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**** 選挙の春は 終わった ****

 4月の気象は変化が大きい。日差しが明るく暖かくなり色々な花も咲いて、まさに春たけなわとなる。「花ぐもり」、「かすみ空」が多くなるのもこの頃である。高気圧と低気圧が交互に日本付近を通過し、移動性高気圧に覆われた朝、放射冷却によって気温が低下し、「遅霜」が降りて農作物が被害を受けるのも、この月が多い。

 一般的にはこのようにいわれるが、今年は桜の開花も早かった。蕾の間は長くても咲き始めれば、あっという間に満開になる。そして風が吹き荒れて、あっけなく散ってしまうのが常である。しかし今年は、特に寒暖の差が激しい日々が繰り返されたために、花の命も長引いて満開の時期を一層楽しめたように思う。

 各地でのお花見ニュースが溢れる中で、当地では市内各所の梨園で白い梨の花が咲き始めていた。桜の木々が開放的な場所に立地するのに比べ、梨の花は梨園という閉鎖された場所に咲くためか、うっかりすると見逃すことが多い。しかし、低木の梨の木にたわわに咲き乱れる梨の花は、とても可愛くて可憐である。今年はふとしたきっかけで、梨園の中まで入らせてもらい、いくつかの写真を撮らせてもらったのはまことに幸いであった。




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  = 夏の参院選を前に = 統一地方選挙は終わった

 今年の選挙は3月の参院補選から始まった。福島と沖縄の両県で補選が行われたが、福島では衆議院議員から転出したM氏(民主)が勝ち、沖縄では県議から立候補したS氏(自民)が勝って、星を分ける形となった。自民、民主の双方ともに不満足な様子も見せたものの客観的にみれば勝つべき者が勝った感じである。
  夏の本戦を前にお互いの執行部の命が永らえたとも言える。とりあえずは夏まで権力を保持できて、両党の執行部はホッとしたに違いない。

 県議選は、オッチャンにはさして興味のあるものではなかった。せめて地元の選挙区位は白熱の戦いも期待したが、何ともさえない結果となった。定員2名のところに、立候補者が実質、古参の自民党前職と市議から転出した民主党新人の二人であったからだ。実際は、A新聞千葉総局の女性記者へのセクハラ行為で辞職した、前職が加わった3名による選挙戦ではあった。しかし先の見えた選挙は、誰でも面白くないものだ。そんな市民の意向を如実に反映し、投票率は前年の市長選を僅かに上回る38パーセントに過ぎなかった。

 そして結果は皆が予測したとおり、自民と民主で分け合う形で終わった。もし問題の立候補者が当選したら、我々地元の人間は世間のお笑い者となったに違いない。やれやれ助かったというものだ。だが、この選挙中にこの立候補者を中傷するビラが大量にばらまかれたのは、全くいただけない。どの陣営がやったのか、あるいは誰が仕組み実行したのかは不明だが、このような行動は許せるものではない。
「これが○○の素顔だ!!」「人格を無視した悪質な行為」「千葉県議がわいせつ行為」などなど....。A紙や他紙の記事をコピーした露骨な暴露記事?を満載したあくどいビラだ。そのようなことをしなくても、市民はちゃんと見ていることを知るべきである。実に情けない行為であった。

   長崎市長殺害と夕張市長選

 選挙期間中に、候補者だった長崎市長が凶弾に倒れるという事件が起きた。米国バージニア工科大学での銃乱射事件と同様な銃による殺人事件である。言論をテロで封じ込めようとするのは、いまさら言うべきもない最も卑怯な手段である。戦前はテロと暴力、そして軍部による圧力が絶えなかった。戦後も途絶えたわけではない。最も鮮烈なのは、昭和60年に起きた当時19歳の山口乙矢による社会党浅沼委員長刺殺事件である。

 日米安保条約改定をめぐる論争のさなか、学生だったオッチャンはその刺殺の瞬間を学内のテレビで見た。演説中の壇上に一人の若者が駆け上がり、確か委員長のわき腹をグサッと刺した記憶がある。日比谷公会堂に集まった聴衆はさぞかし驚いたことだろう、と思う。驚愕の一瞬であった。これを切っ掛けに安保闘争は激しさを増していったのである。

 長崎の伊藤市長は、長崎駅前の選挙事務所に入る直前だったという。付近の歩道に買い物客らが行き交うなかで、男は、支持者のようなそぶりで近くにいた陣営関係者らとあいさつを交わした後、選挙カーから姿を現した市長に近づき、背後から発砲した。目前での銃撃には、多くの人々はさぞかし驚いたことだろう。この事件以後、「警察庁は選挙候補者について警戒措置の強化を各都道府県の警察に指示をした」と報道されている。遅きに失するが再発防止が緊急の課題であることは言うまでもない。


