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Part1 |
2005年の11月25日から29日まで、オッチャンは今年2度目の中国に出かけた。行き先は北京である。本音は暖かい春に2週間程度の一人旅がしたかったが、4月の反日騒ぎで出かけるタイミングを失い、とうとう冬場になってしまったというわけである。4泊5日のツアーである。航空機の料金から宿泊費や食事、バス代など全てを含んでの一人当たり39,800円だ。安いツアーをよく眺めると、午後の出発で帰りも午前というのがある。2泊3日とうたっていても、実質は1日のみの観光というものも多い。
このたびは午前中の出発であり、帰りの便も午後だから目いっぱいの観光ということになる。ガイドは予め作成された日程消化に懸命であった。途中で遅くなり故宮や天安門を見下ろす景山公園は、外灯もない中小高い山を登ることもあった。また土産店を優先し、観光地があとになるケースもあった。
土産店に寄れなければ、彼女たちの収入に影響すること大と考え、大目でみていた。いずれにしても単純に考えると、飛行機代も出ないような費用でツアーが成立する仕組みは興味のあるところだ。
中国東方航空機に乗り込むと、殆どが日本人であった。しかしアナウンスは中国語、英語に続いて少し間をおいてからの日本語となる。もちろん日本人乗務員は1人もいなかった。日本人は高くつくからやとわないのかなぁ。いずれにしても、この冬場に寒い北京へ出かける物好きが多いことに驚いた。もちろん自分もその1人ではあるが.....。
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混雑する成田空港 |
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富士山はいつも美しい |
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到着した北京空港 |
ツアー旅行ゆえに1人で自由に歩き回るわけにはゆかない。従って、何がどのように変わったかを、自信をもって語れるほどの奥の深さはない。まして前回訪問は5年前であるし、始めてのことだから観察力もなかったと思う。それを補完してくれたのがガイドの李さんである。運転手も李さんだ。中国の習慣として、先輩を敬う意味で老という言葉をつける。これは決して「老人」という意味ではない。それで運転手は老李であり、ガイドのお姉さんは小李である。
一般的に言われていることは、北京は1年行かないとビックリするほど変わっているということである。1年また1年と変化を続けている。それも大きな変化を遂げている、と言ってよいだろう。まして2008年は国の面子をかけたオリンピックが行われる。海外から訪れる多くの外国人に恥ずかしいところは見せたくないだろう。何しろ中国人は面子を大事にすることでは、世界でも有数の民族である。従って、日本との過去の問題も、お互いの面子がぶつかり合い未解決のままである。
それはそうとして、経済の発展は物凄い勢いだ。上海の高層ビル群にも驚くが北京は今猛烈なビルラッシュである。あちこちで古い町並みが壊され高層ビルへと変貌を遂げていく。北京は政治、上海は商売。ということで、双方が張り合っているのは有名な話である。北京人と上海人はなかなか相容れないという話である。おそらく東京人と大阪人以上に対抗心が強い。
北京では、日本円で1億円を超えるマンションなどがドンドン売れる。外から見える変化では、まずこの建物の増加、そして新市街地の拡大であろうか。しかし、反面追い出された貧民層の反発は、いずれ起きる大きな可能性も秘めている。
次は車の多さであろう。100万円以上もする車が売れている。オッチャンの記憶でいけば、5年前はタクシーが圧倒的に多かった。今や自家用車の時代である。市街地に入ると、どこも猛烈な渋滞でやっとこ前進する有様だ。数十年前、中国政府要人が日本を訪れた際に首都高速道路の渋滞ぶりをみて、「これが高速道路か」と笑った話がある。それが今、北京に訪れているわけだ。益々増える車と渋滞をどう裁くかは、オリンピックまでの大きな課題と思われる。
中国における交通マナーの悪さは有名である。ちょっとの空間があればドンドン割り込んでくる。バスもタクシーも、一般車も、そして自転車も人も皆同じ意識だから、勇敢な者が勝つ。が、場合によっては名誉の死を遂げることにもなる。数日間で事故も3件ほど目撃した。大都市では法制度を整備し、スピードの摘発や信号を忠実に守るよう指導し罰金制度も設けたと聞くが、市民すべてに浸透するには程遠い感がある。長い間の習慣がそう簡単に変わりそうには見えない。
それでも部分的には自転車専用道路を設けたり、自転車向けの信号なども見かけた。これなどは今回が初めてである。また、トロリーバスの車線は一般者の乗り入れ禁止だから、このトロリーバスが猛烈なスピードで走っていく。抜け目のない車は、その後をピッタリついて走る。パトカーや消防車のあとに続く日本の車と同様である。いろいろあるが、一歩一歩良い方向に向かっているとの印象は受けた。
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宿泊した北京新世紀日航飯店など クリックで拡大表示 |
上記の画像は、北京市街地に展開するごくありふれた超高層ビルと、ホテルの前に残る庶民の生活の様子である。今、これらの小さな商店は少しずつ姿を消しつつある。近代的なビルと前近代的な町並みは依然として混在し、異様な光景を見せている。多くの市民はこの様子をどう見ているのか、聞いていないからオッチャンには分からない。だが、立派な服装に身を包んだ女性たちが気軽に立ち寄れる小さな店や、路上の売り子がいなくなったら寂しさがつのる感じがする。
大学を出て官僚や大企業に勤務できる人たちは、全体からみればほんの一握りのエリートに過ぎない。これらの人たちは高級住宅に住み、車を乗り回す。搶ャ平が改革開放路線を押し進めた結果は、大都市や沿岸の都市住民に思わぬ富裕層を生み出した。一方で都市内部での所得格差を生み出し、都市と農村の貧富の差は拡大する一方である。
全ての人民は平等だ、という思想が共産主義の原点の筈だが、それらがないがしろにされているのが現在の中国である。行過ぎた拡大路線は必ず破綻する。そのようなことが生じないことをオッチャンは祈念している。
おっと、忘れるところであった。万里の長城は冬にも拘わらず日本人や欧米人、そして中国人で長蛇の列であった。またその観光客にまとわりつく物売りも健在であったことを最後に記しておきたい。(C.W)
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