|
Part7 |
○教え子がパラボラアンテナをプレゼントしてくれましたので、NHKのワールドプレミアムが見られるようになりました。ニュース、ドキュメンタリーが主ですが、朝の連続小説や大河ドラマ「義経」も放映され、楽しみが増えました。
13日からは「青島ビール祭り」が始まり、近くの匯泉広場(元・競馬場)は超満員でにぎわっています。
そのほか追い追いこちらの状況をお知らせします。
「私の日記」を送ります。まだ続きがありますが、青島に来て最初の日記部分になります。
○私の日記(大家さんはお医者さん。その一)
青島の不動産価格は中国で第四位だそうだ。
一位が杭州、二位が寧波、三位・上海、四位・青島、五位が北京という順番だ。
学生に聞くと、「山東省で財を成した人たちが、みんな青島に集まってくるから値段が上がるんです」と言う。それだけ住環境が整っているということだろう。
百年前、ドイツ帝国が威信をかけて開発した街が青島だ。上下水道を完備し、木造建築は禁止した。ドイツ人自身「東洋のベルリン」と自慢し、イギリス人も「中国のブライトン」と讃えた。
最近の青島の街づくりも見事である。まさに「街づくりの見本」と言ってもよい。
日本のみなさんにぜひ見て欲しい街である。
青島の紹介は別の機会に譲るとして、敗戦当時、青島在住の日本人は約三万六千人。日本内地がまだ「肥溜め・汲み取り」の時代に、ひもを引っ張れば瞬時に汚物が流れるトイレが、どこの家庭にもあったのだから、日本の田舎者たちは腰を抜かすほど感激したに違いない。
今年3月17日、青島港に上陸。取り敢えず李君のマンションに厄介になる。
19日の土曜日、李君の車でアパート探しに出かけた。車はどんどん街の中心部へ向かう。あんまり中心部に近いと値段が高くなるから心配だ。
やっと小さな不動産屋を見つけた。アパート群に囲まれた仮住まいのような事務所だ。石炭ストーブが燃えている。重箱を二つ三つ重ねたような小さなストーブだ。昔は家庭用でもかなり大型だったから、石炭ストーブもずいぶん進化したものだ。
「いい物件があるよ。すぐ近くの四階の部屋だ。家賃は一年で一万五千元だよ」
不動産屋のおっさんはすぐ電話をかける。なかなかかからない。大家さんは留守らしい。
「別の不動産屋へ行ってみるから・・・」
と言って外へ出る。
もう少し奥へ入ればもっと安いかもしれない。あちこち車を走らせるが、駐車場のある不動産屋が見つからない。
李君の携帯電話が鳴る。さっきの不動産屋からだ。
「先生、六階はどうですか」
「六階はダメ。せいぜい四階どまりだな」
二年前の脚の骨折で、今はリハビリ中だ。六階はちょっときつい。
しばらくするとまた電話。
「先生、八大関はどうですか。一階だそうです。日本人なら八大関がいいだろうって言ってますよ」
「八大関?見に行こう!」
八大関ならどんなおんぼろでもいいよ、と独り言。
八大関とは知る人ぞ知る、ドイツが造った高級別荘地である。
李君は仕事があるから一旦別れて、午後三時に待ち合わせることになった。
不動産屋のおばさんと若いのが同乗し、大家さんの車の先導で八大関に向かう。
アパートは海のすぐそば。門の前の道路を渡るともう海だ。海の反対側が崖になっている。崖の上一帯に八大関の別荘地が広がっているはずだ。
ちょうど前住者の引越しの最中で、部屋中ほこりだらけ、ごみだらけ。台所を覗くと、流しの下は水漏れがあるのかびしょびしょだ。
「先生、一ヶ月千元に負けてくれるそうです」
さすがの大家さんも、あまりの汚さにびっくりしたのだろう。
部屋は二つ、一人で住むには十分の広さだ。しかも立地条件は申し分ない。気持ちはかなり傾いている。ただ窓の開口部分が大きいから冬が心配だ。
不動産屋も大家さんも「没問題(メイウェンティ・問題ない)」を連発する。エアコンもあるし、庭には別棟があって、そこに重油を使った暖房装置もついているから心配ない、というわけだ。
とにかく部屋をきれいにしてくれ、ということを条件にその日は別れることにした。
青島市 足立吉弘
|