平成17年度7月10日〜9月4日まで、中央公民館2階展示会場にて、戦後60周年にあたる本年、鎌ケ谷市郷土資料館の企画による「戦争の記録と記憶in鎌ケ谷」を8月中旬に見学した。鎌ケ谷市に在住して15年になるがほとんど地元の歴史については知識が無く、今回の「戦後60周年事業」の一環として企画されたこの展示会を興味深く見学させていただいたので、その見学の感想を少し述べたいと思います。


 鎌ケ谷の近代史は、ほとんど知識も無いので、各種の展示品及びその説明文は大変興味がもてた。最近の子どもは日本の近代史を知らないとよく言われるが、実は自分の子どもの頃にも小中学校で日本の近代史を余り学んだ記憶は無い。
 最近、靖国参拝問題に端を発して旧日本軍の被害を受けた、隣国(中国や韓国、北朝鮮、東南アジア諸国など)から、戦時下の戦闘行為に対して多くの非難が寄せられているが、近代史について日本の小中学生、や高佼生はどのような教育を受けているのだろうか?
 地元の小中学生も、このような企画展を見学して、地元の人々が戦争にどのように係わってきたのかを知る良い機会となると思う。

 展示会場では@日清・日露戦争の時代 A地域の軍隊 B鎌ケ谷村から戦地へ C「戦場」となった鎌ケ谷村 D「銃後」の鎌ケ谷村についてなど各コーナー毎に説明文や写真・手紙・克明に記載されたノート・赤紙・日章旗・回収された戦闘機の部品など数多く展示されていた。

 大正7年千葉県には陸軍鉄道第2連隊が駐屯し、軍事物資輸送のための鉄道を引く、演習線を津田沼〜松戸間に敷設し、戦後に新京成線が誕生した事。


 この鎌ケ谷村からも、昭和6年(満州事変)以降太平洋戦争が終結するまで20年間、当時の鎌ケ谷村からも多くの人々が出征し、多くの方が南方、中国、満州などで命を落としたことなど。
 この鎌ケ谷からも、終戦末期にはB29爆撃機を邀撃するために、松戸飛行場から戦闘機「屠竜」が体当たり攻撃に出撃した事や、神風特別攻撃隊が沖縄に出撃したことなどが記録され、敗戦末期の悲惨な状況が出陣されたパイロットの方や家族の写真や手紙などで良く分かります。
 戦後60年、幸いにも一度も他国と戦争をすることが無い平和日本が今日あるのも、これらの方々の尊い犠牲の上にある事を忘れてはならないと思います。
 まだ、この企画展を見ておられない方には是非一度、立ち寄り見学されることをお勧めします。

               ペンネーム:TOMY
三橋記念館2階展示室で配布された企画展パンフレット