アテネ旅情

                                                           荻 野 美代子


  昨年の9月、アテネでパラリンピックが開催されたのを機会に、オリンピック発祥の地アテネを訪問してきました。なぜなら息子の荻野晃一がウィルチェアラグビーに出場するからです。ただ応援に行きたい、との一途な気持ちだけでツアーに申し込みをしました。旅行会社から受け取った案内状をみると、何とチューリッヒで乗り換えに5時間かかり、アテネまでの所要時間は21時間もかかるのです。

  ツアーの添乗員はなし。アテネ滞在中の昼食や夕食をはじめ、ホテルから競技場までの交通機関の利用も全部個人で行動しなければならない。さぁ、大変だ。言葉はまるで出来ないし、不安は段々と膨らんでいく。でも、行くしかないのだ。持ち前の「何とかなるさ」で、成田空港を後にしました。



アテネの遺跡 アテネの空
          

  アテネに到着後は、ホテルに用意された地図とメモを持っての行動です。地下鉄の駅が分からず迷っているときに、案内図を描いて教えてくれた若者、競技場への電車の中で知り合いゲートまで同行してくださったファミリーの方々の親切に感激しました。
  たとえ言葉は通じなくても、こちらが必死であれば分かってもらえるものだと、嬉しくもなり感動いたしました。まずアテネで驚いたことは、道路の両側にびっしり路上駐車がされており歩道にまで乗り上げられていることでした。道路の行き止まりにも停まっていたりする。もちろん車のすれ違いなどはできません。オリンピックという国際行事なのに、あまり交通規制もされていないのに、吃驚しました。

日章旗を掲げて入場する日本選手団 行進する選手達 競技会場に整列した日本選手たち


  いよいよ開会式です。軽快なマーチにのって選手たちの入場が始まりました。真っ白なブレーザーを身にまとい日本選手団が通過していきます。開会式では応援席の前に各国の選手の席が設けられてあったが、日本選手団の席はぜんぜん遠くにあり、見えなかったのが残念でした。
  ウィルチェアラグビー(車いすラグビー)の試合当日、日本選手として出てきた我が息子の姿を目にしたときは、怪我をしてから今日までのことが走馬灯のように頭の中を駆けめぐり、涙で前が曇り思わず「がんばって ! 」と叫んでいました。

  それからは、ニッポン ! ニッポン ! と声が枯れんばかりの応援が続き、ふと後ろを見ると他国の人たちも「ニッポン ! ニッポン ! 」と応援をしている姿に、またまた感激でした。   



ウィルチェアラグビー(車椅子ラグビー)の日本選手 日章旗を振って応援する日本人 競技会場の子供たち
    

日本人選手たち 競技中の選手達(1) 競技中の外国人選手 競技中の選手達(2)


  初日のアメリカとの対戦は点差が開きました。2日目のオーストラリアとの対戦では、1ゲームから3ゲームまでは日本が勝ち進みこれはいけると思いましたが、4ゲーム目で同点になり、惜しくも1点差で悔しい思いをしました。
  最終試合を終わって結局は予選と順位は変わらなかったけど、世界の大舞台に出場したことで良い経験ができ、これをバネに今後いっそうがんばってくれるでしょう。また、そうあってほしいものです。  (つづく)