新たな出会い・研鑚・社会貢献の場を求めて


          つれづれなるままに  

 
 つい先日開花したばかりと感じる桜の花も、既に枝いっぱいに若葉をつけ花びらの一つだに見かけなくなった。当地では、桜の次は可憐な花びらが印象的な梨の花である。この時期、市内を散策すればその梨園の多さに改めて気づくものだが、梨園の咲き乱れる白い花々も今やその姿を消した。
 季節のうつろいは早いものだ。昨今は菜の花やツツジ、チュウリップなど、色とりどりの花が見ごろを迎えている。桜開花前線は日ごとに少しずつ北上していくものだったが、今年は大型連休を待たずに北海道に上陸したと報道されている。

 秋田市では、平年より9日早い4月10日に開花した。青森県弘前市の弘前公園では平年より9日早い21日に満開となった。札幌市でも2週間はやい21日に開花した。28日現在の状況をインターネットで調べると、弘前公園や札幌円山公園は散り始めており、辛うじて札幌北海道神宮が満開のようである。
 気象庁、財団法人の日本気象協会、民間のウェザーニューズの3者が競った開花予想は全国的にみて、みなが大幅に狂った。観測地点はそれぞれ68地点、87地点、600地点とのことだが、気象庁が6日から7日ずれるという散々な結果となった。ウェザー社の誤差が少なかったのは、言うまでもなく観測地点の多さに加え、全国の会員1万人以上から寄せられた「肌の感覚」「人海戦術」など、会員の協力の賜物であろうか。

 これだけの早咲きの原因は、3月の異常高温にあると言われる。3月の平均気温は北日本で2.3度、東日本は1.7度高く、戦後第2位の高気温となった。これだけ予報が狂うと、花見客目当ての業者はさぞかし慌てふためいたことだろう、と少し心配になる。


 
      
               
近くの公園にて      

 
 つれづれなるままに思い巡らすと、日本というこの国は、ここ10年位の間に人の心のありようが大きく変わってきたように思えてならない。
 かつて、我々はかような現状は経験したことがないように思う。 誰か、おかしな者が道端に咲く可愛いチュウリップやボタン、きんせん花などを片っ端からなぎ倒せば、それはあっというまに別な人に伝染する。日本中あちこちで、同じような悪戯をしでかす人間が現れる。こんなこと、なんのためにやるのだろう。

 ネットの自殺サイトで呼びかければ、見知らぬ男女が直ぐに集まりお決まりの練炭による二酸化炭素中毒で、車中集団自殺に及ぶ。一人では死ねないが、集団なら怖くもないというわけか。かと思えば、出会いサイトで男性に呼び出され、ノコノコと遠方に出かけて殺されてしまう女性がいる。若い女性が、屈強な・何を考えているか想像も出来ない・知らない男性のところへ、出かけていく心理は全く理解不可能である。

 そうかと思えば、夫が妻を、妻が夫を殺害するなどという事件が次々と起きる。更には、遺体を切り刻んでバラバラにして捨てる。昔でも「バラバラ事件」なるものは、あるにはあった。しかし、それは滅多に起きないものだから、奇異な事件であり異常な出来事として取り扱われた。
 今では家庭内の事件でも、遺体を損壊することが当然のように行われている。母親の首を持ち運び交番に出頭した子どももいた。自分の娘を橋の欄干から川へ突き落とした母親もいた。ありえないようなことが現実に起きる。
 ここのところが最も理解出来ないところである。自分の腹を痛めたわが子を苛める。普通なら「目の中に入れても痛くない」と言われる可愛い盛りの子どもを何故に苛めるのか。そして、その幼い命まで奪ってしまうのか。

 つい先日も「誰でもいいから、人を殺したい」と、全く関係の無い人たちを射殺し、「捕まえられるものなら、捕まえてごらん」などとほざく若者がいた。そのあと、無人の交番に自首して逮捕されたものの、殺人にいたる動機は見えない。

 鹿児島では、19歳の自衛官がタクシー運転手を殺害するという事件があった。動機は流行の「誰でもよかった、死刑になりたかった」とのことだ。
 この事件に関して、TVのコメンテイターが「それでも殺人事件の件数自体は減っている・・」云々と発言していたが、重要なのは、その質や犯罪の内容だ。一昔前は、動機のある犯罪や生活苦、人間として最低限の生活を維持できない、つまり生活にゆとりがあれば起きなかったであろう犯罪だったのである。だから、生活レベルの上昇につれ犯罪件数が減少するのは当然のことになる。

 それが今は、日本の社会で普通に生活していくよりも、刑務所生活のほうがましと考える人間が結
構いる。刑務所は満員で溢れているのが実態だ。死刑になるほうを選ぶ人間が出てきている。件数が減って暢気に構えている場合ではない。由々しき事態に直面しているといえるだろう。