  このあと行われた後継市長選挙では、長崎市民は新しい市政のかじ取り役に、26年間の行政経験があるT氏を選んだ。伊藤市長の娘婿の立候補表明を聞き、市の一課長であるT氏が立候補し事実上の一騎打ちとなり僅差でT氏が勝利した。様々な原因があるであろうが、市民は長崎に縁のない娘婿よりは、地元長崎の候補者を選択したということになる。

 接戦ではあったが長崎市民の選択に間違いはない、とオッチャンは信じる。なぜなら、政治に世襲は絶対に許せないからだ。弔い合戦となれば、通常は当選が約束されたようなものである。あの小渕首相が亡くなられたとき、26歳の娘のU子さんが立候補し、楽々と当選した。日本人は、このへんがちょっとおかしい。責任の重い国会議員に、娘だからというだけで当選させてしまう。政治家の娘であれば、誰でも政治家になれる。そこがおかしいと、思わないのかなぁ。

 『選挙結果を聞いた伊藤前市長の長女・U子さんは、「父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないこの仕打ちは、凶弾に対してなのか? 父の愛する長崎で、こんな仕打ちを受けるとは思わなかった」と声を詰まらせ、話し終えると崩れ落ちるように倒れ号泣した』。

 亡くなった伊藤前市長の功績は大きいが、だからといって、娘婿のY氏が当選するべきだという理屈にはならない。まして、Y氏は西日本新聞社の政治部の記者である。世襲制がどういうものか、当然理解していることと思う。彼は新聞社を一時「休職」して出馬している。どこまで本気だっかも疑わしい。

 これを聞いた市民の声はどうだったか。「当選させなかった市民に対しての発言であれば、信じられない事だ」「市民・投票者を馬鹿にしている」という声が多い。まことに当然であると思う。今頃冷静になった娘さんは、大いに反省していることだろう。

 夕張市では、地元出身の元会社社長であるF氏が40パーセント近い得票を集めて当選となった。7人も立候補したがH氏との一騎打ちとなった。そして、あちこちの選挙に立候補する、泡沫候補界の名物男が惜しくも落選した。 北の夕張市民も、「私財を投げ打っても」「市長の給与はなしでも」と叫んだ豊臣家の名を継承する外様の当選を許さなかった。財政は破綻したが、市民の意識は間違えることはなかった。

 
= 鎌ケ谷市議選は代替わりか =

 
鎌ケ谷市議選は、近来希に見る低調さだったように思う。議員定員27名に対して、31名の立候補者である。わずか4名しか落選しない。オッチャンは、選挙管理委員会からの選挙公報で概ね落選者が予測できた。広報に書かれた内容だけでも、その人となりは分かるものだ。落選しそうな候補者を順繰りに拾っていくと、選挙結果と正に一致した。
 前回の立候補者は37名であったことからも、今年の選挙の盛り上がらぬ原因もはっきりする。

 各立候補者は少数激戦などというが、それは身内を引き締めるためのものである。実際は立候補を締め切った時点で、今回は当選者が決まっていたようなものだろう。
 選挙が近づくと急に、議会活動やらハガキを送ってくる議員がいる。この手の議員は大嫌いだから絶対に票を入れない。それでも泡沫候補がいるから、難なく当選である。ちなみに前議員で落選者は1名だけであった。

 そんなことで、一番身近な選挙にも拘わらず投票率は平均で47パーセントに留まった。投票所別に仕分けすると、グリーンハイツが53.99パーセントで一位。ついで南部公民館が51.55パーセント、南初富コミュニティセンターが50.63パーセント、粟野コミュニティセンターが49.57パーセント、第二中学が49.57パーセントとなった。因みにダンビリは西武小学校の40.81パーセントである。トップとは実に10パーセント以上もの差がある。このへんは選管も、よくよく考える必要がありそうだ。
 女性が49.35パーセントに対して、男性は45.60パーセントである。男どもよ、しっかりせよ。と言いたい。

 当選回数別に調べてみた。初当選は7名、2選は9名、3選は1名、4選は4名、5選は2名、6選が4名である。2期当選までで過半数を超えて16名になる。年齢別では27歳の初当選を含め、20代から50代で16名となる。平均年齢は54歳となった。
 
 市議選で堂々と政党名を名乗ったのは、トップ当選の自民党1名、公明党6名、共産党2名、社民党1名だけであり、あとは党の推薦などを明示しなかった。これらの方々は立派である。あとは無党派で票の取り込みを図ったのか。できれば正々堂々と政党との関係を明らかにしてほしいもの、と思ったのはオッチャンだけか。

 

(C.W)


鎌ヶ谷大仏 Bay FMで大仏ソングが初公開

大仏の歌が発売された  DIVE TO LOVE (中央部クリックで歌詞の拡大表示)