ライター千遥
上高地 河童橋近くにて
去る10月24日と25日の二日間、市内のあるグループの旅行会に便乗し久しぶりに信州への旅を楽しんできた。午前6時40分、市役所前広場に集合し直ちに全員が貸し切りバスに乗り込む。さっそく出発となった。同乗者は40人ほどだ。少し開きスペースがあり、ちょうどよい具合である。
天候はまずまずとの予報であったが、ちょっとずれたらしい。雨は降っていないが、いつ降ってもおかしくない感じがする。そんな気配の中をバスは走り始めた。季節はまさに秋たけなわである。土曜日の朝なのに予想外に車は少ない。京葉道・花輪のインターから高速道路に乗り、都内を楽々と抜けて中央高速を快調に走り抜ける。
少し落ち着いて車内の様子を眺めると、少しは知った方がおられる。それこそ、まさに早い朝食を軽く食べてきた。でも、早速ビールやつまみ類がドンドンと配られる。なくなれば直ぐに補充されるから、辛党にとっては酒のたぐいは何も不自由しない。やがて、バスの中で一人ずつ自己紹介が始まった。バスガイドはいないが、女性添乗員はおられる。ガイドと添乗員の違いは何なんだろうか。まあ、いいか。当日、その境目ははっきりしなかった。あえて区別するなら、添乗員は「いちいち細かく観光地の案内をしない」位だろうか。
いずれにしても乗客の安全に心を配り、それなりに観光地の案内は行っていた。しかし車内時間の大半は、グループの筆頭幹事長さまが取り仕切っていた。なかなかウイットに富んだお方で、たぶん福島訛りと思われる方言を自由奔放に駆使した司会ぶりで、我々中高年男女たちを、全く退屈させなかった。その手腕は、専門のガイドに勝るとも劣らないかも知れない。
全員を参加させ楽しませるには、ビンゴゲームがナンバーワンとも言われる。誰にでも景品のチャンスがあるが、これがなかなか当たらないものである。あと一歩で今回も豪華景品に辿りつけなかった。 画像はクリックで拡大します
朝もやに霞む諏訪湖と観光バス かつての本陣 木曾町歴史博物館
伝統を守る工芸師 木曾五木から作られた工芸品
第一日目は妻籠(つまご)宿の散策である。時間は100分。昔は江戸日本橋を出立して京三条へ向うこの中山道は、ここ妻籠の宿がちょうど中間点で、おおよそ江戸から8日間位
(1日40キロ歩いての計算) かかり、326キロ(81里)の道のりある。昔の人はよく歩いたらしいが、1日に40キロはどうなんだろうか。
中山道は山深い木曽路を通ることから木曾街道とも呼ばれていた。中山道六十九次のうち四十二番目になるのだという。伊那道と交差する交通の要所として賑わった。
北へ350メートル、南へ150メートルほどの小さな妻籠宿には、88棟の古い木造家屋が立ち並ぶ。1階より2階が前に出た出梁造りが目につく。江戸期そのままの陣屋などを散策し、土産店を見て歩く。
時代が変わり明治から昭和への過程で宿場町としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途を辿った。今では「古い町並みの保存」は何処にでも見受けられるが、その保存運動は妻籠宿が最初とは始めて知った。「売らない」「貸さない」「壊さない」という3原則があると聞くが、やはり表札のみが掲げられ、人の住まない建物の老朽化は否めないようである。
栗きんとん、おやき専門店、そば饅頭などの食べ物土産店を別にすれば、木曾檜を活かした伝統の小物木製品が興味をひいた。
妻籠宿 陣屋の内部
妻籠宿の景観 見るより食べるほうが良さそうな方々もおられる
舞台峠 お買い物と お昼ご飯
泊まりは下呂温泉。カラオケ歌い放題。好きなお方がおられるもので、ここに至ると、別の進行係が出現しての歌の競演となった。日頃カラオケ教室で鍛えていると思われるおばちゃんなどは、節回しから表情や踊りまでプロ顔負けの見事さ。和気藹々の宴会であった。
二日目は朝食のバイキングで腹ごしらえだ。一路、飛騨高山へと向う。妻籠宿や下呂温泉、高山などは名古屋勤務のときに何回か訪れているが、もう十数年前になる。会社時代は部や課単位で、温泉旅行にちょくちょく出かけたものだが、今は女性が好まず流行らないと聞く。上司もセクハラでやられてしまう時代であるからな。昔は部下の女性を横にはべらせていたのになぁ。
高山といえば「赤かぶ」だ。だが、手元にある小冊子・お土産処「赤かぶの里」によれば、飛騨の漬物150種以上、お土産1000種以上とある。それは高山の「朝市」で知らされることになる。高山での時間は80分。清流添いの小道にびっしり並んだ土産店と、朝市の漬物。試食、試食で旨さを味わい、ついつい買いすぎてしまった。綺麗に包まれた土産よりも、生鮮さが売り物の漬物や野菜のほうが好きなおっさん。まぁ、家で怒られなかったのが幸いであった。
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試食が美味しい数々のお土産
こちら 取れたての生鮮野菜 巨大な茄子やうなぎ茄子もあるよ
おだんご屋さんは 女性に人気抜群だ ! 朝市に面した清流
左は上高地 中央は上高地で出会った台湾女性たち 右は安曇野の葡萄畑
♪ あぁ~上高地はぁ もぅうも~冬ぅうだぁったぁ~ん ♪
飛騨高山から上高地への山道は、バスがやっとすれ違えるほどの狭い道だ。ヘタをするとバスもろともに谷底へ真っ逆さまとなる。
だが、右手は迫りくる山肌、片や谷を隔てて山並みが連なる。左右にくねくねと回りながらバスは走る。ワーッと歓声があがる。ふと寝ぼけまなこで振り向けば、あな、素晴らしき紅葉の佇まい。バスを停めて1枚の写真をと思うが、それは個人のエゴなのか。結局は見事な景観は胸の奥にしまったままになった。これが真に口惜しい。何となれば、最終地点はもはや冬景色だったからである。
目の前は穂高連峰、振り返れば焼岳、清く澄みきった梓川、ロマンテックな河童橋、そして散策には大正池といわれた上高地は、我々の期待を裏切ったものとなった。紅葉の時期は、間近に迫った冬の足音が聞こえる、と言われる。11月にはすっかり閉山してしまうそうだから、我々は最後の秋を楽しんだということになる。
煌びやかな山道の紅葉を眺め、冬間近な河童橋、雪に覆われた穂高連峰、様々な景色を味わいつつ帰路についた。初めての老若男女、脳梗塞から半分位は回復したが何となくおぼつかない人、いつもとなりに寝る旦那さんがいなくて、慌てる認知症の奥さん。いろいろあったが、それぞれ無事に自宅に帰ったとの由、何よりのことでありました。
* 史実は、当鎌ケ谷市在住の「閑居老人」の記述を引用しました。
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