新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて
**** 転ばぬ先の杖 **** |
申年もあけた1月の6日、幼稚園でスケートを覚えた孫娘に誘われて近くの船橋運動公園に行ってきた。正月らしい爽やかな天候にも恵まれ、万国旗も飾られたスケート場には、一種独特の華やかなムードが漂っていた。 我々夫婦は鎌ヶ谷から、長女とその娘たちは船橋からそれぞれの車にのり、現地で合流した。夏はもちろん屋外プールで賑わう。これを冬場の施設として活用する目的だから、そんなに広くはない。でも子どもたちの遊び場としては手ごろである。 その昔、冬場の体育の時間では、スキーかスケートのいずれかを選択することになっていた。貧乏学生だった当方はもちろんのこと、スケートを選んだ。スキーの板や靴、防寒衣服などに加えスキー場まで行く費用は馬鹿にならない。スケートなら靴だけ購入しておけば、街中の池を凍らせたところで気楽に滑ることができたからだ。その愛するスケート靴が家から姿を消してから数10年にもなる。 「災難は忘れた頃にやってくる」。正月早々、そんなことを思い起こすようなことがおきた。孫の滑る姿に優しい視線を追っていた私の身体が突然、宙に浮いてしまったのだ。 「あれれ、」という間もなく、後頭部から硬い氷の上に落下したのである。痛いのなんのーって、一瞬頭がグラグラときた。遠くから私の様子を見ていた娘は、「物凄い音がしたよ」という。当の私も意識の中にそのように感じていた。そのあと何となく違和感はあったが、1時間ほど滑って帰宅した。 翌朝、やはり首筋がおかしい。普通の人間でも頭は重い。戦国時代には、敵の大将の首を担いで帰れば大手柄だった。でも重くて大変だったとも聞いている。その重い頭と胴体を繋ぐのは七つの鎖のような骨だけだ。 脳外科が専門の院長は私の顔を見るなり、「どうしました...?」「スケート場で転んで....(モゴモゴ)..」ニヤニヤ笑いながら院長は問い掛ける。「昔鳴らした杵柄(きねづか)ですか....」「ま、まー、そうなんですけどー...(そんなこと、どうでもいいよ。早く診察してよーん)」。院長は更に続ける。「万一のことがあったら、どうしますか?」「万一のこと ? そ、それは今、ちょっと困るんです.(この野郎、いつまでくだらぬこときくんだ)..」。それから私にちょっとおまじないをかけて診察は終わり。首のレントゲンと頭のCTを撮った結果は、むち打ち症で今のところは済んでいる。特に後遺症らしきこともなく、過ごせるのは不幸中の幸せである。 言うまでもないが、年よりは転んではいけない。僅かな不注意が寝たきりの生活に繋がる。室内での転倒によることが多い。昔の自分ではないことを思い起こし、ご注意召されることが肝要である。 そうそう、大事なことを忘れるところだった。友人とのメールで、「年寄り転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」と忠告された。ところが別の友人から語呂が悪いとクレームがついた。 そんなことで、現在私たちの間では「年寄り転ぶな、風邪引くな、大酒呑むな、義理を欠け」が正式な合言葉として認知されている。 |