東中欧の旅(その1 チェコ・プラハの旅) 2006年6月4日〜11日の8日間、いつか行きたいなと思っていた中世ヨ−ロッパの建築物や文化遺産が多く残る東欧・中欧をN社のパック旅行に参加、夫婦で旅する機会に恵まれた。何故、東欧旅行を希望したかと言えば、これらの国の中には旧共産圏(チェコ、ハンガリー)に属していた国もあれば、19世紀オーストリア・ハンガリー帝国を支配したハプスブルグ家の宮殿や多くの文化遺産が残るオーストリアを見てみたいと思ったのが理由である。 プラハ城は外側から見るだけであったが、大統領が城内にいるときは国旗が揚がっているとの説明を受けた。城内にある聖ヴィート大聖堂は、ステンドグラスが実に美しい。中にはミーシャの作であるステンドグラスもあった。次に黄金の小路に向かう。ここは中世の城内にある小さな店が細い小路に沿って沢山並んでいて、今はどの店もみやげ物を売っている。このプラハ城の出口に衛兵が警備していて、丁度衛兵の交代式を見ることが出来た。城の出口からプラハ市内を一望できて、眼下にはモルダウ河が見えた。モルダウ河に架かるカレル橋は有名で、この橋から見る景色はすばらしい。観光客も多くここに集まる。
旧市街の広場に着くと、丁度正午前であったので、一目旧市庁舎前の天文時計の人形(キリストの12使徒)を見ようと、実に多くの観光客が広場に集まっていた。残念ながら撮影チャンスを逃して、人形を撮ることが出来なかった。でも必要な人は毎時間ごと人形は見えるので、頑張ってシャッターチャンスを待つのもいいかもしれない。待っている間は近くの喫茶店(屋外)で待つか、多くの観光客に混じって、どこの国の人達が来ているのか当てるのも楽しいかもしれない。日ごろ聞きなれないスラブ系の言葉を耳にすることが多い。昼食は旧市外広場近くのレストランで昼食(ポーク料理)を摂る。実はこの後、旅行期間中はほとんど肉料理中心で日本人には、最後の方でいささか肉料理には閉口して、野菜が欲しくなるのである。 チェコの通貨はコルナ(1コルナ=約5.1円)、現地ではユーロでも通じる。 昼食の後、午後は自由行動となったが、先週は東欧もずっと雨模様で気温が下がっていて16℃近く、夏ものの服装で市内を歩いていると寒くて堪らず、自由時間を利用して近くのデパート(TESCO)に衣料品を探しに飛び込んだ。結局店内を探し回って、スポーツコート(長袖)を購入したが、これは中国製だった。こんなところにも中国製の衣料品が進出してきているのだと、妙なところで感心させられた。 パック旅行に参加した3名の女性が、集合時間になってもバスに戻ってこないと言うハップニングが起きてしまった。幸いこの女性陣は海外旅行慣れをされていたので、迷ったところからタクシーでホテルに戻ってきて大きな事件にならず済んだ。 今回の旅行でも、年配の女性達同士や、若い女性の一人参加など、結構女性が多く参加していた。我々の様な年配者の参加は比較的少なかった。 夕食は、プラハのビア・レストランで食事を摂る。チェコはビールに適した水がいいので美味しいビールが楽しめる。地元のピルスナーやバドワイザーが有名。 3日目 プラハからチェスキー・クルムロフへバスで移動。南ボヘミア地方にある中世の街、街自体が世界遺産に指定されている、建物は16世紀ごろのまま。移動距離は170Kmで約3時間かかった。チェスキー・クロムロフはチェコで最も美しいと言われている中世の街。チェスキー・クロムロフ城の観光には現地のガイドが案内してくれた。日本語のしゃべれるガイドさんは一人しかいないのでこのガイドさんは引っ張りだこ。日本にもたびたび来ているそうで、ご本人は東京の下町にも住んでいたと流暢な日本語を駆使して、ユーモアと駄洒落を交えながらガイドをしてくれた。お城の中は撮影禁止の為、写真が撮れない。チェスキー・クロムウエル城の領主の紋章は「赤いバラ」、熊の毛皮や置物が城内に多く飾ってあったが、この熊も城内に飼われている。領主と熊の関係についてガイドの説明は忘れました。中世の城のまま保存されていて、昔の領主達の生活(城内の礼拝堂、歴代領主の肖像画、食卓や寝室、会見の間、暖房用のストーブ、大きなタペストリーなど展示)が詳しくわかるようになっています。
城内の見学を終えて、旧市街に向かいました。このチェスキー・クロムロフ城は高台にあって、眼下に中世の街がそのまま残る、美しい街並みを楽しむことが出来ます。街の中央には教会の高い鐘楼が見えます。城壁を出て旧市街を散策して、市街の中にある広場に出ました。昼食はこの広場に面したレストランで食事です。このところお肉料理が続いていたので、魚(マス)料理には助かりました。料理にはポテトが付くことが多いですね。 投稿:TOMY
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