長崎さるく



2012年8月のコラム

浦上天主堂 67年前の8月9日 午前11時2分。閃光とともに多くの人たちの未来は奪われた。その年の12月までで、7万3,884 人の人が亡くなり、7万4,909人の人たちが負傷した。原爆戦没者のみなさんは15万人を超える。平和公園に立つ と「なぜ・・・」という憤りと悲しみに立ち竦む。

 しかし、人はなんと愚かなことか、2010年6月までの調べでは、2,052回もの核実験という原子爆弾の爆発を繰り 返してきた。1,524回は地下で、528回は大気圏内でおこなわれ、いまだ、環境中に原爆によって生じた放射性物 質が滞留している。

 長崎は外国との交流の古い歴史を持つ街。鎖国時代にも出島として海外の文物が入っている。そんな街で大活 躍した人が坂本竜馬だ。1865年、日本最初の商社といわれる「亀山社中」が結成された。社中とは、仲間・結社 を意味するもの。亀山社中の目的は「運輸、射利、開拓、投機、本藩の応援をなすを主とす。」射利、利益追求 という画期的なもので、小銃や蒸気船の購入に成功したことなどの業績を残した。

 長崎は坂の街といってもよい。山の斜面に住宅が建ち並ぶ。坂は観光名所になっているが、生活するうえでは 大変なようだ。移動販売や宅配サービスなどが進んでいる。市内の移動は路面電車とバス。ともに低料金でまさ に足代わりに使われている。

 長崎の名物といえば「長崎チャンポン」。異国で暮らす同胞に美味しいものを腹いっぱいに食べさせたいとい う思いから、具沢山の一杯が生まれたようだ。

 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、竜馬は「長崎はわしの希望だ」「日本回天の足場になる」と言っている。そん な気分を感じながら、まちをぶらぶら歩く「さるく」してみてはどうだろうか。 

 関連サイト:『長崎さるく』観光案内サイト

コラム担当:うむっさん