         

 オッチャンの小さい頃も、同級生の間で喧嘩などは日常の問題だった。取っ組み合いの喧嘩は毎日だ。でも、陰湿なものとはならなかった。オッチャンが負けそうになると、ちゃんと味方が現れた。全校きっての番長だから心強い。勉強は出来なかったが、大切な仲間だった。その彼と、10年ほど前に中学の同窓会で会った。黒いスーッに黒い帽子。一見して地元のヤクザと見えたが、何事もなく楽しく交歓した。

 よく犯罪者を精神異常者とされる場合があるが、このへんは怪しい。近所に住む人たちの話は、おおむね「おとなしい人だった」「まさか、あの人が」などと言われる。これも、どこまで知っていた
か疑わしい。
 小学校や中学校で起こる苛めの問題にしても、加害者や被害者について校長が釈明の会見をする。「あの子にそんな兆しは全くなかった」などと言う。これは大変な問題発言だと、いつも思う。校長が子どもたちの一人ひとりの日常生活について、知っている筈がないからだ。だから、その発言は空しく響くのみなのである。

         

   
福田政権の支持率低下

 27日に投開票された衆院山口2区補選で、自民党は民主党に大差をつけられて破れた。消えた年金記録の解明が進まぬ上に、道路・ガソリン税問題での暫定税率復活、更には高齢者医療制度などで攻められたら自民党は勝てない。これらは全て、福田総理が立案し実施してきたものではない。どれも小泉・安倍政権からの申し送り事項であることは間違いないのだが..。

 総理とは孤独なものである。飄々とすり抜けてきた福田総理も、さぞかし頭の痛いことだろう。それにしても、官僚とはふざけた人間が多いものだ。社保庁職員による汚職や自治体職員の年金横領、そして有無を言わせぬ後期高齢者の年金からの保険料天引きときては、誰が総理でも選挙には勝てな
いだろう。

 道路暫定税率の復活にしても、国土省の役人がマッサージ器の購入やタクシー代などに使用していたと聞けば、「誰が自民党に投票するものか」となるのは明白だ。
 瀕死の自治体は別として、中央官庁の予算とは「随分いい加減なもの」と実感したことが数度ある。随分前のオッチャンの現役時代に経験したことである。
 その最大のポイントは、「予算は使い切らないと、次年度の予算が削られる」ことにある。こんなシステムがあるために、各省庁は3月ともなると、予算消化のために不要不急なものの購入にも全力をあげる。全ては次年度の予算を獲得するためだ。
 このように元々要らぬ予算を配分した結果は、当初から目に見えている。官僚が国民の貴重な税金を自分たちの懐に収めたり、無駄な道路を作ったりしてしまうわけである。効率的な歳出削減は、各省庁の要求する予算原案を、まず徹底的につぶすことが肝要である。このスタートで誤らなければ、無駄な出費も防げるし、国民による涙の税金も活かすことが出来る筈である。
 
 入社2年目にして、官庁の予算配分と予算消化の仕組みを察知したオッチャンは、その後毎年、年が明けた1月後半からは、せっせと或る官庁をターゲットに売り込みを図った。そして商品採用に成功したあとは、苦労することなく高い利益を得た。おかげさまで食い込みにも苦労し、低利益となった大手ゼネコンへの値引分は、しっかりとカバーさせてもらった。

 また、厚生省傘下の年金事業団の保養施設への商品の納入にも立ち会った。山中湖湖畔の別荘地に建てられた、豪華この上も無い建物であった。これなども、厚生省の役人と、その家族のみが使用する福利施設だったのである。国民の年金を管理する立場の役所が自分たちの施設に、その年金を流用していたのは、彼らからみれば慣例のことであった。

 いま改めて、古くからの歴史があったことを思い知る。  (C・W)

      
 
   
     役所や政治家への痛烈な批判川柳や短歌(朝日歌壇ほかより)

  
       十億も使い込む馬鹿知らぬ馬鹿 何年間も机並べて

         チベットの風は 聖火を消したがり 

         福田泣く 小泉笑う 何故だろう 

         懸命に生きたる罪か 人間の枠外されし後期高齢者 

         年金が年貢になっただけのこと 

         ギョウザの件 双方遺憾とする予定 

         空き地でも良かったのかと 善光寺 

         世界中逃げて隠れて 聖火行く 

         うまくやれと うまくやれない総理言い 

         事務処理は ミスを職務とする役所 

         年寄りを 前期後期と死期に分け 

         夢もない加齢は後期高齢者

      

      
唐川(成田高校出身1年目)26日 ソフトバンク戦 初先発初勝利 !!
            (スポーツニッポンの1面から
)