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part 2 |
ライター 千遥
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頤和園の夕暮れ |
我々の乗った中国東方航空機は北京経由の西安行きであった。10時55分の出発で、北京着は13:40分。時差が1時間ほどあるから、実質3時間45分あまりで北京空港に無事に到着した。乗客は殆ど観光の日本人ばかりであったから、大半は北京で降りたようである。機内食は、まあまあで、特に美味しいということもない。こちらは早速中国産ビールをいただいた。北京の生産品で燕京(yang
jing=ヤンチン)ビールという。お味の程は日本のビールと何ら変わらない感じであった。
北京の最もよい季節はやはり秋・10月と言われるが、オッチャンはこの季節に中国を訪れたことがなく、どちらかと言えば冬場ばかりである。北京の最悪な季節は4月から5月で、猛烈な黄砂が降り注ぎ、目も開けられない程だという。従って女性たちは、頭から透明のスカーフを被りマスクが欠かせない日々と聞いている。
その名残りは中国各地に影響を与えているようだ。過去に訪れた上海近辺や大連・旅順でも、街の様子が何となくほこりっぽいのである。千葉・成田空港を飛び立つと、眼下には多くのゴルフ場が目に付き乱開発が気になるものの、やはり森林の多さに安らぎを覚える。そんなとき、日本は「緑豊かな国」なんだなぁ、と改めて実感する。ところが飛行機が北京に近づき陸地を見下ろすと、地面や建物の屋根などが全体的に砂が降り積もっている感じがするのだ。街中が砂に覆われている錯覚に襲われた。実際に飛行場に降り立てばそれほど感じないが、何となく空気の悪さはぬぐえないものがある。
日本の出国手続きでは、係官がパスポートと本人の顔を目視で確認する。ところがイスラム系のご婦人は真っ黒い衣装とともに、顔もすっぽり隠している。なかなか顔を見せず、係官が手こずっている様子が何となく面白かった。中国の入国審査は、昔と比べれば係官も柔和な顔つきになってきた感じで、入国に当たっての緊張感は次第になくなってきた。
空港を出たあと待っていたバスに乗り込むと、早速最初の訪問地である頤和園に向かった。 頤和園は清王朝の御苑であるが、権勢を誇った西太后が整備し再建したもので、清朝最大の庭園である。人工の昆明湖を望み風光明媚なところである。湖は深さ1メートル程度と聞いたが、これは未確認である。湖に沿って、幅4メートルほどの長い廊下が続いている(長廊という)。その壁面や天井などには、花鳥風月や三国志など古典の様々なシーンが描かれており、いわばギャラリーが延々と続いている。西太后にはお気に入りの地で、1年の大半をこの別荘で過ごし政治や外交に任にあたった、といわれている。
西太后ならずとも、風光明媚な頤和園で暮らしたいものである。帰り際には夕暮れが近くなったが、湖に沈む夕陽がまことに美しく印象的であった。
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頤和園のスナップ写真 画面にマウスを当て、手のひらが出るものは拡大表示 |
頤和園のあとは、一路北京市内へとバスを走らせる。夕方にになるにつれ渋滞が激しくなる。故宮を一望のもとに見渡せる景山公園に到着したら、もう真っ暗である。著名な公園なのに外灯もない。北京オリンピックを控えアチコチで工事中なのは分かるが、これでは観光客も困るだろう。とにかく、足元に気をつけながら木々の間から北京市内の明かりを見ただけで、そそくさとバスに戻る。
ホテルへの帰路、バスの中で缶ビールを二つ飲む。350CCのものが一缶5元(75円)。その後、永安賓館なるところにて夕食を摂る。北京料理というが、他の中国料理との区別がつかない。ここが貧しい家庭に育ったオッチャンの泣きどころだ。ビールは燕京ビールが小瓶で20元である。高いから
? あまりたくさん飲まないで、食事に専念することにした。
中国の旅行では、いろいろな珍事が起きるから面白い。冬の北京は、かなり空気が乾燥している。風邪を引かぬためにも適度な湿度が欠かせない。高級ホテルとても同様だ。予めガイドからの説明があった。室内の乾燥を防止するため、風呂に入ったら浴槽の湯を抜かないで加湿器代わりにするとよい、との思し召しである。なーるほど、そうかぁ、と仰るとおりにして翌日を迎えたら浴槽の湯は、ものの見事にカラになっていたのである。
因みに、洗面台も浴槽も、わが日本のトップメーカーであるTOTOの製品であった。オッチャンも鈍い頭を働かせながら、翌日からはオリジナルな乾燥防止策を考案したというわけだ。(つづく)
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