特にカトリック教会の信者でもない、キリシタン弾圧やカクレキリシタンという言葉を神秘的に感じている程度で教会めぐりに出発してしまいました。
長崎空港から8人乗りのプロペラ機アイランダーで飛ぶこと30分、穏やかな海に浮かぶ島々を眼下に見ながら小さな上五島空港に降り立ちました。
まず空港から一番近い頭ヶ島教会に行きました。暖かな日差しを背に庭には海紅豆の花が咲いて南の島を実感、信者の人たちが島の石を積み重ねて作った鉄川与助設計の教会と説明を受けて中に入り見渡してびっくりしました。
クリーム色の折上天井はやさしいブルーと淡いピンクの色、白椿の花が壁に沿って彫刻されていて全体の優しい色合いはメルヘンの世界に入り込んだようです。中央の祭壇には十字架が厳かに祭られて教会内を凛と引き締めており、お祈りの後に出入口に向かうと出入口からは海を望むことができる、とてもドラマチックな印象ですっかり教会が歩んだ苦難の歴史を忘れてしまいました。 |
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バラモン凧 |
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@頭ヶ島教会の内部 |
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I中ノ浦教会 |
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I中ノ浦教会の内部 |
フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えてわずか17年後の永禄9年(1566年)に五島福江島の領主の要請で修道士が来島、教会も建てられ布教も順調に進んだが1587年に豊臣秀吉の禁教令の発布、徳川幕府となってからも棄教させられ、さらに長く激しい迫害の歴史を経て明治6年(1873年)キリシタン禁教令の解除後、各地区の潜伏キリシタンの末喬が、それぞれの地区で教会堂の建設を行った。五島列島には現在50のカトリック教会が島民の献身的な努力で守られ活動している。(説明書より抜粋)
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@頭ヶ島教会 |
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A鯛の浦教会ルルド |
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N堂崎天主堂 |
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フランスのピレネー山麓の町、ルルド。1858年、この洞窟に聖母マリアが出現された軌跡の場所です。この洞窟をまねて、世界各地でルルドが作られました。 |
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鯛ノ浦教会・中ノ浦教会・三井楽教会・水ノ浦教会・井持浦教会ではルルドが造られていて聖母マリア信仰が厚くその清楚な姿の前に立つとやさしい気持ちがわいてきます。
浜串教会から海に立つ希望のマリア像は漁業に携わる島の人々の航海の安全を祈り、大浦教会は小さい平屋の民家のような教会ですが聖母マリアが中央にいて信仰されていました。
公園や保育園でも聖母マリアの像に祈りをささげていましたし、福見教会のある地区では住民の98パーセントがキリスト教と聞いた時には五島は祈りの島と言われるがほんとうだとうなずく思いでした。
エー、これも教会なの? 赤い椿の花の壁を見たとき、大きな家紋のような印象を受けました。
島のいたるところに自生している椿の花は十字架のイメージとしてステンドグラスなって福見教会、堂崎教会で見られましたが中ノ浦教会の赤い大きな椿は印象的でした。聖母マリアには白ゆりの花と思っていたのですが、五島の教会では赤や白の椿の花がたくさん咲いていました。
今回、20の教会を見学してきました。多くの教会が海に面して島の自然に溶け込み、造形的な美しさを持つ荘厳な教会から民家と見過ごしてしまうような平屋のこじんまりした小さい教会まで、そしてキリスト教と日本人の持つ感性との融合が、暖かく親しみやすく語りかけ確かな信仰となって、今も島民の歴史と生活の中にしっかりと息づいていることを実感した旅になりました。(長岡)
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五島列島周辺の地図(五島市商工観光課資料より引用) |
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武家屋敷通りの石垣 |
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奈良尾神社のあこう樹 |
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高浜海水浴場(日本の渚百選) |
旅の足跡(2005年10月27日〜29日)
1日目
@頭ヶ島教会→黒崎展望台→A鯛ノ浦教会ルルド→B青砂ヶ浦教会→C江袋教会→赤ダキ断崖→D冷水教会→E大曾教会→洋上石油備蓄基地
2日目
奈良尾神社のあこう樹→米山展望台→F桐教会→G福見教会→H浜串教会(マリア像)→I中ノ浦教会→J大浦教会→若松大橋→K土井ノ浦教会→L有福教会→日島曲古墳群
3日目
武家屋敷→五島邸→明星院→M福江教会→樫の浦あこう樹→N堂崎天主堂→O楠原教会→P水ノ浦教会ルルド→遣唐使資料館→Q岳教会→R貝津教会→高浜海水浴場→S井持浦教会ルルド→大瀬崎灯台→鐙瀬溶岩海岸→鬼岳
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