(東初富在住)
林幸 治
21世紀初の春、夫婦で「ルネッサンス紀行8日間」というイタリア・ツアーに行った。イタリア最後の日は古都ローマ。自由行動の時間があり、私たちは映画『ローマの休日』の舞台の一つ、スペイン広場にに行くことにした。皇女オードリー・ヘップバーンと記者グレゴリー・ペックのデートの場所で、女王様がここで下々の女の子のようにソフトクリームを立ち食いで頬張ったのが魅力的だった。
地図によると、ホテルの近くのローマ中央駅まで歩き、地下鉄に乗ればスペイン広場に行けることが分かった。ローマ中央駅(ここは映画『終着駅』のホテルミニそのもの)は、昼下がりだというのに混雑していた。地下鉄の切符は、キオスクのような小さな売店でも売っていた。小銭を持ち合わせなかったカミさんは、無愛想な売り子のおばさんに紙幣を渡した。当然のこと、お釣りが戻ってきた。
何リラか具体的なイタリア通過の数字は失念したが、日本的感覚に置き換えると、1万円札を渡し、2人の切符代5百円を引き、9千5百円のお釣りをもらった勘定だ。その内訳は5千円札1枚、千円札4枚、百円玉5枚といったところか。
3つ目の駅で下車して、地上に出ると、そこはスペイン広場だった。映画で見たあのワイドな階段には、ここにいるのが目的だという「劇場型の旅たち」が所狭しと座っている。民族も国籍も言語も、世代もさまざまな人たちが入り混じっている。いまではここでペップバーンのようにソフトクリームを食べるのは禁止されている。変にベトつかない雰囲気が爽やかでもあった。
同じコースを地下鉄で戻った。そして、地上のホテミニに行き、行き止まりの櫛型プラットホームをわざわざ歩いてみた。映画『終着駅』 の風情を探し求めてみた。パリ行きだの、ナポリ行きなどの案内掲示板を見ると、ここにいることにしびれてくる。
ホテルへの帰路、ミネラルウオーターを買うために、途中、コンビニに立ち寄った。2リットルのものを1本買い、カミさんは地下鉄代のお釣りの「5千円」札をレジで払った。あれこれの支払いの必要上、少額の単位に両替したかったためだ。ところがである。ところが、コンビニの青年店長は、その「5千円」札を眺めつつ、眺めつつしている。ややあって--------。
彼のイタリア語は私たちには不明だが、ジェスチャーで「ダメ」の姿勢が伝わってくる。その時、たまたまタイミングよくイタリア留学の日本女性がいて、通訳を買って出てくれた。
「これはニセ札であり、もちろんここでは扱えない。すぐ警察に訴え出るように。買い物するなら、別の真札を出してください」
困った。途方にくれた。トホホ、である。
イタリア青年店長は真贋2枚のお札を並べて、ここの箇所が違うと懇切丁寧に教えてくれる。当方は真札自体との付き合いも一過性の外国人だから、違いが分かるわけがない。ローマ警察に届けようとしたって、事情説明する言葉が通じない、明朝帰国の途に着く日程では時間がない。不運を嘆き、ぶつけようのない苛立ちを覚えた。
しかし、逆のことを考えてみた。日本に観光旅行に来たイタリア人が、何かの買い物のお釣りでニセ札を掴まされた。さて、どうする?これは厄介な事件を抱えたことになる。泣き寝入りするかしないかのか。そのイタリア人にとっては、現在の日本で流通している正しい1万円札が聖徳太子なのか、福沢諭吉なのか知る由もない。
私は、ローマ中央駅で地下鉄切符を売っていた売店のおばさんがニセ札と知って、「ババ抜き」したのではないかと睨んでいる。極東の旅行者にニセ札なんぞ見抜けないだろう、とみこんだかどうかは知らないが、ともかく、私たちは見事に「ババを掴んだ」。
わが国でも、最近の新紙幣発行のどさくさに紛れてニセ札が横行している。組織的な犯行もさることながら、パソコンの技術を駆使して小学生の坊やも真面目な公務員も個人で精巧なニセ札を作って検挙されている。それでも日本はイタリアに比べて流通するニセ札の数量は圧倒的に少ないと思う。真実は、どうだろうか。
年々、外国旅行をする人の数は、増える一方だ。しかし、海外でその国の紙幣の真贋を見分けることは、一介の旅行者には残念ながら無理だと言わざるをえない。
楽しい「ローマ休日」になるか?トホホの「ローマの窮日」になるか?それは運次第、である。
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