左脳に偏っているのだ。「原始感覚を刺激すれば右脳が働く」と指摘するのは、脳専門医の大木幸介氏(河出書房・ヒトの脳はここにある)である。以下にその要点を抜粋する。

 現代人はほとんどの情報が目から入ってくる。それ以外では、せいぜい耳だ。視覚と聴覚が情報源となる。考えてみれば当たり前で、私たちは仕事のときパソコンに向かい、家に戻ればテレビやビデオを見たり、本を読む。いずれも使われるのは目と耳だ。ということは、私たちの受け取る情報の殆どは文字であり、記号であり、数字であり、言葉となる。

 自然や風景だけの映像、メロディだけの音楽ももちろんあるが、比率としては小さい。しかも、そこには文字や言葉の説明が入ってくる。これは、大脳新皮質でいえば、言語脳である左脳偏重の情報収集となる。脳全体の、バランスのとれた活性化を考えた場合には決してプラスにはならない。
 動物の脳と呼ばれる大脳辺縁系は、人間にとっても重要な脳である。それは単にやる気、好き嫌い、記憶の脳が集中しているからだけではない。
 
 大脳辺縁系が生み出すのは情動である。あらゆる感情の源泉となる本能的な喜怒哀楽を土台にして、人間は脳のネットワークを作ってきた。すなわち、快感が満たされれば快であり、満たされなければ不快である。それによって、記憶ややる気や、好き嫌いの心が動く。そうして集まった情報が、大脳新皮質による認識や判断や思考の材料となる。
 


  わかりやすく説明する。
 
 幼児はまず外界に触れ、なめたりしゃぶったりするところから始める。好奇心が行動に駆り立てる。土があれば幼児は当然、口に含んだり触ったりする。このときまだ、幼児は、土という言葉すら知らない。大脳新皮質に蓄えられた情報は「土」の感触であり、味や温もりや柔らかさとなる。やがて幼児は「土」という言葉を知り、その言葉が浮かんだり「土」をイメージするようになる。
 もし、この幼児が土に触ったことも口に含んだこともなかったら、どうか。「土」という言葉から浮かぶイメージは情報によるものだけになる。「足元にある黒いもの」でしかない。

 つまり、情報ルートが狭められるということは、イメージさえも狭められる。一つの言葉(左脳)は、貧弱なイメージ(左脳)しか喚起してくれない。
 ではなぜ、幼児は何にでも触り、口に含もうとするのか。見るだけでは満足しないのか。もちろん好奇心のせいだが、原始感覚のせいでもある。触覚や味覚、臭覚というものはすべて原始的な感覚であり、大脳辺縁系が受け持つ。
 幼児はまだ、大脳新皮質は未発達である。いくら視覚や聴覚があっても、言葉がなければ情報はまだるっこい。幼児においては視覚さえも不十分だ。それならば、すでに備わった動物の脳、つまり大脳辺縁系を活用するしかない。こうして原始感覚を鍛えながら、そこで得られたイメージを右脳に伝えていく。

 このことは私たちにも当てはまる。視聴覚だけの情報収集はイメージを貧弱にしていく。言葉や数字だけ集められても、右脳が働くことはない。味覚、触覚、臭覚をどんどん活用することによることが大切なのだ。


 難しい話になってしまった。
少し現実に戻ってみよう。言葉を話すという機能は左脳が担当している。しかし、よくあることでは、女性と男性で話し合うと、女性が繰り出す鉄砲玉のような話のスピードやその量の多さに圧倒されてしまうことが多い。おおむね、その時点で男性は敗勢を察して黙りこんでしまう。このスピードと量は、どうも右脳のなせる仕業らしい。

 また女性は感覚的であり、男性は論理的とも言われている。女性は右脳的であり男性は左脳的なのかも知れない。もちろん、すべてがそうと言えるものではない。しかし、普遍的に両性が本来備えている脳の構造を充分に理解し、活用することが最も大切なことは言うまでもないことである。

 いま、脳梗塞で左脳をやられるのは圧倒的に男性に多い、という現実がある。左脳をいたわり、これまでの自分を見直すことも大切なことであるし、左脳偏重から右脳活用への転換もまた必要なことと思われる。(C.W)